ポンマンの希望の聖母 リジューのテレーズ フランスの守護聖女のロケット型メダイ 卵白アルブミン・プリント二葉入り 25.8 x 17.0 x 7.4 mm


突出部分を含む縦横のサイズ 25.8 x 17.0 mm  最大の厚さ 7.4 mm

フランス  1910年頃



 フランスの守護聖女とも呼ぶべきふたりの聖女、ポンマンの聖母リジューのテレーズ(テレジア)のメダイヨン(ロケット)。二葉の写真を挟んだ厚みのあるガラスレンズをブロンズのバンドで束ね、針金で固定しています。





 二葉の写真のうち、一葉はポンマンの聖母に扮し、腕木が二本ある特徴的な十字架を、胸の前に保持したモデルの女性を写しています。ポンマンに出現した際の聖母は、金色の星をちりばめた青い衣を着ていましたが、この写真の聖母は白い衣を着ています。これは写真がモノクロームであるために、モデルに青い衣を着せて撮影すると、胸の前に掲げた十字架が見えづらくなるためでしょう。





 もう一葉の写真は、リジューのテレーズ(幼きイエズスのテレジア)の肖像です。カルメル会の修道女姿のテレーズは、薔薇が咲きこぼれるクルシフィクス(磔刑像)を、まるで幼子イエズスを抱くように愛しげに抱き、こちらを向いて微笑んでいます。

 テレーズは教皇ピウス11世によって1923年に列福、1925年に列聖されます。1925年以降の画像では、頭部に聖人の後光が加わりますが、このメダイヨンは制作年代が古いため、後光はまだ描かれていません。





 写真はアルブミン・プリントです。顕微鏡の倍率を上げて表面を精査したところ、無数のクラックを検出しました。写真全体が烏賊墨(セピア)色となり、人物像は薄くなって、暗部の茶系色への褪色が進行しています。

 アルブミン・プリントは1830年代末に発明され、1895年頃までは最も優勢なプリント技術でしたが、その後はゼラチン・シルバー・プリントに押され、1920年代には完全に消滅します。一方、リジューのテレーズが亡くなったのは 1897年で、このメダイヨンに入っている聖女の肖像は、遅くとも 1910年までには広く流布していました。これらを考え合わせると、このメダイヨンの制作年代は1910年頃、具体的には1905年から、遅くとも1910年代前半までの間とみて間違いないでしょう。

 1910年といえば、第一次世界大戦の前夜にあたります。普仏戦争に敗れてアルザスとロレーヌをプロイセンに割譲したフランスは、ドイツとは仇敵同士の関係にありました。1890年にビスマルクが失脚すると、フランスは1894年にロシアと軍事同盟を結び、三国同盟諸国(ドイツ、オーストリア、イタリア)からの攻撃に備えました。いっぽうドイツは中立国ベルギーを巻き込むフランス侵攻計画(シュリーフェン・プラン)を立てて、フランスとの再度の開戦に備えていました。

 このような時代の品であるこのメダイヨンに、「希望の聖母」(Notre-Dame d'Espérance) と名付けられたポンマンの聖母と、リジューのテレーズの写真が入れられたことは、耐えがたい不安を感じ取っていたであろう当時の人々が、フランスを守ってくれる聖女に縋(すが)る気持ちをよく表しています。ポンマンの聖母は普仏戦争のときに出現し、ポンマンとその近くのラヴァルをプロシア軍から救い、ポンマンから出陣した若者たちを全員無事に生還させたと考えられていましたし、リジューのテレーズも、ジャンヌ・ダルクとならんで、後にフランスの守護聖女と考えられるようになる人物だからです。

 このメダイヨンは100年あまり前のものでありながら、全体的に良好なコンディションです。ガラスのひとつに2箇所のクラック(割れ目)がありますが、硬い物で叩く、高所から落下させる等、特に大きな衝撃を加えない限り、クラックが拡大することはありません。貴重なアンティーク・アルブミン・プリントである二葉の写真も、分厚いガラスに守られて、画像がはっきりと判別できる良好な保存状態です。





本体価格 15,800円 販売終了 SOLD

電話 (078-855-2502) またはメール(procyon_cum_felibus@yahoo.co.jp)にてご注文くださいませ。




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