大型メダイ 《子供の守護聖人 聖ニコラ 直径 30.3 mm》 聖人の優しい眼差し 民間説話に基づく作例 フランス 二十世紀中頃または後半


突出部分を除く直径 30.3 mm   厚さ 3.2 mm  重量 6.0 g



 ミュラの聖ニコラオス(希 Ἅγιος Νικόλαος Μύρων 羅 SANCTUS NICOLAUS MYRENSIS, c. 270 - 343)はラテン語とドイツ語で聖ニコラウス、フランス語で聖ニコラ、スペイン語と英語で聖ニコラスと呼ばれます。ミュラの聖ニコラオス(聖ニコラウス、聖ニコラス)ははじめ東方教会で篤く崇敬され、やがて西ヨーロッパでも人気のある聖人となりました。聖ニコラオス崇敬はヨーロッパ各地で民間信仰と習合し、やがてドイツ系アメリカ人の間で現代人になじみ深いサンタクロースを産み出しました。





 フランスには、殺されて塩漬けにされた三人の子供を、聖ニコラオスが復活させる童謡があります。三人の子供が落穂拾いに出かけ、途中で日が暮れたので、肉屋を訪れ一夜の宿を乞いました。肉屋の夫婦は子供たちを招き入れると殺して解体し、七年のあいだ塩漬けにしました。そこに聖ニコラ(聖ニコラオス)がやってきて肉屋の悪事を暴き、三本の指を伸ばして子供たちを蘇らせました。

 本品メダイの意匠は上記の童謡に基づきます。浮き彫りにされた聖ニコラオスは司教のミトラ(僧帽)と祭服を身に着け、左手に司教杖を持っています。司教は右腕で三人の子供たちを胸に抱きしめ、優しい眼差しを注いでいます。





 聖人のフランス語名ニコラ(仏 Nicolas)は、ラテン語ニーコラーウス(羅 NĪCOLĀUS)の訛化です。ラテン語ニーコラーウスは古典ギリシア語ニコラオス(希 Νικόλαος)の借用です。古典ギリシア語ニコラオウスはニケー(希 νίκη 勝利)とラオス(希 λαός 民)の合成語で、民の勝利という意味です。.

 ニコラオスの聖人伝には、この司教が人々に寄り添ったとされる幾つもの話が語られます。レゲンダ・アウレアによると、ミュラの町に貧しい男が暮らしていました。男の三人の娘は気立てがよくて良い縁談もありましたが、結婚の持参金を用意できないゆえに結婚できませんでした。これを知った聖ニコラオスは、それぞれの娘に婚期が訪れるたび、両親から受け継いだ遺産から金貨が詰まった財布を男の家に投げ込み、過酷な運命から娘たちを救いました。天来の援助を不思議に思った男は、末娘のための金貨が投げ込まれた際に謎の援助者を追いかけ、司教ニコラオスが助け手であったことを知りました。ニコラオスはこのことを他言しないよう男に命じて立ち去りました。

 この伝承は12月6日に聖ニコラオスが、あるいはクリスマス・イヴにサンタクロースが、子供たちに贈り物をくれるという俗信の起源と考えられます。





 レゲンダ・アウレアに伝えられる別の話によると、或る年ミュラに熱風が吹いて畑の穀物や牧草が枯れ果て、町は飢餓に襲われました。このとき港には小麦を積載した数隻の船が嵐から退避しており、町の人々は積み荷の小麦を町のために供出するよう求めました。しかしながら積み荷の小麦は皇帝の命によりアレクサンドリアから運んできたもので、少しでも供出すれば厳罰が予想されるため、船長は供出を拒みました。司教ニコラオスは町の人々に頼まれて港に出向き、小麦の一部を供出するよう船長に頼むとともに、皇帝の了解を得る交渉を自ら行いました。

 司教ニコラオスはミュラのために供出しても小麦は減らないと船長に約束し、船は小麦の一部を供出してコンスタンティノープルに向かいました。入港後に計量したところ、聖人の言葉通り、小麦は減っていませんでした。またミュラに降ろした小麦は町の人々が食べても減らず、畑にも播かれてミュラの町を養いました。





 更に別の伝承によると、皇帝コンスタンティノス一世(コンスタンティヌス大帝)に仕える三人の軍人がフリギアに派遣され、暴動の鎮圧にあたりました。三人はコンスタンティノープルに栄誉の帰還を果たしましたが、その功績を嫉む者たちの讒訴により、皇帝の命を狙っているとの嫌疑をかけられました。投獄された三人は死刑を言い渡されましたが、宮廷の長官は三人を嫉む者に買収されて、無実の訴えに耳を傾ける人はありませんでした。三人が聖ニコラオスの助けを求めて祈ったところ、その夜皇帝と長官の夢に聖人が現れ、三人をすぐに釈放しなければ恐ろしい懲らしめを与えると語りました。軍人たちの無実を知った皇帝は彼らを釈放し、奉献物と謝罪の書簡を三人に持たせて、ミュラに遣わしました。

 中世の聖画像において、キリストや聖母、諸聖人の姿は大きく描かれる反面、救われる人々や寄進者など一般人の姿は聖人に比べて極端に小さく表現されることが多くあります。フランスのイエズス会士で中世美術の研究家でもあったシャルル・カイエ(Charles Cahier, S.I., 1807 - 1882)、およびフランスの美術史家エミール・マール(Émile Mâle, 1862 - 1954)は、上記奇跡の聖画像において三人の軍人が聖人よりもはるかに小さく描かれたせいで子供と誤解され、肉屋に切り刻まれて塩漬けにされた三人の子供を聖ニコラオスが蘇生させたとの民間説話を生んだと考えました。

 聖ニコラオスが塩漬けにされた三人の子供を蘇らせる物語は、フランスにおいて十二世紀まで遡ることができます。聖ニコラオスは東方教会においても盛んに崇敬されますが、東方教会の文化圏には三人の子供の類話を見出すことができません。





 上の写真は本品を男性店主の手に載せて撮影しています。女性が本品の実物をご覧になれば、写真で見るよりも更にひと回り大きなサイズに感じられます。







 聖ニコラオスは子供の守護聖人として有名ですが、これ以外にも未婚の男女の守護聖人、水夫、弁護士、商売人などの守護聖人とも考えられており、本品はどなたにでもお使いいただけます。

 本品は直径三十ミリメートル強の大型サイズですが、重量は五百円硬貨よりも少し軽く、身に着けても重みで疲れることはありません。メダイをペンダントにすると裏面が肌や服地と擦れ合って摩滅し易いですが、本品は裏面に浮き彫りが無いので心置きなく愛用していただけます。





本体価格 8,800円

電話 (078-855-2502) またはメール(procyon_cum_felibus@yahoo.co.jp)にてご注文くださいませ。




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