リュドヴィク・ペナン作 《七つの悲しみの聖母 ホスピタル修道女会 ブロンズ製大型メダイユ》 直径 32.5 mm 厚さ 4.5 mm 重量 12.8 g 見事な浮き彫りの芸術品 フランス 十九世紀後半


突出部分を除く直径 32.5 mm  最大の厚さ 4.5 mm  重量 12.8 g



 一方の面にマーテル・ドローローサ(悲しみの聖母)像を、もう一方の面にマリアのモノグラムを囲むロザリオを、それぞれ浮き彫りにしたブロンズ製大型メダイ。直径、厚みとも大きく重厚で、単なる信心具を超えた本格的な浮き彫り彫刻作品です。12.8グラムの重量は五百円硬貨二枚分にほぼ相当し、手に取ると心地よい重量を感じます。

 本品は教皇御用達のメダユール(仏 médailleur メダイユ彫刻家)、リヨンのリュドヴィク・ペナン(Ludovic Penin, 1830 - 1868)により、十九世紀後半に製作された作品です。数あるマーテル・ドローローサの中でも、本品はとりわけ優れた出来栄えであり、優れた芸術的水準に達しています。





 一方の面には正方形とカドリロブ(仏 quadrilobe 四つ葉型)を重ねたゴシックの枠のなか、多数の小さなギリシア十字を背景にして、悲しみの剣に心臓を刺し貫かれるマーテル・ドローローサ(羅 MATER DOLOROSA 悲しみの聖母)を浮き彫りにしています。マリアが十五歳の頃にイエスを産み、イエスが三十三歳で亡くなったとすると、この時のマリアは四十八歳ということになります。美術作品に描かれる聖母マリアは、実年齢に無関係に若く見目麗しく描かれがちですが、リュドヴィク・ペナンはイエスの受難を悲しむ聖母を、年齢相応の姿でカ強く表現しています。


 「ヨハネによる福音書」十九章には、イエスがローマ兵たちに侮辱され、ローマの総督ピラトによって群衆の前に引き出され、十字架に付けられて死に、十字架から降ろされて墓に葬られたことが記録されています。十九章二十五節から二十七節には次のように書かれています。

   25    イエスの十字架のそばには、その母と母の姉妹、クロパの妻マリアとマグダラのマリアとが立っていた。
   26   イエスは、母とそのそばにいる愛する弟子とを見て、母に、「婦人よ、御覧なさい。あなたの子です」と言われた。
   27   それから弟子に言われた。「見なさい。あなたの母です。」そのときから、この弟子はイエスの母を自分の家に引き取った。


 福音書の唯一の目的は、救済の経綸を明らかにすることです。すなわち福音書は文芸作品ではないゆえに登場人物の感情には無関心で、わずかな例外を除き、喜怒哀楽はほとんど描写されません。上の引用箇所にも人物の感情は一切描写されていません。

 描写されていないからと言って、感情の動きが無かったことにはなりません。描写の有無と、実際の感情の有無は別問題です。しかしながら通常の文学作品を読むときと同様の感覚で上記引用箇所を読むならば、十字架のそばに立つ女性たちは悲しんでいなかったかのようにも感じられます。





 実際のところ古代から十世紀の神学者たちは、イエスが十字架刑に処せられるのを見ても、聖母は動揺せず涙も流さなかったと考えました。なぜならばマリアは普通の母親、普通の女性ではなく、アブラハムやヨブに勝る信仰の持ち主であり、早ければ受胎告知のときから、遅くともシメオンによる「悲しみの剣」の預言を聴いてから、救済史におけるイエスの役割を理解していたと考えられていたからです。当時の神学者から見れば、イエスの受難に際してマリアが悲しんだと考えるのは、聖母を冒瀆するにも近いことでした。

 典礼上の日割りにおいて土曜日がマリアの日とされるのも、マリアの信仰が堅固であったとする思想に基づきます。イエス・キリストは金曜日に受難し、日曜日に復活し給いました。土曜日はその間の日であり、キリストの弟子たちが信仰を失いかけていたときに当たります。マリアはこのときもイエスが救い主であるとの信仰を失わなかったゆえに、土曜日がマリアの日とされたのです。


