聖母のしもべ会 七つの悲しみの聖母のシャプレ アルミニウム製メダイユに黒い木製ビーズ 全長 47.5 cm イタリアまたはフランス 十九世紀末頃



シャプレを吊り下げたときの全長 47.5 センチメートル

環状部分の周の長さ  75 センチメートル


最初のメダイユの突出部分を含むサイズ  22.5 x 16.8 ミリメートル

環状部分の小メダイユの突出部分を含むサイズ  22.0 x 13.0 mm


ビーズの直径 6 ないし 7ミリメートル


全体の重量 12.6 グラム



 十九世紀末頃に制作された「七つの悲しみの聖母のシャプレ」(仏 chapelet de Notre-Dame des sept douleurs)。シャプレ(仏 chapelet)とは数珠(じゅず)、すなわち祈りの回数を数える道具のことです。イタリア語等でロザリオ(伊 rosario 薔薇の花環)と呼ばれる物と同じ信心具を指して、フランスではこのように呼んでいます。

 七つの悲しみの聖母のシャプレは、托鉢修道会のひとつである「聖母のしもべ会」(仏 l'Ordre des servites de Marie 羅 ORDO SERVORUM BEATÆ VIRGINIS MARIÆ)で使用されます。本品はフランスにあった品物ですが、イタリアで制作されたものかもしれません。





 七つの悲しみの聖母のシャプレ(ロザリオ)は大きな楕円形メダイユで始まり、環状部分には週(連)と週の間にひと回り小さな楕円形のメダイユを配します。本品もこの様式に従って作られています。ビーズはほぼ球形ですが、一つ一つ手作業で作られているため、サイズと形に多少のばらつきがあります。ビーズの材質は木製で、ニスが掛けられておらず、温かみのある木肌が指先にしっくりと馴染みます。





 上の写真は一枚目のメダイユです。下の写真では、このメダイユにラ・プルミエール・メダイユ(仏 la première médaille 最初のメダイユ)の文字を重ねています。

 一枚目のメダイユ及び環状部分の七枚のメダイユは、七本の剣で心臓を刺し貫かれたマーテル・ドローローサ(MATER DOLOROSA 悲しみの御母、悲しみの聖母)の姿を、打刻による浅浮き彫りで片面に表しています。一枚目のメダイユでは、ラテン語で「悲しみの聖母」を表すマーテル・ドローローサ(羅 MATER DOLOROSA)の文字、及び製造国を表すフランス(FRANCE)の文字が、聖母像を取り巻くように刻されています。信仰深いマリアの心臓は剣に刺し貫かれながらも、神とイエスに対する愛の炎を噴き上げています。





 環状部分の小メダイユも、一枚目と同じマーテル・ドローローサを片面に刻みます。環状部分の小メダイユには文字が刻印されていませんが、マーテル・ドローローサの図柄は一枚目のメダイユとすべての小メダイユに共通しています。一枚目のメダイユで文字の前後にある星形は、環状部分の小メダイユにも残っています。





 本品のメダイユに打刻された聖母像は、ローマの守護聖女である大型の蝋画イコン、サンタ・マリア・アンティカ Santa Maria Antica(または、サンタ・マリア・アンティクヮ Santa Maria Antiqua)とたいへんよく似ています。本品のメダイユを制作した彫刻家は、おそらくこのイコンをマーテル・ドローローサのモデルにしたのでしょう。

 ローマには崇敬の対象となっている古い聖母のイコンが五点ありますが、サンタ・マリア・アンティカはそのうちでもっとも古い作品です。救いに至る道であるイエスを腕に抱き、世人に示すマリアの図像を、美術史ではホデーゲートリア(希 ὁδηγήτρια 道を示す女)と呼びます。蝋画イコン「サンタ・マリア・アンティカ」はホデーゲートリアに分類されますが、聖母子の頭部以外の身体と光背は十二世紀の付加であり、元々の構図は不明です。聖母子の頭部は六世紀(紀元 500 - 525年頃)に遡りますが、一見してわかる通り、聖母の顔は十二世紀初頭から近年にかけて補修あるいは上塗りが繰り返され、原型が失われています。

