地中海文明におけるオリーヴのシンボリズム
la symbolique de l'olivier dans les civilisations méditerranéennes




(上) 紀元前520年頃に製作されたアッティカの黒絵アンフォラ。高さ 40センチメートル。大英博物館蔵


 古代ギリシア以来、オリーヴは地中海文明との関わりが最も深い植物であり、「平和」や「繁栄」をはじめとする様々な象徴的意味を、時代と場所に応じて獲得してきました。ここでは地中海文明、すなわち古代ギリシア・ローマ、及びユダヤ・キリスト教を採り上げ、人間とオリーヴの歴史的関わり、及びオリーヴが有する象徴的意味を論じます。



オリーヴ栽培の歴史

 オリーヴは紀元前3800年から3200年にかけての時期に、シリア、キプロス等の地中海沿岸地域で、互いに独立して栽培され始めたと考えられています。紀元前1700年頃になると搾油技術も進歩したと考えられ、シリアの地中海岸のウガリト遺跡からは、単純な構造の木製搾油機が見つかっています。

 ハッティ(ヒッタイト 紀元前1680年頃 - 紀元前1190年頃)は小アジア沿岸でオリーヴ油を買い付けていたこと、エジプトやメソポタミアにもシリアのオリーヴ油が運ばれていたことがわかっています。ミノア文明期のクレタ島では大量のオリーヴ油が貯蔵されていましたし、ミュケナイ文明期にはオリーヴ油を貯蔵した多数の壺が見つかるとともに、オリーヴ油に関する線文字Bの粘土板文書が見つかります。




(上) ツタンカーメン(Tut-ankh-amen, B.C. c. 1342 - c. 1324 エジプト新王国第18王朝)の副葬品の一部。17番はオリーヴと月桂樹を束ねたもの。Burton photo # P0016


 紀元前1200年頃、ハッティ王国の崩壊、「海の民」によるエジプト侵略、ミュケナイ文明の崩壊、旱魃や大きな地震が時を同じくして起こり、東地中海地域は暗黒時代とも呼ぶべき不安定期を迎えます。ミュケナイ文明の崩壊に伴って制海権を喪失したギリシア人に代わって、フェニキア人が交易活動と植民地建設を進め、オリーヴは彼らの手によって地中海全域に広まることになります。オリーヴはその実と油が食用になりますし、オリーヴ油は灯火にも、医療にも、宗教行事や運動競技にも欠かすことができません。紀元前4世紀、アレクサンドロス大王がギリシア、エジプトからインダス流域に及ぶ大帝国を建設すると、オリーヴの交易はますます盛んになりました。




(上) オリーヴ油を使用するビザンティンのランプ。105ミリメートル。6世紀から8世紀。


 オリーヴは小麦、葡萄とならんでヨーロッパ人の爾後の食生活を規定することになる主要作物ですが、これら三つの作物の栽培地は、ローマの勢力拡大と歩調を合わせて拡大しました。中世初期のイタリアは蛮族の侵入、次いで教皇と神聖ローマ皇帝の対立によって荒廃しがちでしたが、ジェノヴァ、ヴェネツィア、フィレンツェ、ミラノ等の都市が十字軍と東方交易により繁栄し始めた11世紀から13世紀頃には、オリーヴ栽培が再び盛んになりました。この頃からオリーヴ油は石鹸製造にも使用されるようになりました。

 近世以降、産業が発達するにつれて、石鹸製造用、繊維産業用、機械用のオリーヴ油の需要が高まります。16世紀にはスペインが新世界の植民地で大規模なオリーヴ栽培を始め、ヨーロッパ列強が植民地を拡大した19世紀には、オリーヴの地域分布が最大となりました。20世紀の百年間で、オリーヴの栽培地域は減少した半面、オリーヴ油の生産量はおよそ5倍に増えています。



オリーヴが有する象徴性

【古代ギリシアと古代ローマ】

 古代ギリシアにおいて、オリーヴは力と知恵、希望、勝利と栄光、豊かさ、長命、貞操を表します。

 アテナイの建国神話は、オリーヴが勝利と平和、豊かさの象徴とされるわけを語っています。それによると、当時アッティカと呼ばれていたアテナイの初代の王ケクロプスは、ポセイドンとアテナから、いずれかを守護神とするように求められました。ケクロプスが、人間に役立つ物を与えてくれる神を選ぶと答えたところ、ポセイドンは海水の湧く泉を、アテナはオリーヴを贈りました。アッティカの人々はオリーヴを選び、こうしてアテナがアッティカすなわちアテナイの守護神になったと伝えられています。