 そうは言っても息子が十字架上に刑死したとすれば、慈母は死ぬほどの悲しみを味わったと考えるのが人情でしょう。教父時代にはキリストの受難にも動じなかったとされていた聖母は、中世の受難劇において、恐ろしい苦しみと悲しみを味わう母として描かれるようになります。十二世紀の修道院において聖母の五つの悲しみが観想され、1240年頃にはフィレンツェにマリアのしもべ会が設立されました。同じ十三世紀には、ヤコポーネ・ダ・トーディ(Jacopone da Todi, c. 1230 - 1306)がスターバト・マーテル(羅 "STABAT MATER")を作詩しています。十四世紀初頭にはイエスの遺体を抱いて離さない聖母像が表現されるようになりました。聖母の悲しみの数は十四世紀初頭に七つとなって定着しました。

 十五世紀になると、十字架の下に立ったマリアはその苦しみゆえに共贖者(羅 CORREDEMPTRIX)であるとする思想が力を得ました。マリアを共贖者と見做すのは主にフランシスコ会の思想で、ドミニコ会はこれに抵抗しました。しかしドミニコ会はマリアが悲しまなかったと考えたわけではありません。トマス・アクィナスの師で、トマスと同じくドミニコ会士であったアルベルトゥス・マグヌス(Albertus Magnus, + 1280)は、預言者シメオンの言う「剣」(ルカ 2: 35)をマリアの悲しみの意に解し、キリストが受け給うた肉体の傷に対置しました。




(上) レットゲンのピエタ Die Röttgen Pietà, c. 1350, Holz, farbig gefaßt, 89 cm hoch, Rheinisches Landesmuseum, Bonn


 十四世紀初頭に出現したイエスの遺体を抱く聖母像を、美術史ではピエタ(伊 Pietà)と呼んでいます。ピエタは絵画にも表されますが、最初は彫刻として制作されました。十三世紀までの聖画像では、十字架から撮り下ろされたイエスの遺体はただ地面に横たえられていましたが、ピエタのマリアはイエスを膝の上に取り上げ、ひしと抱きしめました。イタリア語ピエタの原意は「憐み」「信仰」で、ラテン語ピエタース(羅 PIETAS 敬神、忠実)が語源です。ピエタース(羅 PIETAS)の語根 "PI-" を印欧基語まで遡ると、「混じりけが無い」「清い」という原義に辿り着きます。

 教父たちは聖母マリアが混じりけの無い信仰を有した故に、その信仰は無条件的であり、イエスの受難を目にしても聖母は悲しまなかったと考えました。これに対してピエタの図像を生み出した十四世紀の人々は、聖母が死ぬばかりに悲しんだと考えました。イタリア語ピエタには「肉親に対する親愛の情」という意味が加わる一方で、印欧基語に遡る「清らかさ」のニュアンスも失っておらず、古代の教父たちが説く「純粋な敬神」に、ゴシック期らしい人間味の加わった語となっています。




(上) 「マリアを通してイエズスへ」 マリアの子ら会最初期のメダイ 26.1 x 19.0 mm フランス 十九世紀中頃 当店の販売済み商品


 子供や若者の死亡率が高かった時代の人々は、息絶えたイエスを抱いて嘆く聖母の姿、また悲しみの剣に心臓を刺し貫かれた聖母の姿を見て、心を激しく揺さぶられたに違いありません。人々はそこに共贖者の姿を見、自分たちと同様の苦しみに遭って悲しみ嘆く聖母は、最良の執り成し手(羅 MEDIATRIX)ともなりました。十一世紀から十二世紀にかけて、マリアは人と神を繋ぐ存在、すなわちこの世に救い主をもたらすとともに、救い主に至る道(「マリアを通してイエスへ」)でもある方となりました。




(上) ジェイムズ・ベルトラン作 「聖母子の前のマルガレーテ」 1876年 画面サイズ 縦 250 x 横 160 mm 当店の商品


 マーテル・ドローローサは宗教を離れ、広い分野に影響を及ぼしました。上の写真のエングレーヴィングは、世俗文学及び世俗美術の分野でマーテル・ドローローサから生まれた作品の例です。

