名品 エドモン・アンリ・ベッケル作 「洗礼者ヨハネ」 1956年冬 相手を選ばない優しさ 無償の愛のメダイ 直径 18.6 mm


突出部分を除く直径 18.6 mm

フランス  1956年



 フランスの彫刻家、エドモン・アンリ・ベッケル(Édmond Henri Becker, 1871 - 1971)による洗礼者ヨハネのメダイ。





 本品において、少年として表された洗礼者ヨハネは、らくだの毛衣を着ています。らくだの毛衣はマタイ、マルコ両福音書の記述によりますが、両福音書が描写するのは少年ヨハネではなく、青年期の姿です。しかしながらキリスト教美術の伝統的イコノノジーにおいて、ラクダの毛衣は年齢に関わらず洗礼者ヨハネのアトリビュートとなっています。また「ルカによる福音書」によると、ヨハネはイエスの半年前に生まれた同年齢の人物であり、親類でもあるので、幼子イエスとともに遊ぶ子供として表される場合が多くあります。本品に彫られたヨハネも伝統に従ってらくだの毛衣を着ており、また一見したところ単身像ですが、子供の姿で表されています。




(上) ラファエロ作「鶸(ひわ)の聖母」に幼児として描かれた洗礼者ヨハネ(手前左)。ヨハネはイエズスよりも六か月年長です。 Raffaello Sanzio, "La Madonna del Cardellino", c. 1506, olio su tavola, 107 x 77 cm, la Galleria


 幼い洗礼者ヨハネにらくだの毛衣を着せた例として、ラファエロによる「鶸(ひわ)の聖母」を示します。ラファエロはこの作品において、鶸(ひわ)すなわちゴシキヒワを、世の罪を取り除く救世主の象徴として描いています。





 このメダイにおいて、ヨハネの前には一頭の子羊がいます。この子羊は世の罪を取り除く「アグヌス・デイ」(羅 AGNUS DEI 神の子羊)で、救い主を象徴しています。すなわちこのメダイは「鶸の聖母」と同様にイエスとヨハネを表現しているのであり、少年ヨハネの単身像と見えたものは、むしろふたりの少年(ヨハネとイエス)を描いた作品なのです。

 イエスを人間の幼児として描いたラファエロは、イエスが担う救世主としての属性を幼児イエスから分離し、ゴシキヒワのうちに表現しました。しかるにメダイユ彫刻家エドモン・アンリ・ベッケルは、少年ヨハネと同年代のイエスを神の子羊として表し、犠牲獣の姿のうちに救い主の属性を表現しています。

 イエスとヨハネの間には大輪の薔薇が咲いています。筆者には、この薔薇は子羊からヨハネに向けて差し出されたように見えます。薔薇は愛の象徴であり、また五つの花弁がキリストの五つの傷を連想させるゆえに、キリストの受難において極点に達した神の愛の顕現を卓越的に象徴します。救世主の受難を象徴する物品としては、ヨハネの背後に十字架も彫られています。しかしながらメダイの手前に彫られた薔薇は、イエスとヨハネを繋ぐ位置に咲くゆえに、神から人へと差し出された無償の愛を表しています。




(上) エドモン・アンリ・ベッケル作 「パリを見守る聖ジュヌヴィエーヴ」 直径 20.2 mm 当店の商品です。


 ヨハネの背後、メダイの縁に近いところに、メダイユ彫刻家のサイン(BECKER)が刻まれ、製造国名(FRANCE)が刻印されています。

 エドモン・アンリ・ベッケル(Édmond Henri Becker, 1871 - 1971)は数多くの分野に作品を遺した多彩な芸術家ですが、メダイユ彫刻家としての仕事が最もよく知られています。弱冠二十歳であった 1892年以降、サロン展に出品し、1911年のサロン展ではプルミエール・クラス(仏 première classe 一等)のメダルを受賞しています。また1900年のパリ万国博覧会では、高級宝飾店ブシュロンのためのデザインによって金メダルを獲得しています。上の写真はエドモン・アンリ・ベッケルがパリの守護聖人聖ジュヌヴィエーヴを彫ったメダイユで、ピュヴィス・ド・シャヴァンヌの原画を小さな浮き彫り彫刻にそのまま再現した名作です。「パリを見守る聖ジュヌヴィエーヴ」("Ste. Geneviève veillant sur Paris endormi")はピュヴィス・ド・シャヴァンヌが生涯の最後に制作した油彩の大作で、パンテオンの柱間に嵌め込まれています。