 ギリシアにおいては神々の像がオリーヴ材で製作されました。またオリュンポス競技の勝者は、月桂冠に加え、オリーヴの枝とオリーヴ油を与えられました。ホメロスの叙事詩においても、ヘラクレスの棍棒はオリーヴ材でできていますし、オデュッセウスがキュクロープスに打ち込んだ杭もオリーヴ材でした。

 オデュッセウスの美しい妻ペーネロペイアは、夫が留守の間、108人の求婚者を退けて、20年に亙り孤閨(こけい)を守りました。このペーネロペイアの寝台がオリーヴ材でできていたことから、オリーヴは忠実さ、誠実さ、貞操の象徴ともされるようになりました。


 ギリシア神話のアテナは、ローマ神話のミネルヴァに相当します。ミネルヴァの木、オリーヴは、勝利と平和を象徴します。年に一度のミネルヴァの祭典において、マラソン競技の勝者にはオリーヴの枝で編んだ冠とオリーヴ油が与えられました。

 ローマ軍は帝国の領土を拡張し、新たに獲得した土地に小麦、葡萄、オリーヴを植えました。これらの三つの作物は、ローマの繁栄の象徴でした。戦闘に勝利したローマ兵は、勝利と平和を象徴するミネルヴァのオリーヴを身に着けました。


【ユダヤ・キリスト教】

 創世記8章の記述によると、神の怒りで惹き起された洪水の豪雨が治まった後、ノアは最初に烏(からす)、次に鳩を箱舟から放ちますが、大地が水に被われていて降りる地面が無かったので、いずれもすぐに箱舟に戻ってきました。その7日後、ノアが二度目に鳩を放つと、鳩は夕方になって箱舟に戻りました。鳩は嘴(くちばし)にはオリーヴの葉を咥(くわ)えていたので、水が引き、地面が顔を出し始めたことがわかったのでした。

 この故事のゆえに、オリーヴは神との平和、和解、神の祝福を表します。創世記の当該個所を下に引用します。

 ノアは鳩を彼のもとから放して、地の面から水がひいたかどうかを確かめようとした。しかし、鳩は止まる所が見つからなかったので、箱舟のノアのもとに帰って来た。水がまだ全地の面を覆っていたからである。ノアは手を差し伸べて鳩を捕らえ、箱舟の自分のもとに戻した。 更に七日待って、彼は再び鳩を箱舟から放した。鳩は夕方になってノアのもとに帰って来た。見よ、鳩はくちばしにオリーヴの葉をくわえていた。ノアは水が地上からひいたことを知った。彼は更に七日待って、鳩を放した。鳩はもはやノアのもとに帰って来なかった。 (創世記8章8節から12節 新共同訳)


64 x 37.5 cm, depth 3 cm ラテラノ美術館蔵

 上の画像は ローマ、サン・カリストのカタコンベにあったキリスト教徒の墓碑のレプリカで、アルファとオメガ、及びクリスム(キーXとローPの組み合わせ文字)の隣に、オリーヴを咥えたが描かれています。ラテン語の銘の内容は、次の通りです。

NICELLA, VIRGO DEI, QUAE VIXIT ANNOS PM XXXV, DEPOSITA (EST) XV (ANTE DIEM) KAL(ENDAS) MAIAS. BENE MERENTI. IN PACE.

神の処女ニケッラはおよそ35年を生きて、2月17日(直訳 第3の月マイウスの15日前)に埋葬された。正しく生きたこの女性のために。平安のうちに。


 "BENE MERENTI"("BENE MERENS"の与格)は、直訳すれば「十分に値する者に」という意味ですが、キリスト教徒の墓碑銘においては「救いに値する者に」、あるいは「丁重な埋葬に値する者に」という意味に解することができますので、その両方の意味を込めて「正しく生きた」という訳語を使いました。




 上の画像は やはりサン・カリストのカタコンベにあったと思われるキリスト教徒の墓碑のレプリカで、オリーヴを咥えた鳩とイチジクの葉が描かれています。ラテン語の銘の内容は、次の通りです。