 ゲーテの「ファウスト」において、悪魔メフィストフェレスの力を借りて若返ったファウスト博士は信心深く清純な乙女マルガレーテ(グレーテ、グレートヒェン)を誘惑し、マルガレーテはファウストに身も心も捧げます。マルガレーテは母親を裏切って眠り薬を飲ませることをファウストに約束させられますが、町外れにある悲しみの聖母像を訪れて、聖母にすがって不安と悲しみを訴えます。3711行から 3713行、および 3728行から 3731行のドイツ語テキストを、筆者(広川)による和訳を添えて示します。筆者の和訳はこなれた日本語を心掛けたために、所により行の順序がテキストと食い違っています。

   3711   Was mein armes Herz hier banget,    私の哀れな胸がなぜ不安なのか、
   3712   Was es zittert, was verlanget,    何を恐れて何を願っているのか、
   3713   Weißt nur du, nur du allein!    ご存知なのはあなた様だけです。
         
   3728   Hilf! rette mich von Schmach und Tod!    お助けください。恥と死から、どうか私を救ってください。
   3729   Ach neige,    悲しみの聖母様!
   3730   Du Schmerzenreiche,    慈しみをもって、お顔を私の苦しみに
   3731   Dein Antlitz gnaedig meiner Not!    向けてくださいませ!


 上で「悲しみの聖母様!」としたのは、3730行「ドゥー、シュメルツェンライヒェ」の和訳です。ドイツ語のシュメルツェンライヒェ(独 Schmerzenreiche)は、「悲しみと苦しみに満ちた女性」と言う意味です。悲しみと苦しみの只中にあるグレートヒェンは、気持ちを分かってくれる方として、御自ら悲しみ、苦しみ給うた聖母に祈り、すがっています。





 本品メダイに浮き彫りにされたマリア像は、生身の女性を眼前に見るかのような写実性を有するとともに、悲しみに大きく見開いた眼で受難のイエスを見上げる姿は、観る者の心を激しく揺さぶります。我々は悲しむ母の姿に心を寄せ、マリアと一体となって悲しむとともに、悲しみを知り給うマリアこそが、われらの悲しみを知り、憐れみ、庇い給う御方であることを感じ取ります。

 聖母の左下(向かって右下)に、リュドヴィク・ペナンとジャン=バティスト・ポンセの名前が記されています。ジャン=バティスト・ポンセ(Jean-Baptiste Poncet, 1827 - 1901)はリュドヴィク・ペナンと同郷の画家でもあり、メダイユ彫刻家でもあった人物で、夭折したリュドヴィク・ペナン(Ludovic Penin, 1830 - 1868)の仕事を引き継ぎ、十九世紀後半の時代に合わせて手を加え、1870年代以降にも美しいメダイユ彫刻を世に送り出しました。





 リュドヴィク・ペナンの本来の作風が質実素朴であるのに対し、ジャン=バティスト・ポンセの手が加わった作品はときに都会風に洗練され、ロマン主義的な香りを感じさせます。しかしながら本品に限って言うと、悲しみの感情を過剰に強調する如き劇的な身振りを伴わず、衣文も単純で、全体的に抑制が効いた表現となっています。本品は表面的な美しさを排除し、聖母と共なる悲しみを引き出す力を有します。本品の浮き彫りは宗教感情の本質を可視化した作品であり、マーテル・ドローローサ(悲しみの聖母)を刻んだ数々のメダイの中でも、他の追随を許しません。筆者は長年に亙って数多くのフランス製メダイユを扱ってきましたが、少なくともマーテル・ドローローサに関して、本品に最高の芸術性を認めます。





 メダイの裏面はアー・エム(AM)のモノグラムを中央に、薔薇の花環とロゼール(仏 rosaire ロザリオ)で囲みます。薔薇の花環とロゼールは糾(あざな)える縄の如く、一体のものとして表されています。薔薇の花環をラテン語でロサーリウムといいますが、近代諸語のロゼールやロザリオはこれがロマンス語化したものであり、薔薇の花環とロゼールは同じものを指します。すなわち薔薇の花環、ロゼールは聖母に捧げる祈りの象徴であり、一輪一輪の薔薇が天使祝詞(アヴェ・マリアの祈り)を象徴しています。薔薇の花環のすぐ下に「リヨン、リュドヴィク・ペナン」(L. Penin à Lyon)の文字があります。

