失蠟法による一点もの 《地上を歩む上智の座 聖母子のペンダント 28.4 x 25.4 mm》 六色のガラスによるエマイユ・シャンルヴェ 自然主義と抽象、伝統的観念を融合した芸術品 フランス 二十世紀中頃


縦 28.4 x 横 25.4 mm  最大の厚さ 3.7 mm  重量 10.0 g


本体価格 35,800円



 大地を思わせる褐色を背景に、幼子イエスを背負って歩む聖母を描いたメダイユあるいはペンダント。六色の不透明ガラスによるエマイユ・シャンルヴェが使用されています。エマイユ・シャンルヴェはフランスの伝統工芸であり、古代以来の観念である上智の座を可視的した本品にクラシカルな表情を与えています。その一方で光背を伴わず写実的な黒髪で表された聖母は、救い主を受け入れる一般のキリスト者と重ね合わせるように表現されています。





 本品を一見してわかる特徴は、聖母子の姿が簡略化されていることです。

 哲学や神学の観念を可視化するために、中世以降のヨーロッパでは様々な図像表現が工夫されるとともに、図像に現実味を与える写実的表現が追求されました。救い主はこの世界に受肉され、現実に人々の間で教え給うたのですから、宗教的価値を可視的な形で表現することは必ずしも間違いではありません。とりわけ抽象的思考に縁遠い民衆を教化するには、目で見て手で触れることができる現実世界のうちに宗教的事象を位置づけ、表現する必要がありました。それゆえ公教会(カトリック教会)はフレスコ画やステンドグラスで民衆を教化してきたし、反宗教改革以降は宗教美術にいっそう力を入れました

 その一方で、キリスト教の考え方によると、人間の知性は神の属性を捉えることができません。神がどのような方であるかは、全くわからないのです。それゆえどれほど精緻かつ巧みな表現を用いても、それが人の手によるものである限り、神的なるものの表現としてはまったく不適当であるといえます。どれ程優れた芸術によっても、どれほど委曲を尽くした言葉によっても、人間の知性は神の属性に近づくことはできません。その意味で宗教美術は根本的な矛盾を孕んでおり、もともと無理なことを成し遂げようとする試みとも言えます。





 本品は二十世紀半ばのフランスで制作された作品です。この時代の有力な美術思想にミニマリズムがあります。ミニマリズムの中心人物のひとりであった建築家ルートヴィヒ・ミース・ファン・デア・ローエ(Ludwig Mies van der Rohe, 1886 - 1969)は、レス・イズ・モア(英 Less is more.)、すなわち「最小限に切り詰めた表現によって、より豊かな内容をあらわすことができる」という言葉で知られます。ミニマリストたちは作品の細部を捨象することにより、かえって豊かな内容が作品のうちに包摂されることに気づきました。あらゆる事物は単純な面や線に還元されましたし、その逆もまた真で、単純な面と線はあらゆる事物に対応しました。

 このようなミニマリズムの理念はキリスト教美術にも大きな影響を与えました。ミニマリスティックな面と線がいくら多くの事物を包摂すると言っても、神の属性を表すことは相変わらず不可能です。しかしながら神を表すことは不可能であっても、現実の人間として地上に生きたイエスや聖母を図像に表すことはできます。その際にミニマリスティックな表現を援用すれば、あらゆる国や地域、文化的コンテクストに属する人々に親和性のある美術表現が可能になります。これに加えて具象性を排除することにより、不可視の価値の範型、事物のイデアとしての神に到達することはできないまでも、近づこうと試みることはできるでしょう。


 輪郭線を残して地板を彫りくぼめ、そこにエマイユを溜める技法をシャンルヴェ(仏 champlevé)といいます。本品は六色の不透明ガラスの粉末をブロンズのくぼみに入れ、完全に液化するまで加熱した後に冷却し、艶やかな七宝としています。

 本品の聖母子には幾つかの特徴があります。その特徴を順不同に指摘するならば、一つめは幼子イエスだけに光背があり、聖母には無いこと。二つめは、聖母が青い衣を着ていること。三つめは、聖母が黒髪であること。四つめは、背景となるブロンズに凹凸の文様が施され、あたかも地面のように見えること。五つめはイエスが真っ白な衣を着、セルリアン・ブルーの光背を頂いていることです。





 イエスの純白の衣は言うまでもなく罪の無さを表します。またセルリアン・ブルーのガラスに埋められた円形の光背は、イエスが天上の存在であることを示します。なぜなら円は始めも終わりも無い永遠性と完全性を有するゆえに、神的なるものの象(かたど)りであるからです。またセルリアン(英 cerulean)という語はラテン語カエルム(羅 CÆLUM 天空)の形容詞形カエルレウス(羅 CÆRULEUS)に由来し、天空の、天上のという意味だからです。

 これに対し、聖母の髪が黒いのはパレスチナのユダヤ人であるからでしょう。特定の地域や人種を連想させる表現はミニマリズムに馴染みませんが、聖母がパレスチナのユダヤ人であったことは周知の歴史的事実ですから、聖母の髪を何らかの色で表すとすれば必然的に黒になるでしょう。聖母の衣が青いのは、キリスト教図像の伝統的コード、より正確に言えばルネサンス期以降の西ヨーロッパにおける図像表現のコードに従う表現です。中世以前の図像において、聖母は黒や褐色の衣を着ていました。褐という漢字は粗衣を表します。パレスチナに生きた現実の聖母は粗衣を着ていたはずですが、本品の聖母の衣を褐色にすると、聖クリストフォロスと区別がつかなくなります。




