極稀少品 ニッコロ・チェルバーラ作 《マーテル・アドミーラービリス 誉むべき御母》 聖心会による教育解禁記念メダイ 直径 15.3 mm ローマ、トリニタ・デイ・モンティ修道院 1849年


突出部分を除く直径 15.3 mm

ローマ共和国  1849年



 およそ百七十年前、聖マドレーヌ=ソフィー・バラの在世中に制作された聖心会(la Société du Sacré-Cœur de Jésus, Societas Sacratissimi Cordis Jesu)のメダイ。イタリア人彫刻家ニッコロ・チェルバーラの作品で、第二共和政(1848 - 1852年)のフランスにおいて宗教教育への規制が撤廃されたことを記念し、1849年のローマ共和国で制作されています。





 メダイの表(おもて)面には、椅子に腰かけて右足を台に乗せ、糸を紡ぐ聖母の姿が浮き彫りにされています。聖母の右側(向かって左側)には、背の高い花瓶に百合が活けられています。聖母はふと作業の手を留め、眼を閉じて祈っています。


 近世以前、糸紡ぎは女性の大切な仕事でした。商品経済が発達する以前の時代、糸や布は買う物ではなく、主婦が家庭内で作るものでした。聖母が糸を紡ぐ話は聖書には出てきませんが、糸紡ぎは女性の仕事を代表する位置にあったゆえ、聖母マリアを始めとする聖女たちは、糸を紡ぐ姿でしばしば表されます。

 しかしながら本品が聖心会のメダイであることを思えば、聖母の糸紡ぎは、修道女の手仕事と同様に、祈りと渾然一体になった信仰の業であることが分かります。祈る聖母はやがて糸紡ぎを再開することでしょう。しかしながら糸紡ぎは祈りからシームレスに連続し、聖母は糸とともに祈りを紡ぎ続け給うことでしょう。


 古来、糸は生命や運命の象徴でもあります。古代ギリシア人は、人間の生を、モイライ(Μοῖραι)が紡ぎ、割り当て、切断する糸として表象しました。本品の浮き彫りにおいても、聖母が紡いでいるのは単なる物品としての糸ではありません。

 本品はフランスの聖女マドレーヌ=ソフィー・バラ(マグダレナ=ソフィア・バラ Madeleine-Sophie Barat, 1779 - 1865)が 1800年にパリで創設した聖心会(la Société du Sacré-Cœur de Jésus, Societas Sacratissimi Cordis Jesu)のメダイです。聖心会は女子教育への貢献を目的とする修道会で、わが国においても聖心女子大学や各地の聖心女子学院をはじめ、多数の学校を運営しています。

 本品には聖心会のキリスト教教育を神が祝福し給うようにとの祈りが籠められています。この面の浮き彫りにおいて、聖母は聖心会を加護し給う聖母に他ならず、瞑目する聖母が取り次ぎ給う祈りは、聖心会の祈りに他なりません。聖母が紡ぐ糸は聖心会の途切れない活動を意味するとともに、聖母と一体になって働く聖心会が、その教育活動によって涵養するミッション・スクール生たちの精神の糸をも象徴しています。


 イタリアの古い絵はがきより


 この聖母像は、ローマにある聖心会本部修道院トリニタ・デイ・モンティの壁画を基にしています。「トリニタ・デイ・モンティ」(伊 Trinità de' Monti)はイタリア語で「丘の三位一体」という意味で、ローマのスペイン広場から階段を上がったところにある聖心会修道院(Convento di Trinità de' Monti)、及び修道院付属聖堂(La chiesa della Santissima Trinità dei Monti)の名前です。

 ローマ市内にはフランス人巡礼者の世話をするために作られた教会(les Pieux Établissements de la France à Rome)が二箇所あり、そのひとつがトリニタ・デイ・モンティ教会です。もうひとつはトレヴィにあるサンティ・クラウディオ・エ・アンドレア・デイ・ボルゴニョーニ教会(La chiesa dei Santi Claudio e Andrea dei Borgognoni)です。





