一点もの ジョルジュ・セラ作 《聖母を幻視するベルナデット・スビルー 高さ 20.5センチメートル》 高名な彫刻家が自ら制作した作品 フランス 1930 - 50年代頃


台座の底面のサイズ 80 x 85 mm   台座を含む全体の高さ 205 mm



 ルルドの聖母を幻視した少女、ベルナデット・スビルー(Bernadette Soubirous, 1844 - 1879)の全身を表した陶像。いまから七十年ないし九十年前に、フランスの高名な彫刻家ジョルジュ・セラが制作した作品です。





 聖画像に表現されるベルナデットは、俗人姿の場合と修道女姿の場合があります。本品のベルナデットは俗人の服装をしています。

 ルルドの聖母が現れたのは、ベルナデットが十四歳であった 1858年のことです。このとき以降 1860年6月まで、ベルナデットは家族と共に質素な家に住み、家事、幼い弟妹たちの世話、自身の学業にいそしんでいました。ベルナデットとその家族にとって、田舎町ルルドは日々地に足を着けて働き、日常の生活を送る場でした。しかるに聖母出現後のルルドを訪れる巡礼者たちは、ベルナデットの都合など考えずに面会を求め、なかにはベルナデットの髪や衣服、シャプレ(数珠 ロザリオ)などを聖遺物として持ち帰るために無理やり奪おうとすることさえありました。





 このような状況ゆえに、1860年の春以降、ベルナデットは愛徳姉妹会がルルドで運営するオスピス(un hospice 救貧院)で暮らすことになりました。本品ベルナデット像は、オスピスの司祭であるベルナドゥー神父(l'abbé P. Bernadou)の写真に基づいて制作されています。

 古い時代の写真は長時間の露光を要しました。初期のダゲレオタイプの露光時間はおよそ二十分で、その間モデルは動くことが出来ませんでした。露光時間は 1840年代におよそ二十秒に、1890年代におよそ九秒に短縮されましたが、現代の写真撮影と比べると、利便性にはやはり格段の差がありました。

 現代の写真はまさに瞬間を切り取るので、活き活きとした自然な表情を撮影できます。しかしながら露出に長時間を要する十九世紀の写真では、モデルの口元はどうしてもこわばり、表情も硬くなります。ベルナドゥー神父がベルナデットを撮影したのは 1861年か 1862年のことです。この時代の写真は十数秒の露光時間を要しましたから、上の写真に写るベルナデットは不満げで、斜め上方を睨(にら)みつけているように見えます。ポー川の岩場において脱魂状態に陥り、聖母を幻視しているときのベルナデットは、このような表情をしていなかったはずです。





 本品において、彫刻家はベルナドゥー神父の写真を参考にしつつも、印画紙に残された不自然な映像を単に立体化するのではなく、ベルナデットが聖母を幻視するありのままの姿を、芸術家の優れた能力によっていわば復元しています。


 写真はフォトグラフィの訳語ですが、フランス語のフォトグラフィはギリシア語フォース(φῶς 光)の語幹フォート(φωτ-)とグラフォー(γράφω 書く、描く)の語幹グラフ(γραφ-)をオミクロン(-ο-)で繋ぎ、接尾辞を付けたものです。つまりフォトグラフィの語義は単に「光で描く技術」というだけのことであって、「真実を写し取る」という意味はありません。

 芸術の目的は真実を写し取ることです。しかるにフォトグラフィという機械的プロセスでこのことが可能だとすれば、生身の芸術家は存在意義を失います。写真家も機械の操作係に過ぎなくなるでしょう。しかしながら機械的な写真撮影によって捉えきれない真実は確かに存在しており、それを捉えるのが生身の彫刻家、画家、写真家の仕事となります。

 十九世紀の写真は技術が未発達で、露光時間が長く、明暗の諧調も粗雑に過ぎました。ですからポーズを取って写真に納まるベルナデットを見ても、彼女がどのような神秘体験をしたのかは全く伝わってきません。しかしながらジョルジュ・セラは彫刻家としての優れた能力を発揮し、ベルナデット本人ならざる我々にも、ベルナデットの内面と、彼女が聖母を幻視したかけがえのない体験を、この作品を通しておぼろげに感じさせてくれます。





 ジョルジュ・セラ(Georges Serraz, 1883 - 1964)は二十世紀前半から半ばにかけて活躍したフランスの芸術家です。彫刻を学んだ後、最初は主に画家として活動しましたが、1914年頃には再び彫刻に転じました。第一次世界大戦の兵役から除隊すると、ジョルジュ・セラは死者に捧げる幾つかのモニュメントを制作し、1930年頃からは宗教を主題とする彫刻を主に制作するようになります。




(上) 「ウィルゴー・パキス」(羅 VIRGO PACIS 平和のおとめ) モンマルトル、サクレ=クールのバシリカ 1934年




(上) マ・リリエの聖心の聖母像 原型を粘土で制作するジョルジュ・セラ。像は 1941年に完成。台座を除く聖母像本体の高さは 32.6メートル、全体の高さは 39メートル。


 特によく知られたジョルジュ・セラの作品としては、レズシュ(Les Houches オーヴェルニュ=ローヌ=アルプ地域圏オート=サヴォワ県)のル・クリスト=ロワ像(1934年)、モンマルトルのラ・バジリク・デュ・サクレ=クールにある平和の乙女像、マ・リリエ(Mas Rillier オーヴェルニュ=ローヌ=アルプ地域圏アン県)にある聖心の聖母像(1941年)を挙げることができます。

 レズシュのル・クリスト=ロワはリオデジャネイロのキリスト像と対比される有名な作品ですし、モンマルトルのサクレ=クール教会建設は国家的規模のプロジェクトでした。マ・リリエの聖心の聖母は平和の聖母とも呼ばれ、建設当時においてヨーロッパ最大の聖母像でした。このように規模が大きく重要なプロジェクトを任されたジョルジュ・セラは、二十世紀のフランスにおける最大のカトリック芸術家です。





 上の写真は男性店主が本品を持って撮影しています。女性が本品の実物をご覧になれば、写真で見るよりもひと回り大きなサイズに感じられます。

 本品は石膏像ではなく、灰白色の陶器にベージュの表層を被せています。体の前で組んだ右手親指の先に僅かな欠損、その他にも所々に小さな疵(きず)がありますが、七十年以上前のものとしてはたいへん良好な保存状態です。本品は型から抜いて作ることができず、彫刻家ジョルジュ・セラが自ら箆(へら)と粘土を手に取って制作しています。高さ三十メートル以上の巨像を多く手掛けた芸術家が、室内に置けるサイズに制作した愛すべき少女像です。

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本体価格 180,000円  ※ 6回、10回、12回、18回等の分割払い可。

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