幼子イエスを模(かたど)った石膏像。一歳くらいの幼児イエスは、プットのような愛らしい姿ですやすやと眠っています。十九世紀半ばから後半のフランスで制作されたものです。
本品に彫刻された幼子は、上半身をクッションに預け、気持ちよさそうに眠っています。左腕の下には薄くて四角い物があり、幼い男の子が絵本を眺めながら眠ってしまったようにも見えます。しかしながら注意深く観察すると、絵本のように見えるのは十字架横木の先端部であることがわかります。左手に持つガラガラのような物は茨の冠、手前に散らばるおもちゃのような物は三本の釘です。これら三種の物品はアルマ・クリスティ(羅 ARMA CHRISTI)の代表です。
当店では額装された精巧な石膏製浮き彫り彫刻を多く扱っています。本品は壁面に吊り下げるものではありませんが、イエスの体の左側面が台座と一体になっていますので、制作技術に関して言えば、本品は高浮き彫りをさらに発展させたものと考えることができます。いっぽう主題と形態に関して言えば、本品は修道女が蝋で作る幼子イエス像に起源を有します。
修道士と修道女の仕事は、祈ることです。ヨーロッパのキリスト教社会における修道院の存在意義は、信仰心が薄い世俗の人々、あるいは信仰心があっても祈りに多くの時間と労力を割くことができない世俗の人々のために、いわば「祈りを担当する」ことです。修道者はすべての人々のために祈りますが、とりわけ家族や近親者の代表として修道院に入る場合がありました。その典型といえるのは、中世から近世にかけて行われた「奉献の子」の慣習です。貴族出身の子供が幼い頃から修道院に預けられて修道者となり、一族の救いのために祈る役割を担ったのです。
一族の誰かが修道会に入り、近親者たちのために祈るという修道のあり方は、近代以降も続きます。少年少女たちにとって、とりわけ家族のために祈るのは、ごく自然な気持ちです。しかしながら家族を愛していればそれだけいっそう、家族から離れた暮らしを辛く感じたであろうことは、容易に想像できます。
十九世紀の修道女が作った幼子イエス像 ガール宗教美術館蔵
蝋で作る幼子イエスは、若くして女子修道院に入った少女たちを、愛らしい笑顔で慰めてくれました。また結婚しない修道女にとって、幼子イエスの人形はわが子の代わりでもありました。このような人形作りは十六世紀のドイツ南部及びイタリアの女子修道院で広く行われていました。フランスに関しては、フランス・オラトリオ会の創設者ピエール・ド・ベリュル師(Mgr.
Pierre de Bérulle, 1575 - 1629)により、十七世紀初頭に広まりました。フランスの修道女たちは幼子イエスのこのような像を「プチット・コンソラシオン」(仏
Petite Consolation 小さな慰め)と呼びました。上の写真はフランスの修道女が蝋で作った幼子イエス、「プチット・コンソラシオン」の例です。幼子イエスは修道女が手ずから縫った小さな服を着ています。
本品は制作技術の点ではフランスが得意とする浮き彫り彫刻が発展したものですが、主題と形態の点では、修道女が手作りする「プチット・コンソラシオン」が起源となっています。ただし本品はプロフェッショナルとして訓練された彫刻家の仕事であり、修道女の手作り品とは違って、高い芸術的完成度を有します。幼児の顔つきと体つき、肌や髪の質感が見事に再現され、あたかも生身の幼子イエスを眼前に見るかのような錯覚さえ覚えます。
ルターやカルヴァンに対抗するコントル=レフォルム(仏 le Contre-Réforme 反宗教改革、対抗宗教改革)に際し、カトリック教会は多くの方面においてプロテスタントと正反対の方向性を打ち出しました。聖画像もそのひとつで、宗教から美術を排除したプロテスタントとは全く逆に、カトリック教会は従来にも増して美術の力を援用し、福音宣教に励みました。
(上) Gian Lorenzo Bernini, "L'Estasi di santa Teresa d'Avila", 1647 - 1652, marmo, altezza 350 cm, la Capella Cornaro, Chiesa di Santa