 聖母の浮き彫りを囲んで、執り成しを求めるラテン語の祈りが刻まれています。

  MATER ADMIRABILIS, ORA PRO NOBIS. 誉むべき御母よ、我らのために祈り給え。


 メダイの最下部にはイタリアのメダイユ彫刻家ニッコロ・チェルバーラ(Niccolò Cerbara, 1793 - 1869)のサインが刻まれています。

 本品が制作される前年の 1848年は、フランスを皮切りに、ヨーロッパ各地で革命が連鎖的に起こった年でした。この年にフランスにおいて七月王政を倒し、第二共和政を成立させた革命を、二月革命といいます。二月革命はイタリア半島にも波及して、ローマでは市民の叛乱がおこり、保守主義者の教皇ピウス九世は教皇領から逃げ出しました。教皇が不在になった教皇領を引き継いで、翌 1849年におよそ半年の間、ローマ共和国(伊 la Repubblica Romana)が成立しました。

 ニッコロ・チェルバーラはローマ共和国の貨幣彫刻家に起用され、額面八種類のバヨッキ貨(1/2, 1, 3, 4, 8, 16, 40)を彫っています。バヨッコ baiocco(複数はバヨッキ baiocchi)は、イタリア統一に伴ってリラが導入される以前の貨幣単位です。

 ローマ共和国はルイ=ナポレオンが派遣したフランス軍に攻撃され、1849年7月2日に消滅します。ローマ共和国の貨幣彫刻家であったニッコロ・チェルバーラは共和国の崩壊に伴ってローマを離れ、1869年にトスカナで亡くなりました。





 裏面の意匠は、薔薇の花環すなわちロザリオの中心に、聖心会総本部がある「ローマ」、及び 1849年の年号を記しています。ロザリオの外側は、メダイを取り巻くように、次の言葉が刻まれています。

     EGO FLOS CAMPI ET LILIUM CONVALLIUM.    われは野の花なり。谷間の百合なり。
         
     Trinità de' Monti    トリニタ・デイ・モンティ


 「われは野の花なり。谷間の百合なり」(羅 EGO FLOS CAMPI ET LILIUM CONVALLIUM.)はヴルガタ訳による「雅歌」二章一節の引用で、和訳は筆者(広川)によります。

 引用個所前半の植物名は、ヴルガタ訳では「野の花」(羅 FLOS CAMPI)となっていますが、これは薔薇を指しています。薔薇は聖母の象徴です。罪は棘によって象徴されるゆえに、無原罪のマリアはロサ・ミスティカ、すなわち棘の無い「神秘の薔薇」として表象されます。薔薇は「ローマ」(ROMA)と書かれた上方にも刻まれています。

 引用個所後半の植物名は、ヴルガタ訳では「谷間の百合」(羅 LILIUM CONVALLIUM)となっています。現代人は「谷間の百合」という名前でスズラン(Convallaria majaris)を連想しますが、スズランはごく近年までユリ目ユリ科 (Liliales, Liliaceae) に分類されてきました。したがって「リーリウム・コンヴァッリウム」はいずれにせよ百合を指しています。百合もまた聖母の象徴です。





 裏面最下部には、「トリニタ・デイ・モンティ」と刻まれています。ローマのトリニタ・デイ・モンティは聖心会の本部です。2006年までここにあったローマ聖心学院は、名門女子校として知られていました。


 第一共和政(革命期の共和制)に比べると、フランス第二共和政政府の姿勢は格段に穏健でした。二月革命の直後には大統領選挙が行われ、この選挙によってナポレオン一世の甥であるルイ=ナポレオン(Louis-Napoléon Bonaparte, 1808 - 1873)がフランス共和国大統領に選ばれました。ルイ=ナポレオンはこの僅か三年後に皇帝に即位し、フランスは第二帝政に移行することになります。ルイ=ナポレオンの大統領就任と、革命に拠らない帝政への移行が示すように、フランス第二共和政は共和政体でありながらも社会主義勢力が後退を重ねた時代であり、カトリック教会が勢いを盛り返した時代でもありました。