 メダイの裏面には「サン・ジャン、アルビ 1956年」(ST JEAN, ALBI, 1956)と記されています。アルビは司教座聖堂サント=セシルで有名なフランス南西部の美しい都市で、サン・ジャンはここにある孤児院の名前です。「サン・ジャン」(St. Jean)とはフランス語で「聖ヨハネ」という意味です。

 アルビのオルフェリナ・サン・ジャン(l'Orphelinat St. Jean, Albi)は、当地の聖堂参事会員ピエール=エルンスト・コロンビエ神父(Pierre-Ernest Colombier, 1857 - 1925)が開いた孤児院です。ちょうどパリのオートゥイユ職業訓練孤児院と同様に、1888年から 1980年まで孤児たちに印刷業の職業訓練を施す優れた学校として機能し、現在も印刷工房「アトリエ・グラフィーク・サン=ジャン」(l'Atelier Graphique Saint-Jean)として存続しています。

 裏面の上部には「ピエール神父」(Abbé Pierre)の文字があります。ピエール神父、俗名アンリ・グルエス(Henri Grouès, 1912 - 2007)神父はエマウス運動(le mouvement Emmaüs)の創始者で、フランスでは知らない人がいない社会活動家です。

 第二次世界大戦の痛手から人々がまだ立ち直っていない1954年の一月から二月、フランス北東部を強烈な寒波が襲いました。パリでは零下十三度、ストラスブールでは零下十六度、ナンシーでは零下十八度まで気温が下がり、山間の村では零下三十度まで下がったところもありました。同年二月一日、ピエール神父はパリの人々に向かって、ラジオで語りかけました。ピエール神父の呼びかけを全訳を付して引用します。日本語訳は筆者(広川)によります。ブラケット [ ] で囲んだ訳語は、文意を通りやすくするために筆者が補ったものです。

