高慢と悪意に止めを刺す愛の剣 《モン=サン=ミシェル修道院 サン・ピエール教会の大天使ミカエル》 神の如き者とは誰か


突出部分を除く直径 21.2 mm

フランス  1940 - 50年代



 北フランス、ノルマンディーのサン=マロ湾(la baie de Saint-Malo)に浮かぶモン=サン=ミシェル修道院(L'abbaye Mont-Saint-Michel)のメダイ。二十一ミリメートル強の直径があり、比較的大きめの作例です。





 メダイの表(おもて)面には、修道院の列柱を背景に、鎖帷子(くさりかたびら チェーン・メイル)を着て冠を戴いた天の全軍の将サン・ミシェル(聖ミカエル)が、悪魔の象徴であるドラゴン(竜)を踏みつけ、止(とど)めの剣を振り下ろそうとする瞬間が浮き彫りにされています。大天使の前には「クイス・ウト・デウス」(QUIS UT DEUS)の文字が刻まれています。

 「クイス・ウト・デウス」は「神の如き者は誰か」(QUIS UT DEUS EST?)というラテン文をより簡潔に表したフレーズです。これはへブル語の名前ミカエル(MICHAEL)のラテン語訳であるとともに、神と対等になろうとして反逆したサタンを詰問する言葉でもあります。神に愛された天使ルキフェル(羅 LUCIFER 光ある者、の意)は、自己の極大化を試みて神に背き、サタンとなりました。神の如き者になろうとして、却って自己を卑しめ、多くの人に不幸をもたらしたのです。これとはまったく対照的に、大天使ミカエルは神の意思に逆らうことが決してありません。ミカエルは神のうちに自己を消し去り、神との完全な一致を達成することで、却って「神の如き者」となりました。




(上) モン=サン=ミシェル修道院内、レグリーズ・サン=ピエール(聖ペトロ教会)に安置されている像。本品の浮き彫りのモデルです。フランスの古い絵はがきより。


 ミカエルが振り下ろす剣は波状の刃を持つ独特の形です。天使は自存する形相、肉体を持たない霊であるゆえに、ミカエルの剣もまた現実の鉄製武器ではなく、むしろ神の意思を形象化します。

 そもそも剣は偉大な霊力を有する特別な物品と考えられており、この観念は洋の東西を問いません。東洋に目を向けると、わが国の古代神話において、素戔嗚(すさのお)は八岐大蛇(やまたのおろち)の尾から天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)を得、倭建命(やまとたけるのみこと)もこの剣を使います。素戔嗚の八岐大蛇退治は東晋の「捜神記」に類話があり、少女が剣で大蛇を殺します。南九州を中心とする西日本では、古墳時代の蛇行剣が出土します。これはミカエルの剣と同様の波状の刃を持つ剣で、霊力を重視した儀礼用と考えられています。時代は下って明代の「三国志演義」には、劉備と孫権の剣が甘露寺の庭の大石を十字に断つ話があります。劉備と孫権の剣の刃は波状ではありませんが、二人の刀が石を断ち割ったのは刃の物理的強さによるのではなく、曹操を滅ぼして漢王朝を再興する志によります。

 翻って西洋では、オイル語による最古の武勲詩「ローランの歌」("Chanson de Roland" 十一世紀)に、霊剣デュランダル(Durandal)が登場します。ピレネー山中ロンスヴォー峠において最期を迎えるとき、騎士ローランはデュランダルがイスラム教徒の手に渡るのを避けるため、これを岩に打ち付けて折ろうとしますが、却って岩が切り裂かれ、霊剣はまったく傷みませんでした。霊剣デュランダルの行方は杳として知れませんが、一説にはニュルンベルクの国立ゲルマン博物館(das Germanische Nationalmuseum, GNM)にある宝剣がそれであるとも、ロカマドゥールの岩の割れ目に挟まっているのがそれであるとも言われています。デュランダルの場合は物語に神秘的要素が薄れていますが、単に硬く鋭い剣でないことは言うまでもなく、常軌を逸した性能は剣の霊力に由来すると考えられます。

