「ルルドの聖母」をテーマに制作された長方形のプラケット。「プラケット」(仏 plaquette) とはフランス語で四角いメダイユを指します。
表(おもて)面にはノートル=ダム・ド・ルルド(仏 Notre-Dame de Lourdes ルルドの聖母)の横顔を浮き彫りにしています。
図像に表現される聖母マリアは髪を露わにしていることがなく、常にヴェールまたはマントを被っています。ロマネスク期までの聖母像は黒や茶など、明度が低く地味な色の衣やマントを着た姿で描かれる場合が多いのですが、これはマーテル・ドローローサ(羅 MATER DOLOROSA 悲しみの聖母)が聖母の第一の属性と考えられたからです。つまりロマネスク期までの聖母像が身に纏う暗く地味な色の衣とマントは、喪衣なのです。
しかるにゴシック期以降の聖母像は、ステンド・グラスやエマイユの輝く青に影響され、鮮やかな青のマントをまとうようになります。さらに十九世紀になると聖母の無原罪性が図像においても強調されて、図像のマリアは白い衣を纏うようになり、ときには被り物(マントやヴェール)の色も白になります。
ルルドに出現した少女マリア、後の聖母は、ベルナデットに名を問われた際、「わたしは無原罪の御宿リです」(ガスコーニュ語 Que soy era
Immaculada Concepciou.)と答えました。ベルナデットが幻視した聖母は、ベルナデット自身と同じぐらいの年齢、すなわち十代半ばの少女の姿でした。したがってルルドの聖母が頭に被っているのは、マーテル・ドローローサの喪のヴェールではなく、純白の薄絹でできた花嫁のヴェールです。本品のマリアが被るヴェールは、「祈り」すなわち「神との対話」を象徴するとともに、マリアが神に選ばれた「花嫁」であることをも表しているのです。
本品の浮き彫りにおいて、少女マリアは口許に微笑を浮かべつつ、天上に眼差しを注いでいます。家の中に突然天使が入ってきて、メシアの受胎を告知されるという異常な出来事にもかかわらず、少女マリアは「お言葉どおり、この身に成りますように」と答えました。アブラハムやヨブにも勝るこの信仰ゆえに、マリアは神の花嫁として選ばれたのです。本品を制作したメダイユ彫刻家は、優れた芸術的感覚と卓越した技量により、「無条件に神に付き随う信仰」という不可視の価値を、美しいマリア像に形象化しています。
上の写真に写っている定規のひと目盛りは、一ミリメートルです。マリアの目、鼻、口はいずれも一ミリメートルほどのサイズですが、これは浮き彫りの精度が数十分の一ミリメートルのオーダーであることを示します。
表(おもて)面上部の左右両端にはゴシック風のトリロブ(仏 trilobe 三つ葉)を変形させた意匠が、下部の左右両端には蔓の先端か若芽のような意匠があしらわれています。これらの装飾は画面を引き締めるとともに、有機的曲線によってプラケットの直線的シルエットを和らげ、聖母にふさわしい優しさを表現しています。下部両端の若芽の意匠は、恩寵の器なる聖母を通して神が与え給う生命を表しています。
裏面はマサビエルの岩場における聖母出現を、様式化された図像で表現しています。
岩場に出現したマリアは右腕にロザリオを掛け、胸の前に両手を合わせて、「わたしは無原罪の御宿りです」と名乗っています。マリアは茨の繁みに裸足で立っているにもかかわらず、その足は傷ついていません。これはマリアが原罪をその身に帯びないロサ・ミスティカ(羅 ROSA MYSTICA 神秘の薔薇)であることを表します。ベルナデットは祈りを象徴するヴェールを被り、手首にロザリオを掛けて跪いています。胸の前に合わせたベルナデットの手は、シエルジュ(仏
cierge 大ろうそく)を捧げ持っています。
