入手困難なアンティオキアの聖マルガリータのメダイ。聖マルガリータは十四救難聖人のひとりで、妊産婦の守護聖人です。また、ジャンヌ・ダルクの幻視に現れたことでも知られています。
メダイの表(おもて)面は聖女を浮き彫りで表します。聖女の足下には竜がいますが、その姿は聖女の胸よりも下に表され、聖女に屈していることが分かります。
アンティオキアの聖マルガリータを竜とともに表すのは、13世紀の聖人伝、「レゲンダ・アウレア」の記述に基づく図像です。「レゲンダ・アウレア」によると、キリスト教信仰ゆえに投獄されたマルガリータが、戦うべき悪魔の姿を見せてくださるように獄中で神に祈ると、竜が現れて襲いかかってきましたが、マルガリータが十字を切ると退散したとされています。
マグダラのマリア以外の聖女の図像は、髪をヴェールで被って描かれるのが普通ですが、本品のマルガリータは波打つ長い髪を露わにし、美しく整った横顔を見せています。聖女は左手に殉教の剣とナツメヤシの葉を持ち、十字架を持つ右手を胸に当てて、吠えかかる竜を物ともせずに、心静かに天を仰いでいますが、これは聖マルガリータが天国を故郷とする殉教者であり、その美貌にもかかわらず、もはや地上に関心を向けていないことを表しています。
聖女の周りには、中世の字体によるラテン語で、「サンクタ・マルガリータ」(SANCTA MARGARITA 聖マルガリ-タ)と刻まれています。
メダイの下部には、リヨンのメダイユ彫刻家リュドヴィク・ペナン (Ludovic Penin, 1830 - 1868) のサイン (L. PENIN,
LYON) が刻まれています。宗教的なテーマに基づく小品を得意とするリュドヴィク・ペナンは、優れた才能を認められ、弱冠34歳であった1864年に、当時の教皇ピウス9世により、カトリック教会の公式メダイユ彫刻家
(graveur pontifical) に任じられましたが、惜しくも4年後に亡くなりました。本品は彫刻家が遺した型を使用し、二十世紀初頭に鋳造された作品です。
本品に彫られた聖女の横顔は生身の女性のようで、竜の頭部には神に刃向う邪悪な猛々しさが良く表現されていますが、聖女の顔の高さ、竜の頭部の直径は、いずれも3ミリメートル足らずです。聖女の波打つ髪や衣の襞、十字架を握るこぶしやナツメヤシに沿って伸ばした手も、大型彫刻に劣らない自然さで表現されており、突出部分の高さが1ミリメートルにも満たない小品浮き彫りを、これほどまで自然かつ立体的に感じさせる彫刻家リュドヴィク・ペナンの才能と技量には、ただ圧倒されます。
メダイの裏面にはフランス語で「ファシュの記念」(souvenir de Faches) と刻まれ、その周囲を縦横1ミリメートルに満たない小さな十字架の連続で取り巻いています。
フランス本土の北東端近く、ベルギーとの国境に近いファシュ=テュムニル(Faches-Thumesnil ノール=パ=ド=カレ地域圏ノール県)に、12世紀以来聖マルガリータを守護聖人とする非常に古い教区教会、サント=マルグリットがあります。1861年にブリュージュ司教から聖マルガリータの聖遺物が贈られたことで、サント=マルグリット教会は聖マルガリータの聖地として崇敬を集め、多数の巡礼者が訪れるようになりました。
ファシュ=テュムニルのサント=マルグリット教会に聖マルガリータの聖遺物が贈られたのは、リュドヴィク・ペナンが亡くなる三年前ですが、本品の表(おもて)面にサント=マルグリット教会の建物や名前等は彫られていませんので、本品はもともとこの教会のために制作された作品ではないのかもしれません。しかしながら、サント=マルグリット教会のメダイを作るために、とっておきの聖マルガリータ像が必要になったとき、人々が真っ先に思い浮かべたのが、リュドヴィク・ペナンによるこの浮き彫り作品であったのでしょう。
ファシュ=テュムニルのサント=マルグリット教会主祭壇には聖マルガリータ像が描かれており、この教会独自のメダイを作るのであれば、この像に基づいて作ればよいはずですが、そうはならずにリュドヴィク・ペナンの彫刻作品が起用されたことで、このメダイは「巡礼の土産物」となる運命を免れ、優れた小品彫刻として生まれ出たのです。
(下・参考画像) ファシュ=テュムニル、サント=マルグリット教会の主祭壇。中央のメダイヨンには本品と類似した図柄の聖マルガリータ像が描かれています。
本品はおよそ百年前に鋳造された真正のアンティーク品で、ラテン語を使うなど古い特徴を残しています。古い年代にかかわらず摩耗が無く、細部まで非常に良く保存されています。リュドヴィク・ペナンはわずか30歳代で早逝したこともあって作品の数は多くありません。優れたメダイユ彫刻家の才能を、15ミリメートルの直径に凝縮した質の高い工芸品といえましょう。