ダニエル=デュピュイ作 「泉」 (あるいは 「水盤の傍らのクロエー」) アール・ヌーヴォーの美麗ブロンズ製プラケット


66.7 x 36.1 mm  厚さ 最大 3.6 mm  重量 53.8 g

フランス  1898年



 大きな木の傍らに立ち、ギリシア風、あるいはイタリア風の泉から湧き出す水を飲む少女を浮き彫りにした美しいプラケット。プラケットとは、四角いメダイユのことです。19世紀後半のフランスに活躍し、メダイユの黄金時代を築いた彫刻家のひとり、ダニエル=デュピュイ (Jean-Baptiste Daniel-Dupuis, 1849 - 1899) による秀作です。本品はブロンズ製の「泉」と同じ鋳型を使い、800シルバーで制作された銀無垢プラケットで、写真ではあまりきれいに見えませんが、実物は艶やかに黒光りして、たいへん高級感があります。ブロンズ製の「泉」と同じサイズですが、銀は比重が大きいので、銀の「泉」はブロンズの「泉」に比べて5グラムあまり重くなっています。

 1872年、ダニエル=デュピュイはローマ賞プラケット彫刻部門プルミエ・グラン・プリを獲得しました。本品は1898年の作品ですが、表(おもて)面は 1873年、ダニエル=デュピュイがヴィッラ・メディチに滞在しているときに、「水盤の傍らのクロエー」("Chloé à la vasque") という題で既に制作されていました。

 フランスと比べて、イタリア、とりわけ南イタリアはギリシアの文化的影響が格段に大きく、かつて「ヘー・メガレー・ヘッラス」(ἡ μεγάλη Ἑλλάς ギリシア語で「大ギリシア」)あるいは「マグナ・グラエキア」(MAGNA GRAECIA ラテン語で「大ギリシア」)と呼ばれた地域の一部、すなわちカラブリアとサレントのごく限られた地域には、現在でもギリシア語の方言を話す人々が住んでいます。ローマにおいても、特に近世以前の建築や絵画には、ギリシア文明の強い影響が明らかに見て取れます。したがって本品「泉」あるいは「水盤の傍らのクロエー」は、若き彫刻家のローマ留学の果実に、いかにも相応しい作品ということができます。

 本品表(おもて)面の原題にある「クロエー」(Chloé, Χλόη) というのは、紀元二世紀あるいは三世紀にロンゴスという人が書いたギリシア語の牧歌物語、「ダフニスとクロエー」("Δάφνις και Χλόη" 「ダフニス・カイ・クロエー」) に登場する少女の名前です。「ダフニスとクロエー」は、ルネサンス期のフランスの文人ジャック・アミヨ (Jacques Amyot, 1513 – 1593) が 1559年にフランス語に訳して広く知られるようになり、多くの絵画、音楽、文学作品の素材となりました。わが国では、三島由紀夫の「潮騒」が、「ダフニスとクロエー」に想を得た作品として有名です。絵画におけるいくつかの作例を下に示します。


(下・参考画像) ピュヴィス・ド・シャヴァンヌ 「ダフニスとクロエー」 Pierre Cécile Puvis de Chavannes, "Daphnis et Chloé", c. 1875 - 1890, huile sur toile




(下・参考画像) ジャン・ジョルジュ・ヴィベール 「ダフニスとクロエー」 Jehan-George Vibert, "Daphnis et Chloé", 1866, huile sur toile, 45 x 28 cm




(下・参考画像) マルク・シャガール 連作「ダフニスとクロエー」より、「フィレタースの教え」 Marc Chagall, "La Leçon de Philetas", 1961




 このプラケットにおいて、クロエーは月桂樹の傍らにある泉から、水を飲んでいます。月桂樹 (Laurus nobilis) は常緑樹であるゆえに、不死、あるいは永遠の生命を象徴します。または常に新しい水を吐出し続けるゆえに、やはり永遠の生命、永遠の再生を象徴します。したがってクロエーが飲んでいる水はただの水ではなくて、「生命の水」に他なりません。

 また、「エデンの園」に「命の木」を有するユダヤ・キリスト教をはじめ、あらゆる文明圏、文化圏の神話には「生命樹」の観念が見られますが、このプラケットにおいて「生命の水」が湧き出す傍らにそびえる月桂樹は、まさに生命樹に他なりません。