 蝋画イコン「サンタ・マリア・アンティカ」は、もともとサンタ・マリア・アンティクヮ聖堂(伊 Santa Maria Antiqua)の祭壇画であったと考えられますが、サンタ・マリア・アンティクヮが老朽化し、これに代わる聖堂として十世紀にサンタ・マリア・ノーヴァ Santa Maria Nova(現在のサンタ・フランチェスカ・ローマーナ Santa Francesca Romana)が建てられると、新聖堂に移されました。サンタ・マリア・アンティカ(サンタ・マリア・アンティクヮ)とは「古いマリア」という意味で、聖母に奉献された新聖堂サンタ・マリア・ノーヴァすなわち「新しいマリア」に対して、旧聖堂をこの名で呼んでいます。

 蝋画イコン「サンタ・マリア・アンティカ」(サンタ・マリア・アンティクヮ)は、元々属していた聖堂の名を取って、聖堂と同じ名前で呼ばれています。六世紀から十五世紀まで書き継がれた教皇列伝「リベル・ポンティフィカーリス」(羅 "LIBER PONTIFICALIS")のうち、グレゴリウス三世(在位 731 - 741年)の項に「サンタ・マリア・アンティクヮ聖堂の古い絵」への言及があり、これが蝋画イコン「サンタ・マリア・アンティカ」に関する最古の記述と考えられています。





 上の写真は一枚目のメダイユのもう一方の面に、ラ・プルミエール・メダイユ(仏 la première médaille)の文字を重ねています。この面には聖母の七つの悲しみのうちでも最大の悲しみ、すなわち十字架におけるイエス・キリストの受難が刻まれています。十字架の根元に姿が見える二人の人物は、聖母マリアと使徒ヨハネでしょう。

 受難の群像を取り巻くように、キュリエ・エレイソン(KYRIE ELEISON)と書かれています。この言葉はラテン文字で書かれていますが、本来のラテン語ではなく、ギリシア語です。ギリシア語でキュリエ・エレエーソン(希 Κύριε ἐλέησον)は「主よ、憐み給え」という意味で、「憐みの賛歌」と呼ばれる祈りの言葉です。

 「憐みの賛歌」はカトリック教会でも正教会でも同じ文言で唱えられてきた伝統的な祈りです。「憐みの賛歌」をはじめ、カトリック教会における祈りの言葉は、長い間どこの国でもラテン語で唱えられてきました。しかしながら 1962年から 1965年まで開かれた第二ヴァティカン公会議以降、各国の教会における典礼は、現地の言葉で行われるようになりました。したがって現在のフランスでは、この祈り(仏 "Seigneur, prends pitié.")をフランス語で唱えています。しかしながら本品は百年以上前の品物ですので、メダイユにはラテン語が刻印されています。

 ちなみにギリシア語キュリエ・エレエーソンをそのままラテン文字に置き換えると "KYRIE ELEESON" となりますが、本来のラテン語にはエー(E)が連続する綴り(EE)は存在しないので、"EE" を "EI" に置き換えることで、ラテン語として不自然でない綴りに変更されています。







 既に述べたように、環状部分の小メダイユの片面にはマーテル・ドローローサが刻まれています。小メダイユのもう一方の面には、メダイユごとに異なる聖母の悲しみの場面が表されています。本品に刻まれた悲しみの場面は、下表の通りです。