 なお中世西ヨーロッパにおいてフランベルジュ(仏 flamberge)と呼ばれる剣が戦闘で実用されており、これは殺傷力を高めるために波状の刃を有していました。フランベルジュはゲルマン語のフローベルガ(frōberga)がラムダシスム(仏 lambdacisme r が l に置換される現象)を経て出来た語ですが、フローベルガの語源は「人(fro)を守る(bergan)」です。しかるに古高ドイツ語、古ザクセン語、古低地フランク語の動詞ベルガン(bergan)は、印欧基語まで遡っても超自然力の介在を示唆する語や音素とは結びつきません。したがってフローベルガ、フランベルジュは、単なる物理的な力で使い手を守る器物の意に解せます。そうであれば波状の刃が必ずしも霊力を象徴するとは言えないわけですが、天使の剣の形状が波状であるのは、やはり霊の剣と通常の剣との違いを際立たせるためであろうと筆者(広川)は考えています。





 本品に浮き彫りにされたミカエルは、左手に小さな楯を持っています。メダイの浮き彫りは小さなサイズなので楯の模様が分かりませんが、サン・ピエール教会に安置されてiいる聖ミカル像を見ると、楯には十字架とサクレ=クール(le Sacré-Cœur 聖心)が表されています。

 「ヨハネによる福音書」十五章十三節において、イエスは「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。」と語り給いました。神の子羊イエスの十字架は、極点に達した神の愛の表現です。人知を絶する強さゆえに愛の炎を吹き上げる心臓は、やはり神の愛の視覚化です。


 ミカエルというヘブル語の名前は、「神の如き者は誰か」(QUIS UT DEUS EST?)という疑問文に訳せる一方、疑問詞クイス(QUIS)の代わりに関係代名詞クイー(QUI)を使って「神の如き者」(羅 QUI UT DEUS)とも訳せます。しかしながらユダヤ・キリスト教に半神は存在しません。高位の天使を含め、神でない有(羅 ENTES 存在者)は単なる被造物に過ぎません。したがって「クイー・ウト・デウス」(神の如き者)という名は決して「神のような有(存在者)」という意味ではなく、むしろ「クイー・アギット・ウト・デウス・アガット」(羅 QUI AGIT UT DEUS AGAT)、すなわち「神の御心通りに振舞う者」という意味に解せます。

 十字架と聖心をあしらった楯の意匠は、ミカエルの武器が神の意志であること、さらに神の意志とは神の愛に他ならないことを示しています。また楯の小ささは、愛こそが最強の武器であり、愛さえあれば別の大きな楯に頼る必要が無いことを示しています。





 上の写真に写っている定規のひと目盛りは、一ミリメートルです。本品の浮き彫りは薄絹を通して見るかのような柔らかさを有しつつも充分に細密であり、大天使とドラゴンの顔かたち、大天使の翼と王冠などの細部が、数十分の一ミリメートルの正確さで浮き彫りにされています。





 もう一方の面には、サン=マロ湾に浮かぶモン=サン=ミシェル修道院が、細密な浮き彫りで正確に再現されています。修道院を囲む城壁よりも低い所には、逆巻く波が彫られています。

 サン=マロ湾の潮汐の激しさは世界的に有名で、大潮の潮位差は十四メートルに達します。1966年にはサン=マロ湾に注ぐランス川の河口に潮汐発電所(l'Usine marémotrice de la Rance)が建設されました。サン=マロ湾が危険であることは昔も今も変わりませんが、特に干潟を何キロメートルも歩いて修道院に向かうしかなかった時代には、干満の時刻を確かめずに湾を渡り始めた巡礼者が、途中でマスカレ(仏 mascaret 海嘯、潮津波)に呑まれて溺死する事故が相次ぎました。

 メダイに彫られたモン=サン=ミシェル修道院は、泡立ち逆巻く怒涛を見下ろして堂々たる姿を見せています。さしもの海嘯も修道院の厚い城壁に阻まれて、修道者や巡礼者に何の危害も加えることができません。祈りの場であるモン=サン=ミシェル修道院が自然の猛威に屈することなく聳え立つ様子は、神に全く従う「クイー・ウト・デウス」ミカエルが、猛る地上の王、ドラゴンとして表されたサタンを倒す様(さま)と呼応しています。


