アンティオキアの聖マルガリータ
Sancta Margarita de Antiochia




【上】 Francisco de Zurbarán, "St. Margarita", c. 1631, oil on canvas, 194 x 112 cm, The National Gallery, London


 アンティオキアの聖マルガリータ (St. Margarita de Antiochia, + 304) はローマ・カトリック教会、聖公会、ギリシア正教会で崇敬される殉教者です。

 ギリシア正教会において、聖マルガリータは聖ペラギア (St. Pelagia) あるいは聖マリーナ (St. Marina) という名前で知られています。ペラギアとマリーナはそれぞれギリシア語、ラテン語ですが、どちらも「海の」という意味です。

 聖マルガリータ(聖ペラギア、聖マリーナ)の出身地は「ピシディア (Pisidia) のアンティオキア」「フリギア (Phrygia) のアンティオキア」とも呼ばれるアンティオキア・カエサレイア(Antiochia Caesareia/Caesaria トルコ南西部ウスパルタ県)であって、「シリアのアンティオキア」「大アンティオキア」とも呼ばれるオロンテース川に面したアンティオキア(Antiochia ad Orontem トルコ南東部ハタイ県)ではありませんが、西ヨーロッパに流布した聖人伝において、この区別は忘れ去られています。


 西ヨーロッパにおいて聖マルガリータの歴史性は疑われ、教皇ゲラシウス1世 (Gelasius I, + 496) によって一旦カトリックの聖人ではないとされました。これ以降に聖マルガリータの名が初出するのは、マインツ大司教聖ラバヌス・マウルス (St. Rhabanus Maurus Magnentius, c. 780 - 856) の著書「殉教者伝」("Martyrologium") で、その後十字軍時代にふたたび崇敬されるようになりました。レゲンダ・アウレアには、「聖マルガリータの殉教を書き記し、読み、聞き、思い起こす者に、すべての罪の赦しが与えられる」という記述があり、このように贖宥を約束されたことが、聖マルガリータ崇敬の復興と伝播に大きく与かったと考えられます。

 聖マルガリータは特にイングランドで崇敬され、ウェストミンスター宮殿の教区教会である聖マーガレット教会 (The Anglican church of St Margaret,) をはじめ、200以上の聖堂がこの聖女に捧げられています。特にイースト・オブ・イングランドのノーフォークでは、58にも及ぶ聖堂が聖マルガリータの名を冠しています。


 聖マルガリータは十四救難聖人のひとりで、妊産婦の守護聖人です。また、ジャンヌ・ダルクの幻視に現れたことでも知られています。


 マルガリータ (MARGARITA) とは、ギリシア語マルガリーテース(すなわち、margarites lithos)をラテン語で表記した形で、「真珠」の意味です。(註1)


【聖ペラギア、聖マリーナと呼ばれる他の聖女たちとの関係、及び一群の「聖マリーナ・聖ペラギア伝」】

 上述したように、アンティオキアの聖マルガリータはギリシア正教会において聖ペラギア (St. Pelagia) あるいは聖マリーナ (St. Marina) という名前で呼ばれますが、古代には同じ名前を持つ数人の聖女がいます。

 同名の聖女のうち、よく知られた人に、ディオクレティアヌス帝時代に殉教した15歳の処女、アンティオキアの聖ペラギアがいます、この殉教者はアンブロシウスの説教にも登場します。(St. Ambrosius, "De virginibus", III, vii; Epist. XXVII, "Ad Simplicianum", xxxviii)

 また本来レバノンの聖人で、西ヨーロッパでは特にヴェネツィアで崇敬されている聖マリーナがいます。この人は男装の聖女として知られ、レゲンダ・アウレアに収録された聖人伝は、芥川龍之介の小説の題材にもなっています。