Maria della Vittoria, Roma
対抗宗教改革が生み出した作品群において神の御業は可視化され、抽象的思考が苦手な無教育層を含むすべての人々に福音を伝えました。ジャン・ロレンツォ・ベルニーニの「聖テレサの法悦」のような作品は、宗教美術の至宝として高く評価されています。
小さなサイズの本品も、ベルニーニのような巨匠の彫刻と同様に、「目に見える神の愛」、あるいは「神の愛の可視化」として制作された作品です。
既に述べたように、本品の主題と形態は、修道女たちが手作りした「プチット・コンソラシオン」を起源とします。修道女たちは、手作りした幼子イエスを、あたかも自らが生んだ子供のように愛しく思い、愛情をもって作った服を着せ、話しかけたことでしょう。愛らしい顔に微笑みを浮かべる幼子イエスは、「プチット・コンソラシオン」と呼ばれるその名の通り、厳しい修道生活を送る女性たちに寄り添い、心を通わせる慰め手となったことでしょう。
プロテスタントが宗教美術を否定したのは、それが偶像崇拝であると考えたからです。しかしながら「プチット・コンソラシオン」は決して偶像崇拝ではありません。幼子イエスを心に抱いて日々を送る修道女は、知らず知らずのうちにキリストへの愛に燃え、聖母子とともに喜び、聖母子とともに泣くようになるからです。キリストに倣い、聖母に倣い、使徒たちや諸聖人に倣って神と人を愛するようになるからです。修道女と「プチット・コンソラシオン」の関係において、幼子イエスの愛らしい姿は、神と隣人への愛を生み出す源泉となっています。
本品は修道女の手による「プチット・コンソラシオン」ではなく、プロの彫刻家が制作した作品ですので、美術品としての完成度は比較にならないほど高いですが、宗教美術として果たす役割は「プチット・コンソラシオン」と同様です。すなわち本品は愛らしい生身の幼児と見まがうばかりの出来栄えによって、ともすれば観念的になりがちな信仰と愛に、いわば血と肉を与えてくれます。
我々が難民の子供たちや貧しい子供たちのためにボランティア活動をしたり、寄付をしたりするとき、それは愛ゆえの行動であるはずです。しかしながら我々が見知らぬ子供たちに向ける愛情と、わが子に向ける愛情を比べると、そこに質的な違いを認めざるを得ません。わが子が命の危険にさらされていれば、我々の心は大もとから揺さぶられ、子を救うためであれば自分の命を投げ出すことなど何とも思わないでしょう。しかしながら見知らぬ難民の子供たちが非常な危機に瀕していることを知っていても、仕事や日常生活を棄てて救援に駆け付ける人は少ないでしょう。この事実は、我々が見知らぬ子供たちに感じる愛や憐れみが観念的であること、我々がその子供を自分自身と一心同体であるように感じられてはいないことを示します。しかるに我々がわが子に感じる愛は、いわば我々自身の血と肉の内にあるゆえに、我々はわが子を自分と区別しないのです。
カトリックの宗教美術が目指す目標は、まさにこの点にあります。幼子イエスを目に見える姿で現前させることにより、彫刻を観る人の血と肉の内にイエスへの愛を呼び起こすこと。そのことによって人の心をイエスの心に融け合わせ、隣人への愛を呼び起こすこと。本品はそのような意図を持って制作されています。
十九世紀後半のフランスは普仏戦争の敗戦やコミューンの内戦によって大いに苦しみ、改めて神に心を向けました。フランスの浮き彫り彫刻は、十九世紀後半に未踏の高みに到達します。本品はこれをさらに発展させて生み出された作品であるとともに、「俗人のためのプチット・コンソラシオン」ともいうべき意味を有する幼子イエス像であり、「悔悛のガリア」時代にふさわしい美術品です。制作年代がたまたま古いというだけではなく、この時代のフランスだけが生み出し得た彫刻であるゆえに、アンティーク美術品として最も愛惜すべき作例となっています。
幼子イエス像の下にある緑色の台は、使っても使わなくても構いません。上の写真は幼子を台に載せずに撮影しています。石膏像、黒い木製台座、曲面ガラスの覆いとも、古い年代にかかわらず極めて良好な保存状態で、稀少な完品です。特筆すべき問題は何もありません。