1930年代頃のフランスで制作されたノートル=ダム・ド・ルルド(ルルドの聖母)のメダイ。縦 27ミリメートル余、横 16ミリメートル余、最大の厚さ 3.2ミリメートルと大きめのサイズです。
メダイの表(おもて)面には、1858年3月25日、十六回目に出現したルルドの聖母を浮き彫りにしています。この日、聖母はベルナデットに四度続けて名を問われ、「わたしは無原罪の御宿りです」(Je suis l'Immaculée Conception.) と答えました。本品において、この言葉は聖母の後光を取り巻くように刻まれています。
右腕にロザリオを掛け、胸の前に両手を合わせて目を天に向けた聖母は、茨の繁みに裸足で立っています。聖母の素足が薔薇の棘に傷つかないのは、聖母がエヴァの罪に傷つかずに咲き出でた奇(くす)しき薔薇、ロサ・ミスティカであるからです。
この面の浮き彫りは非常に立体的で、聖母の体は背景から前方に大きく張り出しています。これだけ突出した部分は磨滅しやすいはずですが、本品の保存状態は極めて良好で、大きく突出した顔や手、腿のあたりにも、目立つ磨滅箇所はありません。実物をご覧になればお分かりいただけますが、足元の茨が入り組んだ様子、周囲の岩のごつごつした様子もよく再現されており、メダイユ彫刻家の優れた技量がよくわかります。聖母像の向かって右下方に彫刻家の署名がありますが、判読が困難です。
上の写真に写っている定規のひと目盛は 1ミリメートルです。聖母の姿が人体の正しい比例に基づいて彫刻されているのはもちろんのこと、いずれも 1~2ミリメートルという極小サイズである顔、手、足も正確に造形されています。優しい表情を浮かべる聖母の整った顔立ちには、慈愛があふれています。
裏面の手前にはマサビエルの岩場における聖母出現の場面を、左の遠景にはルルドのバシリカを浮き彫りにしています。出現の場面におけるベルナデットは、ヴェールを被り、腕にロザリオを掛けて跪き、聖母を見上げて祈りを捧げています。
ベルナデットの傍らに薪の束が置かれています。正確にいえば、ベルナデットが薪拾いをしていたのは聖母が第一回目に出現したときです。しかるに本品の裏面に刻まれた聖母は、表(おもて)面の聖母と同様に、十六回目の出現時の姿です。歴史的事実とメダイの描写に齟齬(そご 食い違い)があるわけですが、聖母が「われは無原罪の御宿りなり」と名乗り、その前に跪くベルナデットの傍らに薪の束を配するのは、ルルドのメダイや聖画における定型化した表現となっています。
手前に聖母出現の場面、左奥にバシリカを描くのも、19世紀以来行われている定型的表現です。実際のところは、バシリカが建設されたのは聖母出現の十八年後ですし、ルルドのバシリカはマサビエルの岩場を被うように建てられています。
(下・参考画像) 本品の裏面と同様の構図による 1870年代のメダイ。手前にマサビエルの岩場、左後方にバシリカが見えます。当店の商品。
このように本品は伝統的構図を踏襲してはいますが、精緻な彫刻の美しさは他の作品群をはるかに凌ぎます。こちらの面の彫刻はもう一方の面よりもさらに細かく、聖母の顔は直径
1ミリメートルの円に収まります。幾分磨滅してはいますが、聖母の整った顔立ちには優しい表情が宿り、衣の襞は自然な流れで表現されています。ロザリオのビーズはひとつひとつが球形に整えられています。ベルナデットの横顔には篤い信仰心が見て取れます。若い女性らしい体つきは言うに及ばず、衣とヴェールの流れるような襞、傍らに置かれた薪の束も、全く自然です。筆者(広川)はこれまでに数多くの「ルルドのメダイ」を見ていますが、本品のミニアチュール彫刻は、すべての年代を通して最も優れた作例のひとつです。
本品が制作された 1930年代は、ヨーロッパをはじめ全世界が未曾有の世界大戦に突入する前夜です。アドルフ・ヒトラーの野望によって始まった第二次世界大戦は、フランスの国土を戦場と化し、軍人、民間人ともに数えきれない死者と孤児を生み出すことになります。当時のフランスにおいて、いかに多くの大人と子供が、悲母(愛情深い母)ノートル=ダム・ド・ルルドに縋(すが)り、救いを求めたことでしょうか。
本品はおよそ 80年前に鋳造された真正のアンティーク品ですが、摩耗はまったく見られず、細部までよく残っています。新品のように良好な保存状態でありながら、真正のアンティーク品ならではの趣(おもむき)あるパティナ(古色)が、メダイ全体を均一に被っています。優れた細密彫刻による美しい作品です。