     Mes amis, au secours...     わが友である皆さん。助けてください。
     Une femme vient de mourir gelée, cette nuit à trois heures, sur le trottoir du boulevard Sébastopol, serrant sur elle le papier par lequel, avant hier, on l’avait expulsée… Chaque nuit, ils sont plus de deux mille recroquevillés sous le gel, sans toit, sans pain, plus d’un presque nu. Devant l’horreur, les cités d’urgence, ce n’est même plus assez urgent !     昨夜三時、セヴァストポル大通りの歩道で、ひとりの女性が凍え死にました。女性は新聞紙を体に巻き付けていました。女性は、おととい、その紙で[叩かれて]、[住み家を]追い出されたのです。毎晩二千人以上の人たちが、凍てつく路上に身を縮めています。住む家も無く、食べ物もありません。着るものさえない人たちもいるのです。この恐ろしい事態を迎えて、困窮者用住宅の建設はもはや間に合いません。
     Écoutez-moi : en trois heures, deux premiers centres de dépannage viennent de se créer : l’un sous la tente au pied du Panthéon, rue de la Montagne Sainte Geneviève ; l’autre à Courbevoie. Ils regorgent déjà, il faut en ouvrir partout. Il faut que ce soir même, dans toutes les villes de France, dans chaque quartier de Paris, des pancartes s’accrochent sous une lumière dans la nuit, à la porte de lieux où il y ait couvertures, paille, soupe, et où l’on lise sous ce titre « centre fraternel de dépannage », ces simples mots : « Toi qui souffres, qui que tu sois, entre, dors, mange, reprends espoir, ici on t’aime »     聴いてください。困窮者に向けた最初の援助センターを二箇所、いまから三時間後に開きます。一箇所はモンターニュ=サント=ジュヌヴィエーヴ通り、パンテオンの傍らに設置したテント内です。もう一箇所はクールブヴォワ(Courbevoie パリ市境から北西二キロメートルの町)にあります。収容すべき人は多く、この二箇所では既に対応できません。あらゆるところに避難所を開かなければなりません。今夜フランスの全ての町で、パリの各区で、夜闇を照らす明かりの下、毛布と寝床とスープがある場所の戸口に、看板を懸けなければなりません。《友愛援助センター》という題字の下に、ただこのように書くのです。「苦しんでいるあなた。そう、あなたのことです。入って、眠り、食べ、希望を取り戻してください。ここはあなたが愛されるところです。」
     La météo annonce un mois de gelées terribles. Tant que dure l’hiver, que ces centres subsistent, devant leurs frères mourant de misère, une seule opinion doit exister entre hommes : la volonté de rendre impossible que cela dure. Je vous prie, aimons-nous assez tout de suite pour faire cela. Que tant de douleur nous ait rendu cette chose merveilleuse : l’âme commune de la France. Merci ! Chacun de nous peut venir en aide aux « sans abri ». Il nous faut pour ce soir, et au plus tard pour demain : cinq mille couvertures, trois cents grandes tentes américaines, deux cents poêles catalytiques     天気予報によると、恐ろしい寒さは一か月続きます。友愛援助センターは、冬が終わるまで続けます。同胞たちが惨めに死にゆくのを前にすれば、人のあいだに意見の相違は不要です。いま必要なのは、このような状況を続かせないという意志です。皆さんにお願いします。この状況を止めるため、いますぐに、私たちは愛そうではありませんか。これほどの苦しみのせいで、「フランス全体の魂」という素晴らしいものが、われわれの間に生まれたのです。このことに感謝しましょう! 家が無い人々を助けることは、私たちの誰にでも為し得ます。今夜、あるいは遅くとも明日までに、五千枚の毛布と米軍の大型テント三百張り、触媒式ストーヴ二百台が必要です。
     Déposez-les vite à l’hôtel Rochester, 92, rue de la Boétie. Rendez-vous des volontaires et des camions pour le ramassage, ce soir à 23 heures, devant la tente de la montagne Sainte Geneviève. Grâce à vous, aucun homme, aucun gosse ne couchera ce soir sur l’asphalte ou sur les quais de Paris. Merci !     ボエシ通九十二番地のホテル・ロチェスターに、これらの品物をすぐに持ち寄ってください。お手伝いくださる方、[避難者や物資を]集めるトラックを提供してくださる方は、今夜二十三時に、ラ・モンターニュ・サント・ジュヌヴィエーヴのテント前に集合してください。みなさんのおかげで、ひとりの大人も、ひとりの子どもも、今夜、パリのアスファルトの上で、あるいは河岸で、眠ることはありません。感謝します!


 パリ市民とメディアはピエール神父の呼びかけに敏感に反応し、五億フランという巨額の募金がほとんど即時に集まりました。1954年当時のフランス・フランの価値を現在の日本円に換算するのは難しいですが、一フランを百円としても、五百億円ものお金が、大戦後の生活再建に奮闘する人々から、わずか数日のうちに集まったことになります。チャーリー・チャプリンも二百万フランを寄付し、「私はこの金を与えるのではなく、返すのだ。私はかつて家が無かったし、家が無い人を演じてもきた。この金は彼らのものだ」と語っています。こうして集まったお金は、困窮者用住宅団地の建設に利用されました。


 本品が制作された 1956年は、ヨーロッパを再び大寒波が襲った年です。この年の寒波は1954年よりもさらに強烈で、リヨンの気温は零下二十一度、ナンシーの気温は零下二十五度、南仏エクサンプロヴァンスでも零下二十度を記録しました。アルビの孤児院オルフェリナ・サン・ジャンは、弱者に対する優しいまなざしをピエール神父と共有して、この年から本格的に、神父のエマウス運動に加わったのでしょう。洗礼者ヨハネと共に救い主を指さして、「見よ、神の子羊」と世人に呼びかけ(「ヨハネによる福音書」一章二十九節)、キリスト教的愛、すなわち相手を選ばない無償の愛に基づいて、衣食住を具体的に援助する活動に取り組んだのでしょう。





 本品は数十年前に制作されたヴィンテージ品ですが、保存状態は良好です。エドモン・アンリ・ベッケルのヨハネは極めて高い芸術性を有し、この聖人を主題にした他の作品と比べても、群を抜いた出来栄えです。裏面の文字は第二次大戦後の貧しかった時代、真冬のフランスで香(かぐわ)しい花のように開いた愛の記憶を留めています。





本体価格 16,800円 販売終了 SOLD

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