聖母子と聖父子を一枚の表裏に表した小さなメダイ。フランスのメダイユ彫刻家カロ (Karo) の作品です。
一方の面にはリヨンを一望する丘の上に建つバシリカ 「ノートル=ダム・ド・フルヴィエール」(Notre-Dame de Fourvière) に安置されている同名の聖母子像「フルヴィエールの聖母」を、たいへん細かいミニアチュール彫刻で浮き彫りにしています。聖母子は戴冠し、十字架と聖心を首に懸けています。聖母は柔らかい衣の上に唐草模様のマントを羽織っており、マントには白百合と薔薇が飾られています。これらの細部はすべて数分の一ミリメートルのサイズで彫られています。足元の雲は聖母子が天上にあることを示します。聖母に執り成しを求めるフランス語の祈りが、聖母子を取り囲むように刻まれています。
Notre-Dame de Fourvière, priez pour nous. フルヴィエールの聖母よ、我らのために祈りたまえ。
(下・参考画像) 聖母子像「ノートル=ダム・ド・フルヴィエール」(フルヴィエールの聖母) 古い版画より
下の写真は実物の面積を85倍に拡大しています。定規のひと目盛は 1ミリメートルです。聖母子の顔はいずれも直径1ミリメートルの範囲に収まります。
人物像の顔を直径1ミリメートルの範囲に収まるように彫るだけでも常人には不可能なことですが、この作品の聖母子は目鼻立ちが整っているばかりか、それぞれの表情には不可視の精神が形象化されています。すなわちこの作品において、聖母は執り成しを願う者すべてを母の愛で包み込むかのように優しい微笑みを浮かべ、幼子の表情には母への愛と信頼が表れています。
フランスはメダイユ彫刻が極度に発達した国であり、カトリックのメダイにも美術メダイユの流れを汲む作品が多くあります。本品も十分に美術工芸品と呼べる水準の優れた作例です。しかしながらカトリックのメダイは、美しい工芸品であるとともに、信徒を励まし信仰を高めるための信心具でもあります。
本品を制作したメダイユ彫刻家は、優れた芸術的感覚と超絶的ともいえる彫刻技術により、この小さな浮き彫りに深い宗教性を賦与しています。すなわちこの浮き彫り彫刻は、聖母がこれほどまでに愛情深く、イエスがこれほどまでに母を信頼しておられるのであれば、聖母に執り成しを願う罪びとの祈りは必ずや聞き届けられるに違いないと、見る者に確信させる力を持っているのです。本品は彫刻家自身の深い信仰に裏付けられ、祈りを込めて制作されたメダイであることがよくわかります。
執り成しを求める祈りの後ろに、メダイユ彫刻家カロのサイン (Karo) が彫られています。私はこの人の経歴を知らないのですが、これまで目にした作品はいずれも優れて美しい出来栄えです。数々の作品を実見したうえで、20世紀前半のフランスにおいて私が最も高く評価するメダイユ彫刻家のひとりです。
もう一方の面には聖父子、すなわち幼子イエスとその父聖ヨセフが彫られています。聖母子像の場合、聖母はイエスの向かって左側に描かれることが多いのですが、これは聖母が天上において「イエスの右(すなわち、向かって左)の座」を占めていることを表します。絵画や浮き彫り彫刻においてヨセフが幼子イエスを抱く場合も、ヨセフはイエスの右(向かって左)にいる作例が大多数を占めますが、これは聖母子像に倣って描かれているためでしょう。また父子は互いに睦みつつも両者ともほぼ正面を向き、ホデーゲートリア(Ὁδηγήτρια ギリシア語で「道を示す女性」の意)型、すなわち救い主を世に示す聖母と同様の画面構成となっています。本品の浮き彫りは父子共に正面を向いているので、ロマネスク式聖母子像との類似を指摘することができます。
神性を表す十字架付の後光を戴くイエスは、左手にグロブス・クルーキゲル(世界球)を持ち、幼いながらも威厳ある身振りで右手を挙げて祝福の姿勢を執っています。グロブス・クルーキゲル(GLOBUS CRUCIGER ラテン語で「十字架付の球体」の意)とは上部に十字架を立てた球体のことで、全宇宙に対する支配権を表します。
聖ヨセフは図像学の伝統に従って高齢の男性として表され、右手に白百合を持っています。通常この百合はヨセフがマリアの浄配であること、すなわちマリアとの間に肉体関係が無いことの象徴であると解されています。この解釈は決して誤りではありませんが、聖父子像の百合には純潔の象徴にとどまらない積極的な意味があります。
ヨセフの百合が純潔の象徴に過ぎないならば、ヨセフはイエスを抱かない単独像であってもよいはずです。百合を持ったヨセフを、イエスではなくマリアとともに描けば、「純潔」の意味はさらに強調されるでしょう。しかしながら実際には、百合を持ったヨセフは、単独像でもなく、マリアとともにでもなく、幼子イエスとともに描かれます。これはどうしてでしょうか。
百合の象徴性は多様であり、「純潔」を表す以外にも、「神に選ばれた身分」、及び「すべてを神に委ねる信仰」を表します。旧約の「雅歌」 2章 2節ではユダヤ民族が「茨の中に咲きいでたゆりの花」に譬えられていますし、キリスト教では同じ聖句が神に選ばれたマリアを指すと解釈されています。また「マタイによる福音書」 6章及び「ルカによる福音書」 12章では、栄華を極めたソロモンに勝って美しく装う百合が、神の摂理への無条件的な信頼、揺るぎない信仰を象徴しています。
ヨセフはイエスの父として神に選ばれました。また夢に現れた天使の言葉を信じて、懐妊したマリアを妻として受け入れました。それゆえ力強い父ヨセフが幼子イエスをしっかりと抱いている図像において、百合は純潔を表すというよりも、むしろヨセフが信仰ゆえに父として選ばれたことを強調していると考えられます。
本品において、ヨセフの右側(向かって左側)にある "AP" のモノグラムはメダイユ工房の刻印で、裏面にも同じものがあります。聖父子の面にはメダイユ彫刻家のサインが無く、裏面と同じくカロの作品であるかどうかは不明です。
このメダイは数十年前のフランスで制作された真正のヴィンテージ品ですが、古い年代にもかかわらず完全な状態で残っています。特筆すべき問題は何もありません。リヨンの人々の祈りに加えて、メダイユ彫刻家自身の祈りを伝える名品です。