 薔薇は棘だらけの繁みから伸びた花芽が、棘に傷つくことなく美しい花を咲かせるゆえに、聖母を象徴する花とされます。すなわち聖母マリアは、人祖アダムの妻エヴァと同様に女性でありながら、薔薇の棘、すなわちエヴァが犯した罪ゆえの原罪に傷つくことなく咲き出でた一輪の薔薇、無原罪の御宿りです。本品メダイに彫られた薔薇は極めて精緻であり、八重咲きの花びらの立体感、花の中央に覗く雄しべ、鋸歯状の縁を持つ葉の凹凸と葉脈等、生きた薔薇を完璧に再現しています。薔薇の芳香が漂ってくる錯覚さえも覚えるその出来栄えは、単なる装飾意匠を超えて、聖母その人を身近に感じたいという気持ち、聖母に対する不可視の愛が、美しいロサ・ミスティカ、棘の無い神秘の薔薇として表されたものと考えられます。





 メダイ中央に刻まれたアー・エムのモノグラムは、通常であればアウスピケ・マリアエ(羅 AUSPICE MARIÆ マリアの庇護によりて)を表しますが、本品のアー・エムはロゼールと組み合わされていますので、アヴェ・マリア(天使祝詞)の象徴と考えられます。天使祝詞の前半は「ルカによる福音書」一章二十八節に記録されたガブリエルの言葉に「マリア」という呼びかけを挿入したもので、「アヴェ、マリア」は天使祝詞の冒頭の言葉です。「ルカによる福音書」一章二十八節及び「天使祝詞」の「アヴェ」は「おめでとう」「こんにちは」等とも訳されていますが、このコンテクストにおけるアヴェは単なる挨拶ではありません。すなわち天使祝詞の内容は次の通りです。


    ギリシア語 ラテン語 日本語
   
    Χαῖρε Μαρία κεχαριτωμένη,
ὁ Κύριος μετά σοῦ,
Ἐυλογημένη σὺ ἐν γυναιξὶ,
καὶ εὐλογημένος 
 ὁ καρπὸς τῆς κοιλίας σοῦ Ἰησούς.

Ἁγία Μαρία, μῆτερ θεοῦ, 
πρoσεύχoυ/πρέσβευε 
 ὑπέρ ἡμῶν τῶν ἁμαρτωλῶν,
νῦν καὶ ἐν τῇ ὥρᾳ τοῦ θανάτου ἡμῶν.
Ἀμήν.
AVE MARIA, GRATIA PLENA,
DOMINUS TECUM.
BENEDICTA TU IN MULIERIBUS.
ET BENEDICTUS FRUCTUS VENTRIS TUI JESUS.

SANCTA MARIA MATER DEI, 
ORA PRO NOBIS PECCATORIBUS,
NUNC ET IN HORA MORTIS NOSTRAE. 
AMEN
めでたし 聖寵充ち満てるマリア、
主御身とともにまします。
御身は女のうちにて祝せられ、
御胎内の御子イエズスも祝せられたまふ。

天主の御母聖マリア、
罪人なるわれらのために、
今も臨終のときも祈り給へ。
アーメン。


 「ルカによる福音書」一章二十八節の内容は次の通りです。

    ギリシア語   ラテン語   日本語
             
     καὶ εἰσελθὼν πρὸς αὐτὴν εἶπεν, Χαῖρε, κεχαριτωμένη, ὁ κύριος μετὰ σοῦ.    Et ingressus ad eam dixit: "Ave, gratia plena, Dominus tecum ”.    天使は、彼女のところに来て言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」


 紀元前三世紀から紀元一世紀にかけて、旧約聖書がギリシア語に訳されました。ヘレニズム時代にはこの「七十人訳聖書」が広く用いられ、福音記者ルカも「七十人訳聖書」に通じていたと考えられています。しかるに「七十人訳聖書」の預言書には、次の記述が見られます。