ACAPENI BENE MERENTI QUAE VIXIT ANNIS IIII. FECIT FRATER DOLENS. DEPOSITA (EST) XII (ANTE DIEM) KAL(ENDAS) IVNIAS. AGAPE. IN PACE

4年間を正しく生きたアカペニスのために。兄が嘆きつつ(この墓碑を)作った。アカペニスは3月21日(直訳 第4の月ユニウスの12日前)に埋葬された。愛(を込めて)。平安のうちに(やすらえ。)



 旧約時代のイスラエルの諸王は、オリーヴ油を注がれることにより、王の地位を与えられました。オリーヴ油はこの権能ゆえに、新約時代においては聖霊を象徴することになります。

 新生児の洗礼、病者の塗油、国王の塗油は、いずれも聖霊の権能によってのみ有効なものとなります。9世紀のランス司教ヒンクマール (Hincmar, c. 806 - 882) によると、フランク人の王クローヴィス (Clovis, c. 466 - 511) がカトリックの洗礼を受ける際、鳩の姿を借りた天使が、ランス司教聖レミ (St. Remi, c. 437 - 533) のもとに聖油の壺(ラ・サント・アンプル la Sainte Ampoule)を運んで来たと伝えられています。


 クローヴィスの受洗


 イエズスは最後の晩餐のあと、弟子たちとともにオリーヴ山へ出掛けて祈り給うたとの記述がすべての福音書に見られます。これに因み、オリーヴは犠牲の象徴ともされます。


 なおオリーヴと武器を同時に表した図像に関しては、こちらをクリックしてください。



【図像におけるオリーヴと月桂樹の判別】

 オリーヴ (Olea europaea) と月桂樹 (Laurus nobilis) は共に象徴性に富む植物で、いずれも多数の絵画や彫刻に描かれてきました。

 植物分類学上、両者はまったく異なり、オリーヴはゴマノハグサ目モクセイ科 (Oleaceae)、月桂樹はクスノキ目クスノキ科 (Lauraceae) に属します。しかしながらオリーヴと月桂樹は多くの場合同じような樹高で、どちらも同じような大きさと形の葉、多数集合して咲く小さな花を付け、同じような大きさと形の黒っぽい実を実らせます。それゆえ美術作品に描き込まれた木がオリーヴであるのか月桂樹であるのか、一見して分かりづらい場合がよくあります。

 オリーヴと月桂樹の判別ですが、樹木の実物を比較すると葉の色が異なります。オリーヴの葉は他の樹種と比べるとかなり青みがかっており、また裏側が白っぽいのが特徴です。月桂樹の葉も多少青味がかってはいますが、オリーヴほどではありません。また月桂樹の葉は表裏ともほぼ同じ色です。




(上) オリーヴの大木。青味がかった緑色は周囲の樹木と明らかに異なっています。この木は1879年頃にフランスから移植された日本で最初のオリーヴで、神戸市の湊川神社にあります。

(下) 神戸教会(日本基督教団神戸教会)の前に植わっている月桂樹。ちなみに神戸教会はわが国で最古のプロテスタント教会のひとつです。バロック音楽の演奏に適した素晴らしい音の辻オルガンがあって、筆者は弾かせていただいたことがあります。




 メダイユ彫刻など、色の違いが判別の手掛かりにならない作品の場合は、葉の付き方が区別の手掛かりになります。オリーヴの葉は「二列対生」、すなわち小枝の同じ高さに左右一組になって付くのが基本です。これに対して月桂樹の葉は「互生」で、一枚ずつ異なる高さのところに付きます。ただし実際の樹木では月桂樹であっても対生している部分、オリーヴであっても互生している部分があるので、注意が必要です。




(上) 二列対生するオリーヴの葉

(下) 互生する月桂樹の葉




 オリーヴと月桂樹は共通点が多いですし、相違点についても美術作品において正確かつ明確に表現されているとは限りません。したがって絵画や彫刻においてオリーヴと月桂樹を正しく判別するには、多角的な鑑賞眼が必要です。両者が持つ象徴的意味は大きく重なっていますが、同一作品に描かれている他の事物や、その作品が制作された経緯、作品が表現しようとしている事柄などを総合的に考え合わせれば、オリーヴと月桂樹は多くの場合正しく判別することが可能です。



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