悪魔を倒す戦士ミカエル モン=サン=ミシェル修道院 サン・ピエール教会の大天使 戦間期の大型メダイ 直径 25.0 mm


突出部分を除く直径 17.3 mm

フランス  1910 - 30年代



 北フランス、ノルマンディーのサン=マロ湾(la baie de Saint-Malo)に浮かぶモン=サン=ミシェル修道院(L'abbaye Mont-Saint-Michel)のメダイ。ソミュール(Saumur ペイ・ド・ラ・ロワール地域圏メーヌ・エ・ロワール県)のメダイユ工房ジャン=バルム(Jean-Balme)が制作した品物で、二十五ミリメートルの直径があり、聖ミカエル(大天使ミカエル)のメダイとしては最も大きな作例のひとつです。





 メダイの表(おもて)面には、鎖帷子(くさりかたびら チェーン・メイル)を着て冠を戴いた全軍の将サン・ミシェル(聖ミカエル)が、悪魔の象徴であるドラゴン(竜)を踏みつけ、剣を振り下ろそうとする瞬間が浮き彫りにされています。浮き彫りの周囲にはフランス語で「サン・ミシェル・アルカンジュ」(St. Michel Archange 大天使サン・ミシェル、大天使聖ミカエル)の文字が刻まれています。





 天使も悪魔も肉体を持たない霊であるゆえに、サン・ミシェルの剣もまた現実の鉄製武器ではなく、むしろ神の意思を形象化します。そもそも剣は偉大な霊力を有する特別な物品と考えられており、この観念は洋の東西を問いません。

 わが国の古代神話において、素戔嗚(すさのお)は八岐大蛇(やまたのおろち)の尾から天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)を得、倭建命(やまとたけるのみこと)もこの剣を使います。素戔嗚の八岐大蛇退治は東晋の「捜神記」に類話があり、少女が剣で大蛇を殺します。時代は下って明代の「三国志演義」には、劉備と孫権の剣が甘露寺の庭の大石を十字に断つ話があります。このとき二人の刀が石を断ち割ったのは、刃の物理的強さによるのではなく、曹操を滅ぼして漢王朝を再興する志によります。

 翻って西洋では、オイル語による最古の武勲詩「ローランの歌」("Chanson de Roland" 十一世紀)に、霊剣デュランダル(Durandal)が登場します。ピレネー山中ロンスヴォー峠において最期を迎えるとき、騎士ローランはデュランダルがイスラム教徒の手に渡るのを避けるため、これを岩に打ち付けて折ろうとしますが、却って岩が切り裂かれ、霊剣はまったく傷みませんでした。

 霊剣デュランダルの行方は杳として知れませんが、一説にはニュルンベルクの国立ゲルマン博物館(das Germanische Nationalmuseum, GNM)にある宝剣がそれであるとも、ロカマドゥールの岩の割れ目に挟まっているのがそれであるとも言われています。デュランダルの場合は物語に神秘的要素が薄れていますが、単に硬く鋭い剣でないことは言うまでもなく、常軌を逸した性能は剣の霊力に由来すると考えられます。





 本品に浮き彫りにされたミカエルは、左手に小さな楯を持っています。楯には十字架とサクレ=クール(le Sacré-Cœur 聖心)が表されています。

 「ヨハネによる福音書」十五章十三節において、イエスは「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。」と語り給いました。神の子羊イエスの十字架は、極点に達した神の愛の表現です。人知を絶する強さゆえに愛の炎を吹き上げる心臓は、やはり神の愛の視覚化です。


 「ミカエル」という名は「神の如き者」という意味のヘブル語で、ラテン語では「クイー・ウト・デウス」(羅 QUI UT DEUS)と訳されます。しかしながらユダヤ・キリスト教に半神は存在しません。高位の天使を含め、神でない有(羅 ENTES 存在者)は単なる被造物に過ぎません。したがって「クイー・ウト・デウス」という名は決して「神のような有(存在者)」という意味ではなく、むしろ「クイー・アギット・ウト・デウス・アガット」(羅 QUI AGIT UT DEUS AGAT)、すなわち「神の御心通りに振舞う者」という意味に解せます。

 十字架と聖心をあしらった楯の意匠は、ミカエルの武器が神の意志であること、さらに神の意志とは神の愛に他ならないことを示しています。また楯の小ささは、愛こそが最強の武器であり、愛さえあれば別の大きな楯に頼る必要が無いことを示しています。





 上の写真に写っている定規のひと目盛りは、一ミリメートルです。本品の浮き彫りは極めて細密で、大天使と竜の顔かたち、大天使の鎖帷子や楯の造形、竜の鱗の造形などの細部が、数十分の一ミリメートルの正確さで浮き彫りにされています。


 モン=サン=ミシェル修道院は外敵の侵入に対抗する要塞型建築であり、島の基部は頑丈な城壁に守られています。島内に入るには跳ね橋を渡り、1435年に造られたラ・ポルト・デュ・ロワ(仏 la porte du roi 王の門)を通過する必要があります。この後にもさらに四つの門を通り過ぎると、島内唯一の街路である「ラ・グランド・リュ」(仏 la Grande Rue 大通り)の起点にたどり着きます。「ラ・グランド・リュ」の終点は塔付きの小さな聖堂で、レグリーズ・サン=ピエールという教会です。