 アンティオキアの聖マルガリータをはじめとするこれら数人の「聖マリーナ」「聖ペラギア」は、中世以降の聖人伝において、互いに別人とされています。しかしながら聖人伝の最古層まで遡れば、上記の三人を含む数人の「聖マリーナ」、「聖ペラギア」は、本来同一の人物であったというのが学界の通説です。すなわち、もともとはごくありふれた内容であった殉教者伝がいくつもに枝分かれし、そのそれぞれにドラマチックな内容が付加されて、現在伝わる一群の聖マリーナ伝、聖ペラギア伝が完成したと考えられています。


 この説の有力な裏付けとなるのは、聖女たちの名前が同一であるという事実です。

 すなわち、ラテン語で「海」を表す名詞は「レ」(MARE)、「海の」を表す形容詞は「マリーヌス」(MARINUS) です。「マリーナ」(MARINA) という名前は、この形容詞の女性形に由来します。

 ギリシア語で「海」を表す名詞は「ラゴス」(pelagos)、「海の」を表す形容詞は「ペギオス」(pelagios) です。「ペギア」(Pelagia) という名前は、この形容詞の女性形に由来します。

 なお上のカタカナ表記において、太字はアクセントの位置を表します。ギリシア語とラテン語は、日本語やフランス語と同様のピッチ・アクセントです。アクセントがある音を高く発音してください。英語やドイツ語のように、ストレス(強勢)を置く必要はありません。


【レゲンダ・アウレアにおけるアンティオキアの聖マルガリータ】

 ヤコブス・デ・ヴォラギネの「レゲンダ・アウレア」は、アンティオキアの聖マルガリータについて、次のように伝えています。


 マルガリータはアンティオキアの長老で偶像崇拝者であったテオドシウス (Theodosius) の娘で、乳母に預けられて育ち、洗礼を受けた。15歳のとき、他の少女たちとともに乳母の羊を世話していると、そこに通りがかったオリュビオス (Olybius) という有力者が美しいマルガリータに恋をし、下僕たちに命じて自分のもとに連れてこさせた。マルガリータが結婚していなければ自分の妻にし、結婚していれば愛人にしようと考えたのである。

 マルガリータが連れてこられると、オリュビオスはマルガリータに家系、名前、宗教を訊ねた。マルガリータが答えると、オリュビオスは次のように言った。「家柄も名前も良いが、十字架刑を受けた神を信じるなどということは、美しく身分も高いあなたに相応しくない。」マルガリータはこれに答えて、キリストは自らの意志で十字架に架かり、いまは永遠の至福のうちにおられるのですと言った。オリュビオス怒り、マルガリータを投獄するように命じた。

 翌日、オリュビオスは神々を拝むようにマルガリータを説得し、さもなくば八つ裂きにするぞと脅したが、マルガリータは「キリストは私のために死にたまいました。私はキリストのためなら喜んで死にます」と答えた。そこでオリュビオスはマルガリータを吊り下げて棍棒で打たせ、また鉄の櫛を使ってその肉を骨から削り取らせた。血が川のように流れた。その場にいた者はみな、美しいマルガリータがこのような目に遭うのを嘆いて、神々を信じるようにマルガリータに勧めたが、マルガリータは「この肉体が苦しんでも魂は救われます」と答え、オリュビオスに向かって「恥ずべき犬、血に飢えたライオンよ。あなたは私の肉体を自由にできるが、私の魂に触れられるのはキリストだけだ」と言った。オリュビオスはマルガリータを下ろすように命じ、ふたたび投獄したが、獄吏はマルガリータの房が天上の光に照らされるのを見た。

【下】 Il Guercino, St Marguerite, oil on canvas, San Pietro in Vincoli, Rome




 戦うべき悪魔の姿を見せてくださるように、獄中のマルガリータが神に祈ると、果たして竜が現れて襲いかかってきたが、マルガリータが十字を切ると消えた。また別のときに竜はマルガリータを呑み込んだが、マルガリータが十字を切ると竜の腹が裂けて、マルガリータは無事であった。ただしこれは外典に属することであるとも言われている。