 第二共和政が発足した当初、フランスにおける教育はパリ大学による独占的指導の下にあって、中等学校以上の私学を設立することも、宗教教育を行うこともできませんでした。しかしながら 1849年4月、カトリック教会寄りのファルー公爵をはじめとする議員によって教育改革が提案され、ミッション・スクールの設置が可能になりました。この改革案は、後に「教育に関する1850年3月15日の法律」(Loi du 15 mars 1850 relative à l'enseignement)、通称ファルー法(la loi Falloux)として法制化されます。

 フランス共和国の教育改革案は、私立学校視察と認可の権限をパリ大学に残していたので、カトリック界の意見は二分しました。このとき聖心会創立者のマドレーヌ=ソフィー・バラ修道女は政府の改革案をよく研究し、フランス・カトリック界において積極的に発言しました。教皇ピウス九世はフランス共和国の決定を受け容れるように、フランスの司教団に命じました。理念的な原理原則に拘泥するよりも、宗教教育の現実化を優先したのです。これは実効性の点で賢明な判断ですし、常に現場で働く教育者であろうとしたマドレーヌ=ソフィー・バラ修道女にとっても歓迎すべき結果でした。

 1849年、聖心会は少女たちに福音の種を蒔くときをようやく迎えました。宗教教育の自由化を記念して制作された本品には、マドレーヌ=ソフィー・バラ修道女の喜びが籠められています。





 上の写真に写っている定規のひと目盛りは、一ミリメートルです。薔薇の花と葉は一ミリメートル前後の極小サイズですが、いずれも丁寧な浮き彫りによって写実的に表され、香しい薫りを感じさせます。

 香りは目に見えませんが、空間全体に行きわたって空間の在り様(よう)を決定します。またその空間に在る人の健康と生命力にまで影響を及ぼします。教育も薫りに似て、不可視でありながらも強い力を有し、人格の在り様を根本から決定します。また教育を受けた人を取り巻く他者や、社会全体の健全性にまで、教育は影響を及ぼします。裏面に刻まれた香しき花々はロザリオの花環となり、聖マドレーヌ=ソフィー・バラと聖心会の修道女たちの信仰を象(かたど)るとともに、聖心会の教育が信仰の実践に他ならないことを表しています。





 本品はおよそ百七十年前、フランス二月革命に端を発した動乱の時代に制作された作品です。ニッコロ・チェルバーラの作品であることから、短命に終わったローマ共和国で制作されたものと思われます。

 ニッコロ・チェルバーラはローマ共和国の貨幣彫刻家に就任し、創作活動が最も充実した時期に本品を制作しています。本品のテーマはフランスにおける宗教教育の復活であり、聖マドレーヌ=ソフィ・バラ(聖マグダレナ=ソフィア・バラ)の在世中に、聖心会への祝福を願うメダイとして制作された作品です。フランスにおける宗教教育の復活は二月革命の果実でした。しかしながら同じ革命がもたらしたもう一つの果実、ローマ共和国は、ほかならぬルイ=ナポレオンのフランス軍から攻撃を受け、わずか半年で瓦解します。ローマの彫刻家ニッコロ・チェルバーラはトスカナ大公国に亡命を余儀なくされ、当地で亡くなりました。本品に刻まれた両面の浮き彫りは、ヨーロッパ諸国が大きく揺れ動いた 1848年から 1849年の歴史を形象化し、鏡のように映して固定したものに他なりません。

 本品は恐らく二度と手に入らない稀少品です。パリのカルナヴァレ美術館(Musée Carnavalet, Histoire de Paris)には、本品と同じメダイが収蔵されています(Numéro d’inventaire: ND10531)。





本体価格 35,800円 販売終了 SOLD

電話 (078-855-2502) またはメール(procyon_cum_felibus@yahoo.co.jp)にてご注文くださいませ。




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