 少女の名「クロエー」(Χλόη) は、アッティカのギリシア語で「春の芽生え」を意味し、豊穣の女神である地母神デーメーテール(デメテル Δημήτηρ)のエピセット(別名)でもあります。古典ギリシア語「クロエー」(Χλόη)、ラテン語で「野菜」を表す「ホルス」(HOLUS) とその古形「ヘルス」(HELUS)、サンスクリット語で「緑」を表す「ハリス」(haris)、ドイツ語で「緑」を表す「グリューン」(grün)、英語の「グリーン」(green) は、インド=ヨーロッパ基語まで遡れば、同じ言葉に行き着きます。

 したがって、このプラケットこおいてダニエル=デュピュイが表現しているのは、単に喉が渇いたから水を飲んでいる少女の姿ではなくて、永遠の若さを象徴するしなやかな肢体の少女クロエーが、生命の水を飲む姿であることがわかります。

 プラケットの左上に、ダニエル=デュピュイのモノグラム(組み合わせ文字)が見えます。下端右寄りには彫刻家の署名 (DANIEL DUPUIS) が刻まれています。





   本品表(おもて)面の浮き彫りは、「水盤の傍らのクロエー」("Chloé à la vasque") という原題を有しますが、この原題はプラケット自体には書かれていません。それゆえ本品に別の解釈を与えることも可能です。

 本品の裏面には、有翼の童子として表されたエロースあるいはアモル(愛)が、泉の水に手を浸している様子が浮き彫りにされています。水は岩の表面を伝って流れ落ち、下の水面に波紋を描いています。エロースは性愛の神であり、生命力や生き物の繁殖と強い関係がありますから、月桂樹の傍らの泉から水を飲むクロエーを、「生命の水」を飲む生命力の象徴とみなす解釈に、エロースの存在はよく馴染みます。しかしながら「裸の少女、泉、エロース」の組み合わせは、カスタリアを連想させずにはいません。

 河神アケローオス(Ἀχέλῷος)の娘カスタリア(Κασταλία)は、美しいニンフでした。恋するアポロンはダフネ―のときと同じようにカスタリアを追いかけますが、アポロンを厭うカスタリアは、パルナッソスのふもと、デルフォイにある泉に身を投げました。カスタリアが身投げした泉を、アポロンはムーサイに捧げました。カスタリアの泉水を汲んで飲む者は、詩想を得ると伝えられます。それゆえ本品の表裏に彫られた湧水をカスタリアの泉と考えると、ニンフのように美しい裸の少女はカスタリア自身、あるいはムーサ(芸術の女神)、あるいは詩想の擬人化と見ることができます。


 プラケット・プラケット彫刻は絵画と違って単色であり、表面の凹凸の差も、1ミリメートルの数分の一に過ぎません。それにもかかわらず、プラケット彫刻家ダニエル=デュピュイは、卓越した芸術的感覚と職人的技量により、エロースの肌や髪、巨岩の質感のみならず、岩肌を流れ落ちる水、下に溜まった透明な水、透明な水に半分浸かった石、泉の水で育つ植物をも、あたかも実物の風景を眼前に見るかのように再現し、湧き出す水のせせらぐ音、新鮮な水の清澄な香り、泉を過ぎる透明なそよ風を、プラケットを見る者に感じさせます。

 裏面の下端左寄りに、彫刻家の署名 (DANIEL DUPUIS) が刻まれています。


 本品は19世紀末のフランスで鋳造されたアンティーク美術品ですが、非常に良好な保存状態で、百十年以上前のものとはにわかに信じ難いほどです。表裏いずれの突出部分にも摩耗は無く、制作当時のままの状態で、真正のアンティーク品ならではのパティナ(古色 銀の硫化による皮膜)に被われて艶やかに黒光りしています。実物の美しい重厚感、高級感は、写真に撮ることができません。実物を手にしていただければ、必ずご満足いただけます。

 なお、古色を保つために、本品は敢えてクリーニングを施しておりません。お好みにより、少量の練り歯磨きを付けて磨けば、いつでも簡単に新品時の銀色に戻ります。しかしいったん失われたパティナを再び付けるのは簡単ではないので、クリーニングはあまりお勧めいたしません。ご希望により、別料金にてプラケットを額装いたします。額装料金は使用する額によって異なります。





プラケットの価格 94,000円 (税込・額装別)

電話 (078-855-2502) またはメール(procyon_cum_felibus@yahoo.co.jp)にてご注文くださいませ。




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