 また人間の男の姿をした悪魔も現れたが、マルガリータは悪魔の首を右足で踏みつけて捕らえ、名を問うた。悪魔が「私はソロモン王が真鍮の壺に閉じ込めた大勢の悪魔のうちのひとり、ウェルティス (Veltis) です」と答え、マルガリータが「失せよ」と命じると大地が開いて、悪魔はそこに呑み込まれた。このことがあって、マルガリータは、悪魔の主人(竜)に打ち勝つならば下僕(ウェルティス)にはさらに容易に打ち勝てるということがよくわかったのである。

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 次の日、人々がみな集められて、マルガリータは裁判官の前に引き出され、偽りの神々に生贄を捧げないという理由で、火の中に投げ込まれて体を焼かれた。人々はこのようなか弱い乙女がこれほどまでの拷問を受けることに心を動かされた。次にマルガリータはきつく縛られ、水を満たした大鍋に投げ込まれた。これは拷問の種類を次々に変えて、嘆きと苦しみを強めるためであった。

 しかし突然大地が震え、幸いなる乙女マルガリータは何一つ危害を受けずに水から出て、主を讃えて言った。「主よ。私にとってこの水が永遠の命を得るための洗礼となりますように。」そのとき大きな雷鳴が聞こえて天から鳩が降り立ち、マルガリータの頭に黄金の冠を置いた。この出来事で5000人がキリストを信じ、オリュビオスの命によって斬首された。

 オリュビオスは聖マルガリータの信仰に揺るぎがないのを見、マルガリータによってキリスト教への改宗者が出ることを恐れて、聖女の斬首を命じた。マルガリータは次のように神に祈った。「神よ。この栄光を受けさせてくださることを感謝します。私を迫害する者たちを赦したまえ。私の殉教を書き記し、読み、あるいは聞く者に、また私を思い起こす者に、すべての罪の赦しを与えたまえ。子供を身ごもって旅をする女性が私の助けを求めるならば、あなたがその女性を危険から守りたまい、子供を五体満足で生まれさせたまえ。」マルガリータが祈り終えると、「汝の祈りは聞き届けられた。天の門は開いて汝を待っている。永遠の休息の国に来なさい」という天からの声が聞こえた。マルガリータは主に感謝して立ちあがり、刑を執行するように執行人に命じた。執行人は「神かけて、私にはできない。あなたはキリストの乙女です」と答えたが、マルガリータは「刑を執行しないなら、あなたは私の友ではない」と言った。執行人は恐れながら刑を執行したが、マルガリータの足許に倒れ、そのまま死んだ。

 テオティヌス (Theotinus) は聖女の遺体をアンティオキアに運び、シンクレティア (Sincletia) という高貴な未亡人の家に埋葬した。聖マルガリータが殉教の栄冠を得たのは7月20日、または7月13日である。




註1 ロマンス諸語において、「真珠」は次の語で表されます。

伊 perla  仏 perle  西 perla  葡 perola  ルーマニア語 perla  レトロマン語 perla

これらの語はいずれも「真珠」を表す俗ラテン語ペルラ (PERLA) またはピルラ (PIRULA) に由来しますが、ペルラまたはピルラの語源には次のふたつの説があります。

・ラテン語ペルナ(PERNA 「大腿部」)に縮小辞 -ula が付いてペルヌラ (pernula* カキ類の貝の名前) になり、さらに変化して俗ラテン語ペルラ (PERLA) になったとする説。

・ラテン語ピルム(PIRUM 洋梨)に縮小辞 -ula が付いて俗ラテン語ピルラ (PIRULA) になったとする説。

 古典ラテン語において「真珠」を指す語は、古典ギリシア語のマルガリーテース・リトス (margarites lithos) に由来するマルガリータ (MARGARITA) ですが、この語はやがてペルラ (PERLA)、ピルラ (PIRULA) に完全に置き換えられてしまいました。私はマルガリータが「真珠」の意味のままロマンス語に入った例を知りません。



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