アンティオキアの聖マルガリータのメダイ。聖マルガリータは十四救難聖人のひとりで、妊産婦の守護聖人です。ジャンヌ・ダルクの幻視に現れたことでも知られています。よく知られている聖人ですが、この人のメダイは非常に数が少なく、めったに手に入りません。
本品は直径 16.6ミリメートルと小さなサイズですが、銀無垢素材による高級品です。フランスにおいて 800シルバーを示す「蟹」のポワンソン(貴金属検質所のマーク)が上部の突出部分に刻印されています。
メダイの表(おもて)面には聖女が浮き彫りで表します。聖女の横では竜すなわちサタンが牙を剥いていますが、その姿は聖女よりもずっと低い位置に表され、聖女に屈していることが分かります。 聖女の周りには、中世の字体によるラテン語で、「サンクタ・マルガリータ」(SANCTA MARGARITA 聖マルガリ-タ)と刻まれています。
アンティオキアの聖マルガリータを竜とともに表すのは、13世紀の聖人伝、「レゲンダ・アウレア」の記述に基づく図像です。「レゲンダ・アウレア」によると、キリスト教信仰ゆえに投獄されたマルガリータが、戦うべき悪魔の姿を見せてくださるように獄中で神に祈ると、竜が現れて襲いかかってきましたが、マルガリータが十字を切ると退散したとされています。
マグダラのマリア以外の聖女の図像は、髪をヴェールで被って描かれるのが普通ですが、本品のマルガリータは波打つ長い髪を露わにし、美しく整った横顔を見せています。聖女は左手に殉教の剣とナツメヤシの葉を持ち、十字架を持つ右手を胸に当てて、吠えかかる竜を物ともせずに、心静かに天を仰いでいます。これは聖マルガリータが天国を故郷とする殉教者であり、その美貌にもかかわらず、もはや地上に関心を向けていないことを表しています。
メダイの下部には、リヨンのメダイユ彫刻家リュドヴィク・ペナン (Ludovic Penin, 1830 - 1868) のサイン (L. PENIN,
LYON) が刻まれています。宗教的なテーマに基づく小品を得意とするリュドヴィク・ペナンは、優れた才能を認められ、弱冠34歳であった1864年に、当時の教皇ピウス9世により、カトリック教会の公式メダイユ彫刻家
(graveur pontifical) に任じられましたが、惜しくもその四年後に亡くなりました。本品は彫刻家が遺した型を使用し、二十世紀初頭に鋳造された作品です。
上の写真に写っている定規のひと目盛は 1ミリメートルです。本品に彫られた聖女の横顔は生身の女性のようで、竜の頭部には神に刃向う邪悪な猛々しさが良く表現されていますが、聖女の顔の高さ、竜の頭部の直径は、いずれも二ミリメートルほどです。聖女の波打つ髪や衣の襞、十字架を握るこぶしやナツメヤシに沿って伸ばした手も、大型彫刻に劣らない自然さで表現されており、突出部分の高さが一ミリメートルにも満たない小品浮き彫りを、これほどまで自然かつ立体的に感じさせる彫刻家リュドヴィク・ペナンの才能と技量には、ただ圧倒されます。
メダイの裏面には百合が彫られています。百合は高い香気によって処女マルガリータの純潔を表すとともに、「神に選ばれた身分」、「神にすべてを委ねる信仰」を表します。
本品はおよそ百年前に鋳造された真正のアンティーク品で、ラテン語を使うなど古い特徴を残しています。古い年代にかかわらず摩耗が無く、細部まで非常に良く保存されています。リュドヴィク・ペナンは三十歳代で早逝したこともあって、作品の数は多くありません。信心具に使われる最も高級な素材である銀を使用し、優れたメダイユ彫刻家の才能を
16.6ミリメートルの直径に凝縮した芸術品といえましょう。