聖母マリアを無原罪の御宿りと呼ぶことはいまでは当たり前になっていますが、これは古来の考え方ではありません。聖母が原罪を引き継がずに生まれ給うたことに関して、中世以降のカトリック教会内に異論はありませんでしたが、マリアが母アンナの胎内に宿った瞬間に既に原罪を免れていたと考える論理的必要も必然性も無いゆえに、この事に関して神学者たちの意見は分かれ、議論はどこまでも平行線を辿っていたのです。
十九世紀のフランスは聖母出現の時代でした。聖母の出現はどの場所でもどの時代でも起こりますが、十九世紀のフランスでは、一般の人々の大きな関心を集めた聖母出現が頻発しました。1830年、愛徳姉妹会パリ修道院においてカトリーヌ・ラブレが幻視した聖母は、「罪無くして宿り給えるマリアよ、御身を頼みとする我等のために祈りたまえ」(仏 O Marie, concue sans péché, priez
pour nous qui avons recours a vous.)という祈りの言葉に取り巻かれていました。マリア自身が啓示したこの言葉は、不思議のメダイに刻まれて広く知られるようになりました。1854年12月8日、ローマ司教(教皇)ピウス九世は無原罪の御宿りをカトリック教会の正式な教義と宣言しますが、この四年後である1858年にルルドにおいてベルナデット・スビルーに出現した聖母は、「わたしは無原罪の御宿りです」(仏 Je suis l'Immaculée Conception. / ビゴール方言 Que soy era
Immaculada Concepciou.)と自ら名乗りました。それゆえ十九世紀中頃から後半にかけて、フランスの宗教界は「無原罪の御宿りの時代」と呼ぶのがふさわしいと思えるほどに、この教義が注目を集めていました。
本品は十九世紀半ばのフランスで制作された石膏の聖母像で、ドーム型ガラスを嵌め込んだ楕円形の木製枠に守られています。聖母の足下に雲があるのは、聖母がいまや天上におられることの表現です。しかるに美術史のコンテクストに照らすならば、雲に包まれて天下るマリアの姿のうちに、無原罪の御宿りという抽象的観念を可視化したバロック絵画の流れを引く表現と見ることも可能です。
流れるような衣文(えもん)の寛衣を着、罪びとを匿(かくま)う大きなマントを羽織ったマリアの姿は、不思議のメダイの聖母と同じです。右脚を軽く曲げ、左脚に体重をかけたコントラポストの姿勢で表された聖母は、やはり不思議のメダイと同様に、斜めに伸ばした両腕を広げて、恩寵の光を地上に注いでいます。このような姿で聖母を表現した本品は、十九世紀中頃のフランスに如何にもふさわしい小品彫刻に仕上がっています。
本品のマリア像は自立式ではありませんが、実質的に丸彫り像と言える三次元性を有しています。このような彫刻作品は鋳型に流し込んで作ることができず、彫刻家が一点一点を手作業で制作しています。現代の電動工具を使えば石膏を削るのは容易ですが、そのような利器が無い十九世紀に本品のようなミニアチュール彫刻を制作するのには、大変な手間と労力、熟練した職人技が必要でした。細部まで手を抜かずに制作された本品は、日々の生活を見守る信心具でありつつも、美術品と呼べる芸術性を十分に有します。
本品の枠は経年による木材の収縮で二つに破断していましたが、当店にてエポキシ樹脂による修復を施しました。エポキシ樹脂による修復は美術館や博物館で行われているのと同じ方法です。また本品を壁の釘に固定するための環は、元の環が腐食して強度を確保できなかったので、新しい環に替えました。プラスねじが使われているのはそのためです。
上の写真は男性店主が本品を手に持っています。女性が本品の実物をご覧になれば、写真で見るよりもひと回り大きなサイズに感じられます。
本品は百数十年前のフランスで制作された真正のアンティーク品です。金属や石に比べて傷つきやすい石膏彫刻ですが、本品の聖母は木製額とドーム型ガラスに守られ、極めて良好な保存状態です。聖母の右手先が摩滅しているようにも見えますが、これは制作されたままの状態です。特筆すべき瑕疵(かし 欠点)は何もありません。