浮き彫りにされた場面 図像表現の出典 本品における描写
    1 .. 幼子イエスに関するシメオンの預言 .. ルカによる福音書 2章34 - 35節  場所はエルサレム神殿の内部である。向かって左端にメノラ(九枝の燭台)があり、トーラー(律法、すなわち旧約聖書の最初の五巻)が開かれている。後方には列柱が見える。前景の左側に幼子イエスを抱いてシメオンが立ち、預言を語っている。シメオンの前にはマリアが跪き、マリアの後ろにはヨセフが立っている。夫妻は右手を胸に当て、神妙な面持ちで預言に耳を傾けている。ヨセフの左手には鳩を入れた籠が見える。
    2 エジプトへの逃避 マタイによる福音書 2章13 - 15節  聖母子は馬かロバに乗っている。ヨセフはその傍らを歩いている。アーチがある建物とナツメヤシが背景に見える。アーチがある建物は墓廟を、ナツメヤシは勝利と栄光を暗示する。
    3 三日のあいだ少年イエスとはぐれたこと ルカによる福音書 2章43 - 45節  エルサレム神殿の境内。後方に列柱が見える。少年イエスは学者たちに囲まれて話を聞き、質問しておられる。学者たちはイエスの聡明さに驚いている。向かって左端に立っているのは、ようやくイエスを探し当てたヨセフとマリア。ヨセフはイエスの方に腕を差し出し、マリアは安堵して両手を胸に当てている。
    4 十字架を背負って歩くイエスと出会ったこと ルカによる福音書 23章27節  十字架を引きずって歩くイエスが、悲しむ女性たちに出会う。マリアはイエスに向き合い、為すすべもなく立ち尽くす。後方にナツメヤシが見える。
    5 イエスの十字架のもとに立ったこと ヨハネによる福音書 19章25 - 27節  ゴルゴタの丘でイエスが十字架刑に処され、マグダラのマリアが十字架に取りすがっている。イエスの足下に転がる髑髏はゴルゴタという地名を表すとともに、罪の呪い(死)に対する救世主の勝利を象徴する。原罪を犯した人祖アダムは、伝承によるとゴルゴタに葬られたとされる。アダムの骨は原罪、及びその結果もたらされた死を象徴する。
    6 十字架から降ろしたイエスの遺体を抱きとめたこと マタイによる福音書 27章57 - 58節  イエスの遺体が十字架から降ろされ、マリアはイエスを膝の上に抱きしめている。イエスの足元にいるのは、マグダラのマリアであろう。
    7 イエスの遺体を埋葬したこと ヨハネによる福音書 19章40節  イエスの遺体が布に包まれる。後方に見えるアーチは墓穴である。マリアは胸の前に両手を合わせ、悲しみに沈みつつ神に祈っている。





 1. のメダイユで浮き彫りにされているのは、産婦マリアの清めの期間が完了したときに、夫妻がエルサレム神殿を訪れた時の様子です。この場面の典拠になっているのは「ルカによる福音書」二章二十二節から三十五節で、二十二節から二十四節には次のように書かれています。新共同訳により引用します。

 さて、モーセの律法に定められた彼らの清めの期間が過ぎたとき、両親はその子を主に献げるため、エルサレムに連れて行った。それは主の律法に、「初めて生まれる男子は皆、主のために聖別される」と書いてあるからである。また、主の律法に言われているとおりに、山鳩一つがいか、家鳩の雛二羽をいけにえとして献げるためであった。


 上に引用した福音書の記述通り、ヨセフは鳩の籠を持っています。しかるに「レビ記」十二章六節から八節には次のように書かれています。新共同訳により引用します。

     男児もしくは女児を出産した産婦の清めの期間が完了したならば、産婦は一歳の雄羊一匹を焼き尽くす献げ物とし、家鳩または山鳩一羽を贖罪の献げ物として臨在の幕屋の入り口に携えて行き、祭司に渡す。祭司がそれを主の御前にささげて、産婦のために贖いの儀式を行うと、彼女は出血の汚れから清められる。これが男児もしくは女児を出産した産婦についての指示である。なお産婦が貧しくて小羊に手が届かない場合は、二羽の山鳩または二羽の家鳩を携えて行き、一羽を焼き尽くす献げ物とし、もう一羽を贖罪の献げ物とする。祭司が産婦のために贖いの儀式を行うと、彼女は清められる。 


 マリアを崇敬する気持ちはしばしば美術表現に影響し、ふつうの村人たちであったはずの聖家族、とりわけ地上におけるマリアを、富裕な令嬢、ときには威厳ある王女のように描いた作品が多く見られます。しかるに本品メダイの浮き彫りは福音書の記述を忠実に再現し、マリアとヨセフを貧しい夫婦として表現しています。





