カニヴェの歴史 第一部 カニヴェ前史
préhistoire des canivets



カニヴェ前史 その1 ―― 対抗宗教改革と、聖画の普及

 カトリック教会を震撼させた宗教改革に対抗すべく、1545年から1563年にかけてトリエント公会議が開かれました。対抗宗教改革の出発点となったこの会議において、カトリック教会はともすれば民衆から遊離しがちであった宗教のあり方を反省し、感覚に訴える美術や音楽を最大限に援用して民衆の心に訴えかけるという方向性が決定付けられました。ベルニーニに代表されるイタリアのバロック美術は、この流れを汲む作品群と考えることができます。

【下】 Gian Lorenzo Bernini, "L'Estasi di santa Teresa d'Avila", 1647 - 1652, marmo, 350 cm, la Capella Cornaro, Chiesa di Santa Maria della Vittoria, Roma




 巨匠たちによるバロック美術の壮大な作品群と並んでカトリック教会の助けとなったものに、フランドルの版画があります。16, 17世紀には羊皮紙に手彩色を施し、凸形のガラスで保護した聖画が人気を集めましたが、これらの聖画の多くは、有力な版画工房があったアントワープで製作されていました。アントワープの高名な版画家としては、ウィーリクス一族 (la famille Wierix)、ガル一族 (la famille Galle) が挙げられます。

 ウィーリクス一族に属する主だった版画家としては、次の三名を挙げることができます。ヤン・ウィーリクス (Jean Wierix, c. 1549 - c. 1618)、その弟ヒエロニムス・ウィーリクス (Hieronymus Wierix, 1553 - 1619)、その弟アントン・ウィーリクス (Anton II Wierix, 1552 - 1604)。

 ガル一族に属する主だった版画家としては、次の四名を挙げることができます。フィリップ・ガル (Philip Galle, 1537 - 1612)、その息子テオドール・ガル (Theodoor Galle, 1571 - 1533)、その弟コルネリス・ガル (Cornelis I Galle, 1576 - 1650)、フィリップ・ガルの女婿アドリアン・コラールト (Adriaen Collaert, c. 1560 - 1618)。

 この時代のフランドルの聖画は額の中心に配され、「パプロール」(paperoles) と呼ばれる渦状の紙片で飾られました。パプロールは長さ数ミリメートルのリボン状の紙片を羊歯の芽状に巻いたもので、金線細工を模して縁が金色に塗られていました。パプロールによる装飾はたいへん華やかではありますが、安価であり、これを取り入れた額入りの聖画は各家庭に普及して、邪視や疫病に対する護符としての役割を果たしました。


カニヴェ前史 その2 ―― 中国からドイツ、オランダに伝播した切り絵細工

 中国ではすでに蔡倫 (c. 50 - c. 121) の時代から剪紙(せんし 切り絵細工)が行われていましたが、これが15世紀から16世紀頃にはドイツの諸都市に伝えられ、黒をはじめとする色付きの紙に、非常に繊細な切り絵細工を重ねた作品が、富裕層のために製作されました。

 切り絵細工はドイツ、オランダにおいて高尚な芸術と考えられ、多数の芸術家が数々の美しい作品を産み出しました。よく知られているところでは、次のような作家がいます。

・スザンナ・マイヤー (Suzanna Mayr, 1600 - 1674)

 スザンナ・マイヤーはアウグスブルクの女流芸術家で、切り絵細工のほかに、絵画、銅版画作品を残しています。スザンナ・マイヤーの息子、ヨハン・ウルリッヒ・マイヤー (Johann Ulrich Mayr/Mair, 1629 - 1704) はレンブラントの弟子で、バロック画家として知られています。


・アンナ・マリア・ファン・シュルマン (Anna Maria van Schurman, 1607 - 1678)

 アンナ・マリア・ファン・シュルマンはケルンに生まれユトレヒトで育った女流芸術家で、切り絵細工のほかに、絵画、銅版画、詩を残しています。美術、音楽、文学の才能が豊かで、ギリシア語、ラテン語、近代ヨーロッパ諸語に加えて、へブル語、アラム語、アラビア語、エティオピア語を解しました。

 17世紀後半から18世紀後半にかけて、ルター派内部にピエティスム(敬虔主義)と呼ばれる動きが盛んになりました。これはルター派の牧師フィリップ・ヤーコプ・シュペーナー (Philipp Jakob Spener, 1635 - 1705) の提唱によるもので、信徒ひとりひとりの敬虔な心情を重視し、メソディスト運動のジョン・ウェスレー (John Wesley, 1703 - 1791) にも大きな影響を与えました。

 1664年、アンナ・マリア・ファン・シュルマンは、元イエズス会士であった改革派教会の指導者、ジャン・ド・ラバディ (Jean de Labadie, 1610 - 1674) と出会い、敬虔主義の流れを汲むその思想に傾倒して有力な支持者となりました。1674年にジャン・ド・ラバディが亡くなると、ラバディストのコミュニティを指導するひとりとなっています。アンナ・マリアの最後の著作「エウクレリア」("Eukleria, seu melioris partis electio", 1673)、及び死後に出版された「エウクレリア」第二部 ("Eukleria, pars secunda") は、ラバディズムの援護がその内容となっています。


・ヨハンナ・ケールテン、結婚後はヨハンナ・ブロック (Johanna Koerten, aka Johanna Block, 1650 - 1715)

 ヨハンナ・ケールテンはアムステルダムのプロテスタント家庭に生まれた女流芸術家です。41歳のときに布地商人と結婚してヨハンナ・ブロックとなり、夫の店をアトリエ兼ギャラリーとして活動しました。風景、宗教的テーマ、肖像を切り絵によって非常に巧みに描き出した作品で知られ、ブランデンブルク選定侯フリードリヒ・ヴィルヘルム、ピョートル大帝、英蘭戦争における北部七州の指導者ヨハン・デ・ウィット、その政敵であるオラニエ公ウィレム3世(イングランド国王ウィリアム3世)らを顧客に抱えていました。ピョートル大帝は 1697年、アムステルダム市長を伴い、店にヨハンナを訪ねています。切り絵以外の分野では、水彩画、ダイアモンドのカッターを使ったガラス彫刻、刺繍、レース等の作品を製作しています。


 これらの作家による切り絵細工が、新奇なものを求める人々によって歓迎される一方で、ラインラントやドイツ南部の修道院では、宗教的テーマに基づく作品が作られました。プロテスタントの間でも、特に抽象的なパターンによる切り絵細工は人気がありました。ドイツ語圏の切り絵あるいはカニヴェは、南ドイツやフライブルク(スイス)から他地域へと広まってゆきました。




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