        七十人訳   新共同訳
             
    ゼファニア書
3章14節
  Χαῖρε σφόδρα, θύγατερ Σιών, κήρυσσε, θύγατερ ῾Ιερουσαλήμ· εὐφραίνου καὶ κατατέρπου ἐξ ὅλης τῆς καρδίας σου, θύγατερ ῾Ιερουσαλήμ.   娘シオンよ、喜び叫べ。イスラエルよ、歓呼の声をあげよ。娘エルサレムよ、心の底から喜び躍れ。
             
    ゼカリア書
9章9節
  Χαῖρε σφόδρα, θύγατερ Σιών· κήρυσσε, θύγατερ ῾Ιερουσαλήμ· ἰδοὺ ὁ βασιλεὺς σου ἔρχεταί σοι, δίκαιος καὶ σῴζων αὐτός, πραΰς καὶ ἐπιβεβηκὼς ἐπὶ ὑποζύγιον καὶ πῶλον νέον.   娘シオンよ、大いに踊れ。娘エルサレムよ、歓呼の声をあげよ。見よ、あなたの王が来る。彼は神に従い、勝利を与えられた者/高ぶることなく、ろばに乗って来る/雌ろばの子であるろばに乗って。


 預言者ゼファニアとゼカリアは、それぞれの小預言書において、メシア(救い主)の出現を予告しています。上に引用した箇所の冒頭ではカイレ・スポドラ(Χαῖρε σφόδρα ギリシア語で「大いに喜べ」)という呼びかけが為され、新共同訳では「喜び叫べ」「大いに踊れ」と訳されています。「大いに喜ぶ」理由は、メシアが出現するからです。

 旧約聖書の光に照らすと、「ルカによる福音書」一章二十八節のカイレ(希 Χαῖρε)、ラテン語ではアヴェ(羅 AVE)は、旧約預言書におけるカイレと同様に、メシアの出現を喜ぶ言葉であることがわかります。大天使ガブリエルはマリアに対して単に挨拶しているのではなく、救い主の生誕を予告して、「喜べ、恩寵を受けた女よ」(希 Χαῖρε, κεχαριτωμένη 羅 Ave, gratia plena)と言っています。

 ガブリエルが発した「カイレ」(アヴェ)という呼びかけは、新共同訳では「おめでとう」と訳されています。旧約聖書とギリシア語の知識、及びヘレニズム時代の歴史的背景に関する知識が無ければ、単なる挨拶、あるいはせいぜいマリア個人の「おめでた」(懐妊)を祝福する言葉として読み流してしまいそうになりますが、この一言には、イエスこそが旧約の預言者たちが待ち望んだメシアであるという意味が籠められているのです。




(上) Jan van Eyck, "La Vierge du chancelier Rolin" ou "la Vierge d'Autun", c. 1425, huile sur panneau, 66 x 62 cm, Musée du Louvre


 薔薇の花環とロゼールの外側に、オスピタリエール・ド・ノートル=ダム・エ・ド・サント・マルト(仏 Hospitalières de Notre-Dame et de Ste Marthe 聖母と聖マルタのホスピタル修道女会)、ウーヌム・エスト・ネケッサーリウム(羅 UNUM EST NECESSARIUM 必要なものはただひとつである。ルカ 10:42)の文字が刻まれています。


 中世のフランス東部には、フランス王国とは別の国であるブルゴーニュ公国がありました。ニコラ・ロラン(Nicolas Rolin, c. 1376 - 1462)はブルゴーニュ公フィリップ善良(Philippe le Bon, 1396 - 1467)に仕えた富裕な宰相で、ルーヴルが収蔵するヤン・ファン・エイクの名画「ロランの聖母」の寄進者、およびボーヌ救貧院が収蔵するロヒール・ファン・デル・ウェイデンの多翼祭壇画「最後の審判」の寄進者としてもよく知られています。百年戦争末期の 1443年、ニコラ・ロランは生まれ故郷オータンから東北東に四十キロメートルあまり離れた町ボーヌ(Beaune ブルゴーニュ=フランシュ=コンテ地域圏コート=ドール県)に、現在は美術館及びブルゴーニュ産ワインの競売会場となっているボーヌ救貧院(l'Hôtel-Dieu de Beaune, ou les Hospices de Beaune)を建てさせました。当初、ボーヌ救貧院は聖ブリジット会(l'Ordre de Sainte-Brigitte)によって運営されていましたが、1452年にベギン会が運営を任されるようになりました。ニコラ・ロランはベギン修道女たちを「聖マルタのホスピタル修道女会」(les Hospitalières de Sainte-Marthe)として組織し、同会は 1459年にピウス二世の承認を受けました。

