稀少な高級品 清澄なガラスのしずく 《聖母の愛とガリアの悔悛 小さな銀製メダイ 15.5 x 11.3 mm》 優れた保存状態の一点 フランス 1876年から
1880年頃
突出部分を含む縦横のサイズ 15.5 x 11.3 mm 最大の厚さ 5.6 mm 重量 1.3 g
本体価格 16,800円
1876年から 1880年頃のフランスで制作されたルルドの聖母のメダイ。銀製メダイの両面に、融解した無色のガラスを落として固め、涙のように可愛いペンダントに仕上げています。
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銀製メダイの一方の面には、ルルドに出現した聖母と、ロザリオを手に跪く少女ベルナデット・スビルーを浮き彫りにしています。これを囲むようにフランス語で「我は無原罪の御宿りなり」(Je
suis l'Immaculée Conception.) と記しています。メダイの最下部には、聖母出現の年号(1858)が刻まれています。
無原罪の御宿り(羅 IMMACULATA CONCEPTIO 仏 l'Immaculée Conception)は「原罪を引き継ぐことなく受胎された子供」という意味で、聖母マリアを指しています。
1858年3月25日、ルルドの聖母が十六回目に出現した際、ベルナデットが四回繰り返して名を尋ねると、聖母は「我は無原罪の御宿りなり」と答えたと伝えられます。
もう一方の面に刻まれているのは、聖母出現の場所を蔽うように建てられた大きな聖堂で、エグリーズ・ド・ロゼール(Église de Rosaire ロザリオ教会)と記されています。
本品の縦のサイズは突出部分を含めても 15.5ミリメートル、横のサイズは 11.3ミリメートルです。文字の高さと主塔の太さはいずれも 1ミリメートル未満です。このような極小サイズにもかかわらず、この建物は誰が見てもルルドのバシリカがわかる見事な描写となっています。
本品は水あめ状に融けた高温のガラスを銀製メダイに融着しています。成分を調節して粘度を上げたガラスはメダイ上に盛り上がり、あたかも聖母の涙のように見えます。
十九世紀のフランスでは、1846年のラ・サレット、1858年のルルド、1871年のポンマンと、聖母の出現が立て続けに起こりました。それらの出来事において、出現した聖母はたびたびフランスの不信心を責め、ときに涙を流し給いました。
銀のメダイに無色のガラスを被せた本品は聖母が流し給う愛の涙であり、フランス国民が流す悔悛の涙です。ルルドのバシリカが建てられたのは、普仏戦争の敗戦から間もない
1876年ですが、本品もこれとほぼ同時期に作られたものと思われ、悔悛のガリア(羅 GALLIA PŒNITENS)における信心具制作を優れて代表する作例となっています。
ルルドの聖母のメダイ自体は珍しくありませんが、ほとんどすべてが金属片を打刻しただけの作例です。しかるに本品は銀製メダイの両面に高温のガラスを融着させています。
銀は信心具に使われる最高級の素材です。また融解したガラスを小さなメダイに載せるのは、熟練を要する危険で困難な作業です。最高の素材を使い、困難な工程を経て作られた本品には、地上の罪びとを愛するゆえに心を痛め、涙を流し給うた聖母に対して最も善きものを捧げたいという気持ちが籠められています。
上の写真は本品を男性店主の手に乗せて撮影しています。女性が本品の実物をご覧になれば、写真で見るよりもひと回り大きなサイズに感じられます。
本品はフランスを愛し給う聖母の涙であるとともに、聖母への愛と心からの悔悛を表すフランスの涙でもあります。二つの涙は本品において重なり合い、混じり合い、清澄な生命の泉となってルルドに湧き出しています。神は聖母の執り成しにより、フランスの悔恨を嘉(よみ)し給うことでしょう。
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本体価格 18,800円 販売終了 SOLD
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