 モン=サン=ミシェル修道院は外敵の侵入に対抗する要塞型建築であり、島の基部は頑丈な城壁に守られています。島内に入るには跳ね橋を渡り、1435年に造られたラ・ポルト・デュ・ロワ(仏 la porte du roi 王の門)を通過する必要があります。この後にもさらに四つの門を通り過ぎると、島内唯一の街路であるラ・グランド・リュ(仏 la Grande Rue 大通り)の起点にたどり着きます。ラ・グランド・リュの終点は塔付きの小さな聖堂で、レグリーズ・サン=ピエールという教会です。

 レグリーズ・サン=ピエール(仏 L'église Saint-Pierre 聖ペトロ教会、サン・ピエール教会)は十一世紀に建設され、十五世紀から十六世紀にかけて大規模に改装されたロマネスク様式の教区教会で、十三世紀の洗礼盤や十五世紀の彫像群、パリの金銀細工工房シェルティエ(Chertier)が1873年に制作した主祭壇など、素晴らしい調度を有します。

 レグリーズ・サン=ピエールの鐘楼基部は、南に開口する玄関でした。しかしながら南入口は塞がれて、1885年、玄関はラ・シャペル・サン・ミシェル(la Chapelle St. Michel 聖ミカエル礼拝堂)に改造されました。本品に刻まれている大天使ミカエル(聖ミシェル)像は、1895年以来、ラ・シャペル・サン・ミシェルに安置されています。大天使像は全体を銀の板に覆われた 1877年の作品で、龕(がん 壁の窪み)に納められています。大天使はの姿のサタン(堕天使の首領、悪魔)を踏みつけ、止めを刺すために剣を振り上げています。像は 2004年に修復を受けています。





 モン=サン=ミシェルはフランス革命期に修道士たちが追放された後、監獄に転用されました。ヴィクトル・ユゴー(Victor Hugo, 1802 - 1885)はモン=サン=ミシェルに設置された監獄の存在を嘆き、この囹圄(れいぎょ)を尊い聖遺物箱に潜むヒキガエルに喩えました。

 モン=サン=ミシェル監獄はユゴーをはじめとする知識人の批判を受け、第二帝政期である 1863年、皇帝ナポレオン三世によって閉鎖されました。1874年には歴史的記念建造物(仏 monument historique)に指定され、ともにヴィオレ=ル=デュク(Eugene Emmanuel Viollet-le-Duc, 1814 - 1879)の弟子である建築家、エドゥアール=ジュール・コロワイェ(Edouard-Jules Corroyer, 1835 - 1904)とポール・グゥ(Paul Gout, 1852 - 1923)によって修復作業が進められました。レグリーズ・サン=ピエールの「ドラゴンを倒す大天使ミカエル」像が制作された 1877年は、モン=サン=ミシェルの復興が始まった最初期に当たります。





 上の写真は本品を男性店主の手に載せて撮影しています。本品のサイズは大きめですが、女性が実物をご覧になれば、もうひと回り大きなサイズに感じられます。


 本品が制作されたのは第二次世界大戦の終結からあまり時間が経っていない二十世紀半ばです。第一次世界大戦の反省と恒久平和・不戦の誓いにもかかわらず、二度目の世界大戦が間もなく惹き起こされ、人々の心と体に先の大戦を上回る傷跡を遺しました。地上を支配する悪意と高慢を相手に、神の愛を唯一の武器として戦う聖ミカエルの姿は、二十世紀の歴史を知る我々の心を揺さぶります。

 モン=サン=ミシェルはフランス有数の観光地ですが、第二次世界大戦のすぐ後にこの地を訪れた人たちは、単なる観光客ではなくむしろ巡礼者の心を以て、愛の剣が悪に打ち勝ち、地上のミゼールを追い払うよう、神に祈ったに違いありません。





 本品の浮き彫りは両面とも優れた出来栄えですが、ドラゴンを倒すミカエルを浮き彫りにした面は彫られたものの輪郭が特に美しくぼかされ、目に見えない霊の戦いを描くに相応しい神秘性に満ちています。拡大写真ではわかりにくいですが、ミカエルの顔からは神に由来する聖性の光が放たれて、闇を吐く如きドラゴンの毒気を世界の隅へと追いやっています。

 本品は数十年前のフランスで制作された真正のアンティーク品(ヴィンテージ品)ですが、保存状態は極めて良好です。特筆すべき問題は何もありません。





16,800円

電話 (078-855-2502) またはメール(procyon_cum_felibus@yahoo.co.jp)にてご注文くださいませ。




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