 レグリーズ・サン=ピエール(仏 L'église Saint-Pierre 聖ペトロ教会、サン・ピエール教会)は十一世紀に建設され、十五世紀から十六世紀にかけて大規模に改装されたロマネスク様式の教区教会で、十三世紀の洗礼盤や十五世紀の彫像群、パリの金銀細工工房シェルティエ(Chertier)が1873年に制作した主祭壇など、素晴らしい調度を有します。





 レグリーズ・サン=ピエールの鐘楼基部は、南に開口する玄関でした。しかしながら南入口は塞がれて、1885年、玄関はラ・シャペル・サン・ミシェル(la Chapelle St. Michel 聖ミカエル礼拝堂)に改造されました。本品に刻まれている大天使ミカエル(聖ミシェル)像は、1895年以来、ラ・シャペル・サン・ミシェルに安置されています。

 大天使像は全体を銀の板に覆われた 1877年の作品で、龕(がん 壁の窪み)に納められています。大天使は竜の姿のサタン(堕天使の首領、悪魔)を踏みつけ、止めを刺すために剣を振り上げています。像は 2004年に修復を受けています。


(下) レグリーズ・サン=ピエールの大天使ミシェル像 フランスの古い絵はがきより。




 モン=サン=ミシェルはフランス革命期に修道士たちが追放された後、監獄に転用されました。ヴィクトル・ユゴー(Victor Hugo, 1802 - 1885)はモン=サン=ミシェルに設置された監獄の存在を嘆き、この囹圄(れいぎょ)を尊い聖遺物箱に潜むヒキガエルに喩えました。

 モン=サン=ミシェル監獄はユゴーをはじめとする知識人の批判を受け、第二帝政期である 1863年、皇帝ナポレオン三世によって閉鎖されました。1874年には歴史的記念建造物(仏 monument historique)に指定され、ともにヴィオレ=ル=デュク(Eugene Emmanuel Viollet-le-Duc, 1814 - 1879)の弟子である建築家、エドゥアール=ジュール・コロワイェ(Edouard-Jules Corroyer, 1835 - 1904)とポール・グゥ(Paul Gout, 1852 - 1923)によって修復作業が進められました。レグリーズ・サン=ピエールの「竜を倒す大天使ミカエル」像が制作された 1877年は、モン=サン=ミシェルの復興が始まった最初期に当たります。





 もう一方の面には百合らしき植物が左に寄せて彫刻され、向かって右側の広い空間に名前や日付を彫り込めるようになっています。本品は戦間期の作例です。第二次世界大戦後のフランスでは急速な世俗化が進行し、日常生活におけるカトリック信仰の影響もすっかり薄れてしまいました。しかしながら戦間期以前のフランスでは十九世紀以前の精神的遺風が色濃く遺されており、宗教的主題のメダイユが多くの人に愛用されました。本品はそのような時代の品物で、現代とは違った時代の雰囲気をよく伝えています。





 上の写真は本品を男性店主の手に載せて撮影しています。本品のサイズはかなり大きめですが、女性が実物をご覧になれば、さらに大きなサイズに感じられます。


 本品が制作されたのは第一次世界大戦の前後から第二次世界大戦前にかけての時代です。非戦闘員を巻き込んだ最初の大量殺戮戦となった第一次世界大戦は、フランスをはじめとするヨーロッパ諸国に癒し難い傷を残しました。第一次世界大戦では戦場で毒ガスが使用され、至る所に地雷が埋められました。仏独の間に位置するベルギーでは当時の地雷が未だに年間三百発も掘り出され、完全な除去にはあと二、三百年が必要と言われています。

 戦争は愛の欠如そのものの現象化です。第一次世界大戦が終わった後、当時の人々は恒久平和と不戦を心から誓ったに違いありません。それにもかかわらず、先の大戦を上回る規模の第二次世界大戦が、間もなく惹き起こされました。神の愛を唯一の武器として悪魔と戦う聖ミカエルの姿は、二十世紀のヨーロッパ史を知る我々の心を揺さぶります。





 本品は百年近く前のフランスで制作された真正のアンティーク品ですが、たいへん良好な保存状態です。特筆すべき問題は何もありません。

 サン・ミシェルを浮き彫りにした面は緩やかな擂鉢(すりばち)状に凹んでいるため、浮き彫りの強い三次元性にもかかわらず、メダイユ全体の厚みは抑えられています。また浮き彫りの大部分がメダイユの縁よりも低い位置にあるために摩滅が生じにくく、古い年代にもかかわらず、大天使の表情や身に纏う鎖帷子、竜の鱗などの細部がよく残っています。





18,800円

電話 (078-855-2502) またはメール(procyon_cum_felibus@yahoo.co.jp)にてご注文くださいませ。




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