ジョルジュ・セラ Georges Serraz, 1883 - 1964

ジョルジュ・セラ


 ジョルジュ・セラ(Georges Serraz, 1883 - 1964)は二十世紀前半から半ばにかけて活躍したフランスの芸術家です。彫刻を学んだ後、最初は主に画家として活動しましたが、1914年頃には再び彫刻に転じました。彫刻家としては宗教の主題を得意とし、後には肖像彫刻も多く制作しています。彫刻家及びメダイユ彫刻家として知られるミシェル・セラ(Michel Serraz, 1925 -)は、ジョルジュ・セラの息子です。


【ジョルジュ・セラの生涯】

 ジョルジュ・セラは 1883年1月13日、ディジョン近郊の小さな町イス=シュル=ティーユ(Is-sur-Tille ブルゴーニュ=フランシュ=コンテ地域圏コート=ドール県)に生まれました。早くも十代初めに優れた才能を現したジョルジュ少年は、1896年にブザンソン美術学校(l'École des Beaux-Arts de Besançon.)に入学して彫刻を学んだ後、1898年から 1914年にかけて油彩の肖像画連作を制作しています。この連作には 1904年から 1912年までイス=シュル=ティーユ町長を務めたアルノー・メスタニエ氏(Arnaud Mestanier, 1855 - 1915)の肖像も含まれ、この作品はイス=シュル=ティーユの町役場に収蔵されています。また油彩による肖像画以外にも、パステルによる肖像や風景画も描いています。

 第一次世界大戦の兵役から除隊すると、ジョルジュ・セラは死者に捧げる幾つかのモニュメントを制作しました。ジョルジュ・セラのアトリエは 1909年にディジョンに設けたのが最初ですが、1930年にはヴィロット=シュル=ウルス(Villotte-sur-Ource ブルゴーニュ=フランシュ=コンテ地域圏コート=ドール県)に住居兼アトリエを構え、この頃以降は宗教を主題とする彫刻を主に制作するようになります。特によく知られた作品としては、レズシュ(Les Houches オーヴェルニュ=ローヌ=アルプ地域圏オート=サヴォワ県)のル・クリスト=ロワ像(1934年)、モンマルトルのラ・バジリク・デュ・サクレ=クールにある平和の乙女像、マ・リリエ(Mas Rillier オーヴェルニュ=ローヌ=アルプ地域圏アン県)にある聖心の聖母像(1941年)を挙げることができます。




(上) レズシュ ル・クリスト=ロワ・デュ・モン=ブラン(モン=ブランの王キリスト) 高さ 23メートル 1934年に完成




(上) 「ウィルゴー・パキス」(羅 VIRGO PACIS 平和のおとめ) モンマルトル、サクレ=クールのバシリカ 1934年




(上) マ・リリエの聖心の聖母像 原型を粘土で制作するジョルジュ・セラ。像は 1941年に完成。台座を除く聖母像本体の高さは 32.6メートル、全体の高さは 39メートル。


 1964年6月20日、ジョルジュ・セラは心筋梗塞のため、ヴィロット=シュル=ウルスで亡くなりました。墓所は同所にあり、セラは二人の妻(先妻と後妻)とともに眠っています。



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