ベルナデットの傍らには脱いでそろえた靴と薪の束が置かれています。正確にいえば、薪拾いのベルナデットが靴を脱いで川を渡ったのは、聖母が一回目に出現したときです。しかるに本品の裏面に刻まれている聖母は、十六回目の出現時にベルナデットに名を問われ、「わたしは無原罪の御宿りです」と答えた際の姿です。歴史的事実とメダイの描写に齟齬(そご 食い違い)があるわけですが、聖母が「わたしは無原罪の御宿りです」と名乗り、その前に跪くベルナデットの傍らに靴と薪の束を配するのは、ルルドのメダイや聖画における定型的様式となっています
ルルドの聖地マサビエルとは、この町を貫流するポー川(le gave de Pau)の岩場です。「マサビエル」(仏 Masabielle)とはイール=ド=フランス方言(標準フランス語)での名称で、ルルドで話されるガスコーニュ語ビゴール方言では「マサビエラ」と呼ばれています。「マサビエラ」(massavielha)とは「古い岩塊」という意味ですが、その名の通り、ルルドのマサビエラは高さ二十七メートルもある巨大な石灰岩の塊です。
マサビエラは基部にポー川の浸食を受けて、高さ 3.80メートル、奥行 9.5メートル、幅 9.85メートルのグロット(仏 grotte 洞穴、岩に開いた大きな横穴)を生じています。洞穴に向かって立つと右上方に縦長の開口部があって、開口部の奥は下の洞穴に繋がっています。ベルナデット・スビルーが幻視した少女マリアは、この開口部に立っていました。若き聖母に指示されたベルナデットが、洞穴内の土を手で掘ったところ泉が湧き出して、多数の病人に奇跡的な治癒効果を発揮しました。
上の写真に写っている定規のひと目盛は、一ミリメートルです。聖母の表情がはっきりとしないのは軽度の摩滅のせいであろうと思われますが、ベルナデットの心眼にぼんやりと見え、ベルナデット自身が何を見ているのか分からずに「あれ」(aquello)と呼んだ聖母の姿に、如何にもふさわしい形象となっています。ベルナデットの顔はおよそ一ミリメートルの極小サイズですが、目鼻口が表されているばかりか、聖母を見上げる敬虔な表情までもが、あたかも生身の少女を眼前に見るかのように再現されています。
マサビエルのグロット(洞穴)右上の開口部には、リヨンの高名な彫刻家ジョゼフ=ユーグ・ファビシュ(Joseph-Hugues Fabisch,
1812 - 1886)による大理石の聖母像が安置されています。ファビシュの聖母像は顔をわずかに上向きにし、天を仰いでいます。ベルナデットはファビシュの大理石像を気に入らなかったのですが、それはひとつには大理石像の芝居じみた姿勢に違和感を覚えたためであろうと思われます。ベルナデットによると、「無原罪の御宿リ」を名乗ったときの聖母は、眼差しを上に向けましたが、顔全体を上に向けたわけではなかったのです。
しかしながら本品の浮き彫りにおいて聖母は顔を上に向けず、ベルナデットの証言通り、視線のみを上に向けています。またマサビエルの現場では、グロット右上の開口部はかなり高いところにありますが、本品のメダユール(仏
médailleur 浮き彫り彫刻家)は聖母とベルナデットをほぼ同じ高さに置いています。聖母とベルナデットの立ち位置を変更して同一平面に置いたのは、ふたりの像を大きなサイズに制作するための工夫でしょう。しかしながら聖母を高所から降ろしてベルナデットの近くに立たせたのは、もともと浮き彫り制作の実際的理由による構図であるにしても、天の栄光の座から降りてピレネー山中に降臨し、罪ある地上の子らに近づき給うた聖母の愛を、図らずも巧みに視覚化しています。
上の写真は本品を男性店主の手に乗せて撮影しています。女性が本品の実物をご覧になると、写真よりもひと回り大きなサイズに感じられます。
ルルドのメダイは多くの作品が作られているだけに、浮き彫りの出来栄えにも大きな幅があります。本品は定型的な図柄に拠りつつも、いずれの面も非常に優れた出来栄えであり、信心具に留まらない美術品の水準に到達しています。
本品は八十年以上前のフランスで制作された真正のアンティーク品ですが、古い年代にもかかわらず保存状態は良好です。特筆すべき問題は何もありません。均一で美しいパティナ(古色)が、突出部分の金属光沢を引き立てています。