(上) Peter Paul Rubens, Kreuzabnahme, 1612, Liebfrauenkathedrale, Antwerpen


 クリストフォロス(Χριστόφορος)は古典ギリシア語で、クリストス(希 Χριστός)の語根クリスト "Χριστ-" と、運ぶ人を表すフォロス "-φορος" を、アンテパエヌルティマ(後ろから三番目の母音)の "-ο-" で繋いだ語です。すなわちクリストフォロスはキリストを運ぶ人という意味で、本来固有名詞ではありません。

 上の写真はペーター・パウル・ルーベンス(Peter Paul Rubens, 1577 - 1640)の手に成るアントウェルペン司教座聖堂翼廊の三翼祭壇画です。ルーベンスは火縄銃の射手組合から注文を受けてこの祭壇画を描きました。火縄銃射手組合の守護聖人は聖クリストフォロスで、この三翼祭壇画を閉じれば幼子イエスを背負う聖クリストフォロスが現れます。

 ルーベンスはこの祭壇画の中央パネルにおいて、キリストの遺体を受け取る群像を描いています。向かって左側のパネルには、イエスを孕む妊婦マリアが描かれています。向かって右側のパネルには、イエスを抱く祭司シメオンが描かれています。三つのパネルに描かれた人々の共通点はキリストを孕み、抱き、受け取っていること、すなわち聖クリストフォロスと同様に、キリストを運んでいることです。キリストを運ぶとはキリストを受け入れ、身に帯びる信仰を表します。ルーベンスはミニマリズムと無関係ですが、「イエスを受け容れる信仰」という不可視の価値を、具象画により見事に表現しています。





 本品の聖母は青い衣を着ています。キリスト教の象徴体系において、青は智恵を表します。

 十字架上に刑死したイエスを救い主と信じることは、普通に考えれば愚かなことです。しかしながら使徒パウロが「コリントの信徒への手紙 一」一章十八節から二十五節で言うように、キリストを信じて受け容れるのは救いに至る智恵です。本品の聖母がまとう青い衣は、このことを表しています。

 古代以来、聖母は地上におけるケルビムに喩えられました。なぜならばロゴス(希 λόγος ヨハネ 1:1 - 4)であるイエスは神の智恵(希 σοφία 上智)に喩えられ、しかるにケルビム(智天使)は地上における神の座であるからです。ロマネスクの聖母子像をはじめ、幼子イエスを膝に乗せた聖母はセーデース・サピエンティアエ(羅 SEDES SAPIENTIAE)すなわち智恵の座と呼ばれます。受胎告知の際、少女マリアは「お言葉どおり、この身になりますように」と答えて救いを受け入れました。智恵の座の聖母の図像は、救いを受け入れた聖母の信仰を表しています。


 本品は聖クリストフォロス像ではなくて聖母子像ですが、キリストを受け入れる信仰を表す点で聖クリストフォロス像に似ています。聖母に光背が無く、パレスティナに住む黒髪の一女性として表されているのも、聖母が我々と同じ人間であることの表現と見做せます。

 本品において幼子を背負う聖母は玉座にも着かず佇立もせず、パレスティナの荒れ野を思わせる土色を背景に、少し前かがみの姿勢で歩みを進めています。これは地上において生の歩みを日々進める我々に、聖母子が常に寄り添い給うことを表します。

 なお本品は抽象美術の影響を受けつつも人体の形状を放棄せず、聖母の髪の色や背景の色と質感において自然主義に接近しています。無垢の白と智恵の青は伝統的観念である無垢のアーグヌス・ディーと智恵の座の聖母の観念を、それぞれの色が持つ伝統的象徴性によって表現しています。ミニマリズムのような純粋芸術は理論に偏して高踏的になり、我々が生きる生からも芸術家自身の生からも遊離した根なし草のようなものになりがちですが、本品は芸術の水準を保ちつつ我々の生活に寄り添うアルス(羅 ARS 技術)の本源に立ち返り、身に着けられる美術工芸品に仕上がっています。





 上の写真は本品を男性店主の手に乗せて撮影しています。女性が本品の実物をご覧になれば、捨身で見るよりもひと周り大きなサイズに感じられます。

 メダイユの制作方法には鋳造と打刻の二通りがあり、本品は鋳造によって制作されています。打刻は貨幣の製造に使われるのと同じ方法で、産業的な大量生産に向いています。一方鋳造は溶融した金属を一点ずつ鋳型に流し込む必要がありますし、型から取り出した一点一点のメダイユを手作業で研磨しなければなりません。さらに本品の場合は多色のフリット(ガラス粉末)を窪みに入れて再加熱し、美しいエマイユとしています。

 とりわけ本品は金属のダイ・カスト法ではなく、失蠟法(ロスト・ワックス法)で制作されています。失蠟法の鋳型は一回しか使えませんから、本品は世界に一つしか無い一点ものです。





 本品はキリスト教文化圏のフランスで制作されたため聖母子をモティーフにしていますが、信心具ではありませんのでどなたにでも心置きなくお使いいただけます。10.0グラムの重量は百円硬貨二枚分とほぼ同じで、手に取ると心地よい重みがあります。

 不思議のメダイをはじめ、現代の品物には樹脂でエマイユを模したものが多くありますが、本品はガラスを溶融させた真正のエマイユです。ガラスは割れやすいのではないかとの心配される方があるかもしれませんが、本品のエマイユはしっかりと作られていて罅(ひび)も剥落も無く、またガラスの面積もさほど大きくありませんから、今後も剥落することはありません。安心してご愛用ください。

 本品は二点目の制作が不可能な失蠟法でメダイユを作り、エマイユ職人がシャンルヴェを施した全くの一点ものです。お買い上げいただいた方には末永くご満足いただけます。





本体価格 35,800円

電話 (078-855-2502) またはメール(procyon_cum_felibus@yahoo.co.jp)にてご注文くださいませ。




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