 5. のメダイユには聖母でなくマグダラのマリアが登場します。イエスの十字架にマグダラのマリアが縋りつくのは、伝統的な図像表現です。またキリスト教の伝統的図像において聖母をはじめとする聖女たちはヴェールで髪を隠しますが、マグダラのマリアだけは例外で、頭部にヴェールを被らず艶やかで豊かな長髪を見せ、性的魅力を強調する姿で表されます。


 6. のメダイユにおいて十字架から降ろされたイエスを掻き抱く聖母の図像は、イタリア語でピエタ(伊 Pietà)と呼ばれます。典礼上の日割りにおいて、土曜日はマリアの日とされています。イエス・キリストは金曜日に受難し、日曜日に復活し給いました。土曜日はその間の日であり、キリストの弟子たちが信仰を失いかけていたときに当たります。マリアはこのときもイエスが救い主であるとの信仰を失わなかったゆえに、土曜日がマリアの日とされたのです。

 そうは言っても息子が十字架上に刑死したとすれば、慈母は死ぬほどの悲しみを味わったと考えるのが人情でしょう。教父時代にはキリストの受難にも動じなかったとされていた聖母は、中世の受難劇において、恐ろしい苦しみと悲しみを味わう母として描かれるようになります。十三世紀にはヤコポーネ・ダ・トーディ(Jacopone da Todi, c. 1230 - 1306)がスターバト・マーテル(羅 "STABAT MATER")を作詩し、十四世紀初頭にはイエスの遺体を抱いて離さない聖母像が表現されるようになりました。

 ちなみにイタリア語ピエタの原意は「憐み」「信仰」で、ラテン語ピエタース(羅 PIETAS 敬神、忠実)が語源です。ピエタース(羅 PIETAS)の語根 "PI-" を印欧基語まで遡ると、「混じりけが無い」「清い」という原義に辿り着きます。教父たちは聖母マリアが混じりけの無い信仰を有した故に、その信仰は無条件的であり、イエスの受難を目にしても聖母は悲しまなかったと考えました。これに対してピエタの図像を生み出した十四世紀の人々は、聖母が死ぬばかりに悲しんだと考えました。イタリア語ピエタには「肉親に対する親愛の情」という意味が加わる一方で、印欧基語に遡る「清らかさ」のニュアンスも失っておらず、古代の教父たちが説く「純粋な敬神」に、ゴシック期らしい人間味の加わった語となっています。





 本品のビーズは黄楊(つげ)製で、おおよその直径は七ミリメートルです。写真ではわかりづらいですが、実物のピーズは形と大きさが不揃いで、一つ一つ手作りされていることが分かります。ピーズは黒く着色されていますが、ニスは塗られておらず、木の温かみが指になじみます。ビーズはすべて揃っており、欠損はありません。





 上の写真は本品を男性店主の手に乗せて撮影しています。女性が本品の実物をご覧になれば、写真で見るよりもひと回り大きなサイズに感じられます。

 「七つの悲しみの聖母のシャプレ」において、週(連)を構成する最初のメダイユ(シメオンの預言のメダイユ)は、制作年代が新しいシャプレの場合、通常のロザリオのクール(センター・メダル)と同様に、チェーンを接続する環が三か所から突出します。しかるに本品は十九世紀末頃の品物ですので、シメオンの預言のメダイユも他の六枚と同じ形状で、古い様式を留めています。

 本品は百年以上前に制作された真正のアンティーク品ですが、保存状態は良好です。特筆すべき問題は何もありません。チェーンの強度も問題はありません。現代人はアルミニウム製品を安価な物と思っていますが、本品が制作されるよりも二十年ほど前には、アルミニウムは金よりも高価でした。本品のアルミニウム製メダイユは長い年月を経て獲得した古色、落ち着いた光沢によって、古い品物ならではの重厚な趣きを本品に与えています。





38,000円

電話 (078-855-2502) またはメール(procyon_cum_felibus@yahoo.co.jp)にてご注文くださいませ。




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