精緻な浮き彫りによる大天使ミカエル 黒い黄楊(つげ)のシャプレ・アンジェリーク モン=サン=ミシェル修道院 全長 37 cm
突出部分を除くメダイの直径 縦 11.1ミリメートル
シャプレの全長 37センチメートル
大きいビーズの長径と短径 9 x 5ミリメートル
フランス 1950年代頃
大天使ミカエルに執り成しを求めるときに用いられるシャプレ(数珠、ロザリオ)。「聖ミカエルのシャプレ」または「天使のシャプレ」と呼ばれる九連のシャプレで、ポルトガルのカルメル会修道女、アントニア・ダストナコ (Antónia d'Astónaco) が大天使ミカエルから受けた啓示に基づくものとされています。
本品の珠(ビーズ)は四角柱の両底面を小さくしたような樽型で、黒く塗った黄楊(つげ)でできています。珠はすべて同じ形で、おおよその長径は九ミリメートル、短径は五ミリメートルです。
ビーズの素材である黄楊は、キリスト教以前の古代から、「不死」「永遠の生命」を象徴します。また「枝の主日」に祝別される植物として、「キリストへの信仰告白」「救世主を迎える喜び」「キリストの勝利と栄光」「神との平和」を表します。
メダイは銀色で、直径 11.1ミリメートルと小ぶりのサイズです。メダイの表(おもて)には 鎖帷子(くさりかたびら チェーン・メイル)を着て冠を戴いた全軍の将サン・ミシェル(聖ミカエル)が、悪魔の象徴であるドラゴン(竜)を踏みつけ、波打つ刃が特徴的な大天使の剣を振り下ろそうとする瞬間が浮き彫りにされています。仰向けに倒された竜は頸を持ち上げ、必死で抵抗していますが、大天使に腹を踏みつけられて動くことができず、最後の一撃を待つばかりです。浮き彫りの周囲にはフランス語で「サン・ミシェル・アルカンジュ」(St.
Michel Archange 大天使サン・ミシェル、大天使聖ミカエル)の文字が刻まれています。ミカエルの背後に見えるジ・ベ(JB)のモノグラム(組み合わせ文字)は、ソミュール(Saumur ペイ・ド・ラ・ロワール地域圏メーヌ・エ・ロワール県)のメダイユ工房ジャン=バルム(Jean-Balme)の刻印です。
天使と悪魔はいずれも肉体を持たない霊であるゆえに、サン・ミシェルの剣もまた現実の鉄製武器ではなく、むしろ神の意志を形象化します。
剣は偉大な霊力を有する特別な物品と考えられており、この観念は洋の東西を問いません。わが国の古代神話において、素戔嗚(すさのお)は八岐大蛇(やまたのおろち)の尾から天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)を得、倭建命(やまとたけるのみこと)もこの剣を使います。素戔嗚の八岐大蛇退治は東晋の「捜神記」に類話があり、少女が剣で大蛇を殺します。時代は下って明代の「三国志演義」には、劉備と孫権の剣が甘露寺の庭の大石を十字に断つ話があります。このとき二人の刀が石を断ち割ったのは、刃の物理的強さによるのではなく、曹操を滅ぼして漢王朝を再興する志によります。
翻って西洋では、オイル語による最古の武勲詩「ローランの歌」("Chanson de Roland" 十一世紀)に、霊剣デュランダル(Durandal)が登場します。ピレネー山中ロンスヴォー峠において最期を迎えるとき、騎士ローランはデュランダルがイスラム教徒の手に渡るのを避けるため、これを岩に打ち付けて折ろうとしますが、却って岩が切り裂かれ、霊剣はまったく傷みませんでした。霊剣デュランダルの行方は杳として知れませんが、一説にはニュルンベルクの国立ゲルマン博物館(das
Germanische Nationalmuseum, GNM)にある宝剣がそれであるとも、ロカマドゥールの岩の割れ目に挟まっているのがそれであるとも言われています。デュランダルの場合は物語に神秘的要素が薄れていますが、単に硬く鋭い剣でないことは言うまでもなく、常軌を逸した性能は剣の霊力に由来すると考えられます。
上の写真に写っている定規のひと目盛りは、一ミリメートルです。本品の浮き彫りは極めて細密で、大天使と竜の顔かたち、大天使の鎖帷子や楯の造形、竜の鱗の造形などの細部が、数十分の一ミリメートルの正確さで浮き彫りにされています。
本品に浮き彫りにされたミカエルは、左手に小さな楯を持っています。楯には十字架とサクレ=クール(le Sacré-Cœur 聖心)が表されています。「ヨハネによる福音書」十五章十三節において、イエスは「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。」と語り給いました。神の子羊イエスの十字架は、極点に達した神の愛の表現です。人知を絶する強さゆえに愛の炎を吹き上げる心臓は、やはり神の愛の視覚化です。
「ミカエル」という名は「神の如き者」という意味のヘブル語で、ラテン語では「クイー・ウト・デウス」(羅 QUI UT DEUS)と訳されます。しかしながらユダヤ・キリスト教に半神は存在しません。高位の天使を含め、神でない有(羅
ENS/ENTES 存在者)は単なる被造物に過ぎません。したがって「クイー・ウト・デウス」という名は決して「神のような有(存在者)」という意味ではなく、むしろ「クイー・アギット・ウト・デウス・アガット」(羅
QUI AGIT UT DEUS AGAT)、すなわち「神の御心通りに振舞う者」という意味に解せます。
十字架と聖心をあしらった楯の意匠は、ミカエルの武器が神の意志であること、さらに神の意志とは神の愛に他ならないことを示しています。また楯の小ささは、愛こそが最強の武器であり、愛さえあれば別の大きな楯に頼る必要が無いことを示しています。
