洗礼者ヨハネと殉教者聖マルセル 「人、天使のパンを食せり」 1888年 5月 27日 初聖体記念のルリケール 珠玉の作例 縦 201 x 横 157 mm 厚さ 35 mm


フランス  1888年



 フランスで制作された美しいルリケール。「ルリケール」(reliquaire) とは、前面がガラス張りになった容器や、深い奥行の額に、聖画や小聖像、聖遺物あるいはこれに類する物等を封入したものです。





 本品は 1888年 5月 27日、12歳のフランス人少年が初聖体を受けた記念に制作された額型ルリケールで、石版の聖画を中心に、さまざまな模型や部品を非常に器用な手仕事で作り、組み立てています。幾つかの部材には鵞ペンまたは付けペンを使い、美しいカリグラフィーで文字が書かれています。黒いインクに金粉が混ぜられていますが、インクの黒は烏賊墨(セーピア)の色に褪色しています。





 ルリケールの中心部には、黒いヴェルヴェットを張り金色の枠で囲んだ楕円形の画面があって、イエスに抱かれるコミュニアン(communiant 初聖体を受ける少年)の聖画が貼り付けられています。イエスと少年は、多色刷り石版による聖画を、手作業で人像形に切り抜いています。イエスの後光も、金色の紙を環状に切って、イエスの頭部に貼り付けています。

 イエスが右手に持つ聖杯と聖体は、機械で裁断・型抜きした「デクピ」(découpi) を利用しています。「デクピ」(découpi/découpis) とは、フランス語で「多色刷り石版画の切り抜き」を意味する「クロモ・デクピ」(単数形 chromo découpi 複数形 chromos découpis 発音はいずれも同じ)を略した言い方です。

 19世紀のフランスでは人物や動植物、器物などを描いた小さな多色刷り石版画を、描かれた物の輪郭に沿って切り抜いた「デクピ」がたくさん売られていました。「デクピ」は色鮮やかで、表面には艶があり、立体的な型押しも施してあって、たいへん美しく可愛らしい紙製品です。当時のフランスでは、小箱やアルバムの表紙、屏風などに「デクピ」を隙間なく貼り付けて華やかな小物を作ることが、女性たちや子供たちの間で流行していました。本品には型押しを施した帯状の金色の紙が多用されていますが、このような紙製部品も、デクピとともに小物作りに使われていました。





 聖画の下部には紙で作った白と青の小さなスカプラリオが取り付けられています。スカプラリオの一方にはギリシア語「イエースース」(Ίησοῦς イエス・キリスト)を表す "IHS" のモノグラム(組み合わせ文字)、もう一方にはラテン語「インマクラータ・マリア」(IMMACULATA MARIA 無原罪のマリア)を表す "IM" を十字架と組み合わせたモノグラムが書かれています。

 フランスで使われるスカプラリオは、筆者(広川)の手元の資料に「主要な種類」として載っているだけでも二十種類以上があります。本品の紙製模型がどのスカプラリオを写したものであるのかは不明です。





 聖画の枠の上部には十字架が突き出ており、帯状の紙を支えています。金色で縁取られた帯状の紙には、次のラテン語が美しい書体で記されています。

 Panem Angelorum manducavit homo!  人、天使のパンを食せり。

 この「人」(homo) とは、初聖体を受けた少年のことです。「マンドゥーカーウィット」(manducavit ラテン語で「食べた」の意)は完了形になっています。

 「パネム・アンゲロールム」(panem angelorum ラテン語で「天使のパンを」の意)とは、「聖体を」という意味です。ここでは聖体を「天使のパン」(主格 panis angelorum 対格 panem angelorum)と呼んでいます。「パネム・アンゲロールム」は「パネム・アンゲリクム」(panem angelicum) と言っても同じ意味です。「パネム」を主格に変えれば「パニス・アンゲロールム」で、これは「パニス・アンゲリクス」(panis angelicus) と言っても同じ意味です。聖体が「天使のパン」と呼ばれる理由は別稿で説明しました。





 ルリケールの内部には、左上隅及び右上隅の台上に、粉末状の聖遺物が展示されています。聖遺物の台は丸みを帯びた菱形で、赤い布が張られ、金色の縁取りがあります。

 左上に展示されているのは洗礼者ヨハネの聖遺物です。帯状の紙には「サン・ジャン=バティスト」(S. Jean-Bapt. フランス語で「洗礼者聖ヨハネ」の意)と書かれていますが、インクの褪色がひどく、あと何年かすれば肉眼では判読できなくなるでしょう。ヨハネの骨を安置すると伝える教会や修道院はローマをはじめ各地にありますが、本品に収納された聖遺物は、このうちいずれかの場所で集めた「墓所の土」であろうと思われます。





 右上に展示されているのは聖マルセルの聖遺物で、帯状の紙には「サン・マルセル、マルティル」(S. Marcel. m. フランス語で「殉教者聖マルセル」の意)と書かれています。「聖マルセル」という殉教者は何人もおり、この聖遺物がそのうちの誰のものであるか不明です。聖遺物は、ヨハネのものと同様に、墓所の土です。