 十七世紀以降、聖マルタのホスピタル修道女会はブルゴーニュ、フランシュ=コンテ、ドーフィネ(いずれもフランス東部)の各地に支部修道院を設立します。そのうちの一か所がブザンソン(Besançon ブルゴーニュ=フランシュ=コンテ地域圏ドゥー県)で、1667年、「七つの悲しみのホスピタル修道女会」(les Hospitalières de Notre-Dame des Sept-Douleurs)が同地に設立されました。1801年12月21日以降、七つの悲しみの修道女会はブザンソン中心街のサン=ジャック救貧院(l'Hôpital Saint-Jacques)を本部修道院とし、フランスおよびスイス各地の救貧院に同会の活動を広めました。





 本品には表(おもて)面にマーテル・ドローローサを浮き彫りにし、裏面にオスピタリエール・ド・ノートル=ダム・エ・ド・サント・マルト(聖母と聖マルタのホスピタル修道女会)の名を刻むゆえに、ブザンソンのホスピタル修道女会のメダイユであることがわかります。

 ウーヌム・エスト・ネケッサーリウム(羅 UNUM EST NECESSARIUM 必要なものはただひとつである)は、「ルカによる福音書」十章四十二節において、忙しく立ち働くマルタに対し、イエス・キリストが自身の話に耳を傾ける妹マリアを見習うように勧めたときの言葉です。ホスピタル修道女会は貧者と病者の世話を通して神に仕えるわけですが、「主の仕事を主ご自身に優先させてはならない」(フランシスコ グェン・ヴァン・トゥアン枢機卿「5つのパンと2ひきの魚」女子パウロ会)ことを忘れないために、本品メダイにこの言葉が刻まれています。





 上の写真は本品を男性店主の手に載せて撮影しています。女性が本品の実物をご覧になれば、写真で見るよりもひと回り大きなサイズに感じられます。





 本品は百数十年前のフランスで制作された真正のアンティーク品ですが、古い年代にもかかわらず極めて良好な保存状態です。浮き彫りはいずれの面においても立体的で、特に聖母は丸彫り像のような三次元性を感じさせますが、突出部分に摩滅はほとんど認められず、大切に伝えられてきた品物であることがよくわかります。既に指摘したように、本品に浮き彫りにされたマーテル・ドローローサは、リュドヴィク・ペナンによるメダイユ浮き彫りの最高傑作です。芸術品としての価値、稀少なアンティーク品としての価値のいずれに関しても、本品は最高度の評価に値します。

 下記は本体価格です。当店の商品は現金一括払い、ご来店時のクレジットカード払いのほか、現金の分割払い(三回払い、六回払いなど。利息手数料なし)でもご購入いただけます。当店ではお客様のご希望に出来る限り柔軟に対応しております。ご遠慮なくご相談くださいませ。





本体価格 46,800円

電話 (078-855-2502) またはメール(procyon_cum_felibus@yahoo.co.jp)にてご注文くださいませ。




悲しみの聖母のメダイ 商品種別インデックスに戻る

様々なテーマに基づく聖母マリアのメダイ 一覧表示インデックスに戻る


様々なテーマに基づく聖母マリアのメダイ 商品種別表示インデックスに移動する

聖母マリアのメダイ 商品種別表示インデックスに移動する


メダイ 商品種別表示インデックスに移動する


キリスト教関連品 商品種別表示インデックスに移動する



アンティークアナスタシア ウェブサイトのトップページに移動する




Ἀναστασία ἡ Οὐτοπία τῶν αἰλούρων ANASTASIA KOBENSIS, ANTIQUARUM RERUM LOCUS NON INVENIENDUS