メダイの裏面には、小高い岩山にそびえるモン=サン=ミシェル修道院が浮き彫りにされています。
モン=サン=ミシェル(仏 le Mont-Saint-Michel)とはフランス語で「聖ミカエルの山」という意味です。古来ヨーロッパでは、山は大天使が降り立つところと考えられました。このためミカエルの聖地は、たいていの場合、山にあります。モン=サン=ミシェルは高い山ではありませんが、コーンウォールのセイント・マイクルズ・マウント(英
St Michael's Mount)、アイルランドのスケリッグ・マイクル(英 Skellig Michael)と同様に、海面から突き出た岩山です。ノルマンディーのモン=サン=ミシェルと、コーンウォールのセイント・マイクルズ・マウント、アイルランドのスケリッグ・マイクルはいずれもミカエルの聖地であり、修道院が造られました。
(上) レグリーズ・サン=ピエールの大天使ミシェル像 フランスの古い絵はがきより。
モン=サン=ミシェル修道院は外敵の侵入に対抗する要塞型建築であり、島の基部は頑丈な城壁に守られています。島内に入るには跳ね橋を渡り、1435年に造られたラ・ポルト・デュ・ロワ(仏 la porte du roi 王の門)を通過する必要があります。この後にもさらに四つの門を通り過ぎると、島内唯一の街路であるラ・グランド・リュ(仏 la Grande Rue 大通り)の起点にたどり着きます。ラ・グランド・リュの終点は塔付きの小さな聖堂で、レグリーズ・サン=ピエールという教会です。レグリーズ・サン=ピエール(仏 L'église Saint-Pierre 聖ペトロ教会、サン・ピエール教会)は十一世紀に建設され、十五世紀から十六世紀にかけて大規模に改装されたロマネスク様式の教区教会で、十三世紀の洗礼盤や十五世紀の彫像群、パリの金銀細工工房シェルティエ(Chertier)が1873年に制作した主祭壇など、素晴らしい調度を有します。レグリーズ・サン=ピエールの鐘楼基部は、南に開口する玄関でした。しかしながら南入口は塞がれて、1885年、玄関はラ・シャペル・サン・ミシェル(la Chapelle St. Michel 聖ミカエル礼拝堂)に改造されました。
本品に刻まれている大天使ミカエル(聖ミシェル)像は、1895年以来、ラ・シャペル・サン・ミシェルに安置されています。大天使像は全体を銀の板に覆われた 1877年の作品で、龕(がん 壁の窪み)に納められています。大天使は竜の姿のサタン(堕天使の首領、悪魔)を踏みつけ、止めを刺すために剣を振り上げています。像は
2004年に修復を受けています。
上の写真に写っている定規のひと目盛りは、一ミリメートルです。裏面の浮き彫りも表面と同様に極めて細密です。建物の形状や各建物の窓は言うまでもなく、修道院を守る城壁の石材や波頭に至るまでのあらゆる細部が、数十分の一ミリメートルのオーダーで正確に彫られています。
モン=サン=ミシェルはフランス革命期に修道士たちが追放された後、監獄に転用されました。ヴィクトル・ユゴー(Victor Hugo, 1802
- 1885)はモン=サン=ミシェルに設置された監獄の存在を嘆き、この囹圄(れいぎょ 牢獄)を尊い聖遺物箱に潜むヒキガエルに喩えました。
モン=サン=ミシェル監獄はユゴーをはじめとする知識人の批判を受け、第二帝政期である 1863年、皇帝ナポレオン三世によって閉鎖されました。1874年には歴史的記念建造物(仏
monument historique)に指定され、ともにヴィオレ=ル=デュク(Eugene Emmanuel Viollet-le-Duc,
1814 - 1879)の弟子である建築家、エドゥアール=ジュール・コロワイェ(Edouard-Jules Corroyer, 1835 -
1904)とポール・グゥ(Paul Gout, 1852 - 1923)によって修復作業が進められました。レグリーズ・サン=ピエールの「竜を倒す大天使ミカエル」像が制作された
1877年は、モン=サン=ミシェルの復興が始まった最初期に当たります。
上の写真は本品を男性店主の手に乗せて撮影しています。女性が本品の実物をご覧になれば、写真で見るよりもひと回り大きなサイズに感じられます。
本品が制作されたのは、第二次世界大戦後あまり時間が経たない 1950年代です。第一次世界大戦が終わった後、当時の人々は恒久平和と不戦を心から誓ったに違いありません。それにもかかわらず、先の大戦を上回る規模の第二次世界大戦が惹き起こされ、世界中が先の大戦を上回る規模の戦災に見舞われました。神の愛を唯一の武器として悪魔と戦う聖ミカエルの姿は、二十世紀の歴史を知る我々の心を揺さぶります。
本品の保存状態は良好で、特筆すべき問題は何もありません。チェーンに切れかかった部分、摩耗して細くなった部分等は無く、充分に実用可能です。チェーンにはもともと銀色のめっきが掛けられていましたが、年月が経つうちにめっきが剝がれ、温かみがある真鍮またはブロンズの色が所々に露出しています。この色と温かな雰囲気は、真正のアンティーク品である本品が歳月をかけて獲得した古色であり、レプリカ(複製品)にはない趣(おもむき)です。指先になじんで温かみのある黄楊のビーズが、信心具職人あるいは修道士による手作りの表情を留めています。
本体価格 18,000円 販売終了 SOLD
電話 (078-855-2502) またはメール(procyon_cum_felibus@yahoo.co.jp)にてご注文くださいませ。
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