 ルリケールの内部左側、洗礼者ヨハネの聖遺物の真下には、シエルジュ(cierge 教会の大蝋燭)を模した紙細工があり、帯状の紙が巻き付けられています。帯状の紙には次のフランス語が赤いインクで記されています。

  Je m'atache à la Foi catholique pour toujour.  我、これから後も常に、カトリック信仰を守るなり。

 シエルジュのさらに左側、ルリケールの内壁には、初聖体を受ける子供たちが胸に着用する大きなリボンの布製模型が飾られています。





 聖画を中央に挟んで反対側、すなわちルリケールの内部右側、聖マルセルの聖遺物の真下には旗竿が立てられ、聖母の旗の布製模型が糸で吊るされています。旗竿の頂部には金色の小さな十字架が、旗竿の基部にはペルル・ド・ジャカンが取り付けられています。旗の表面には聖母を象徴する星と百合が貼り付けてあり、金色の小さなデクピが花を散らすようにあしらわれています。

 星はグアッシュ(不透明水彩)で淡い青に塗られ、金色で縁取られています。「アウスピケ・マリアエ」(AUSPICE MARIAE ラテン語で「マリアの庇護の下に」の意)を表す "AM" のモノグラム(組み合わせ文字)が、細密画用の筆を使って、白と金のグアッシュで書かれています。青、白、金はいずれも聖母の画像に使われる色です。

 百合もグアッシュを使用して手作業で描かれ、切り抜かれています。百合は「純潔」「神に選ばれた身分」「摂理への信頼」の象徴であり、フルール・ド・リスと同様に、聖母に因んで描かれることが多い花です。この百合は小さなサイズであるのに出来栄えがたいへん優れており、また複雑な切り抜きですので、筆者(広川)は出来合いのデクピであろうと思い込んでいました。ルーペで見て、手描きであることに気付きました。


 聖母の旗のさらに右側、ルリケールの内壁には、真っ白な五連のシャプレ(chapelet 数珠、ロザリオ)の小さな模型が飾られています。五連のシャプレは本物と同じ数のガラスビーズを糸に通して作られています。





 ルリケールの下部には、聖遺物の台と同じ形状の紙片三枚を金色の紙で縁取り、丁寧なカリグラフィーの銘板としています。カリグラフィーには黒、金、赤、緑を使用し、心を籠めた誓いと祈りがフランス語で記されています。左の銘板に書かれているのは少年が生まれてすぐ、幼児洗礼を受けた際に唱えられた言葉で、次の通りです。

     Promesses du Baptême   洗礼の誓い 
         
     Je renonce au démon, à ses pompes et à ses œuvres, je m'attache à Jésus-Christ et à l'Église ma Mère pour toujours.    我、悪魔とその虚飾とその業を棄(す)て、イエス・キリストと母なるカトリック教会から永遠に離れじ。






 中央の銘板に書かれているのは初聖体の日の祈りで、内容は次の通りです。

     O, jour Béni, que ta Mémoire soit à jamais sacrée pour mon Cœur.    ああ、素晴らしき日よ。汝の記憶がわが心にとってずっと神聖であるように。






 右の銘板には少年が自分自身を聖母マリアに奉献する誓いの言葉が書かれています。

     Consécration à Marie   マリアへの奉献
         
     Je me consacre à Marie, ma Divine Mère, et me confie pour toujours en sa sainte Protection.    我、神にある御母マリアに自身を奉献し、マリアの聖なる加護のうちに、自身を永遠に委(ゆだ)ぬ。






 ルリケール内の最下部には、ガラスに接するいちばん手前の位置に、金色で縁取った横長の紙を置き、次の言葉をフランス語で記しています。

     Souvenir de la première Communion de Jean Combette, 27 mai 1888    ジャン・コンベットの初聖体記念 1888年 5月 27日


 以上の文字はいずれも中世の写本を連想させる丁寧さで書かれています。筆記具に関しては、現代のものとほぼ同じ構造の万年筆が作られたのは 1883年頃で、本品が制作された 1888年には万年筆は既に存在していました。しかしながら本品の黒インクには金粉が混ぜてあるので、本品の筆記には鵞ペン(がペン 鵞鳥の羽のペン)または付けペンが使われたことがわかります。





 ルリケールの内側には、美しい織り柄があるクリーム色の布が張られ、他にもパイプ状の緑色の部材やモール状の赤い部材が使用されています。クリーム色の布には金色の紙で作ったいくつもの小さな部品が貼り付けられています。内壁の天井部分には金色の星が散りばめられています。





 本品は縦 201ミリメートル、横 157ミリメートル、厚さ 35ミリメートルと飾りやすいサイズです。各部の保存状態は制作当時のままで、特筆すべき問題は何もありません。ルリケールの裏側に張ってある紙に破損は無く、およそ百三十年前に封緘されたままの状態を保っています。

 筆者は「アール・ポピュレール」(art populaire 民衆芸術)の手仕事をこれまでに数多く見てきていますが、本品は間違いなく最も美しい品物のひとつです。額に封入された小さな飾りの多彩さと美しさ、丁寧な作り、カリグラフィーの美しさは、アンティーク・ルリケールのなかでも群を抜いており、19世紀フランスのアール・ポピュレールにおける珠玉の作例となっています。





95,000円

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