アール・デコ様式による六角形のメダイ 《修道女姿の聖ベルナデッタと、ルルドの御出現 25.8 x 16.7 mm》 見事な細密浮き彫りの作例 フランス 1930年代


突出部分を含むサイズ 縦 25.8 x 横 16.7 mm   最大の厚さ 2.3 mm   重量 2.4 g



 ルルドの聖母の出現を受けた少女、ベルナデット・スビルー(Bernadette Soubirous, 1844 - 1879)は 1925年に列福、1933年に列聖されました。本品は 1930年代半ば以降に制作されたメダイで、一方の面にベルナデット(聖ベルナデッタ)を、もう一方の面にルルドにおける聖母出現の場面を、いずれも精巧な浮き彫りで表しています。裏面上部の環に、製造国を示すフランス(FRANCE)の文字があります。

 メダイは円形を基本とし、次に多いのが四角形で、八角形の作例も時折見かけます。しかしながら本品は上部の環を除く全体が六角形になっています。理由は分かりませんが六角形のメダイはほとんど制作されず、本品は稀少な作例です。六角形の六辺のうち三辺が内側に折れ曲がったように造形されているので、観念上では三角形のメダイとも言えますが、浮き彫りの画面は菱形(四角形)となっています。このように左右対称の幾何学図形を組み合わせるのは、アール・デコという装飾美術の様式です。アール・デコ様式は二十世紀前半から半ばにかけて多用され、本品もその作例の一つとなっています。





 メダイやプラケットに刻まれるベルナデットの肖像には、俗人姿のものと修道女姿のものがあります。本品のベルナデットは修道女の服装をしています。

 ルルドの聖母が現れたのは、ベルナデットが十四歳であった 1858年のことです。このとき以降 1860年6月まで、ベルナデットは家族と共に住み、家事、幼い弟妹たちの世話、自身の学業にいそしんでいました。しかるに、聖母出現後のルルドを訪れる巡礼者たちはベルナデットの都合など考えずに面会を求め、なかにはベルナデットの髪や衣服、シャプレ(数珠 ロザリオ)などを聖遺物として持ち帰るために無理やり奪おうとすることさえありました。このような状況ゆえに、1860年の春以降、ベルナデットは愛徳姉妹会がルルドで運営するオスピス(救貧院)で暮らすことになりました。





 郷里ルルドでの学業を終えたベルナデットは、1866年、フランス中部ヌヴェール(Nevers ブルゴーニュ地域圏ニエーヴル県)にある愛徳女子修道会 (Les Sœurs de la Charité de Nevers) の修道女となりました。この頃ルルドでは、出現した聖母が命じ給うたとおりに聖堂を建設する資金集めが計画されていました。ベルナデットはルルドでも写真撮影に応じていましたが、今度は修道女姿のベルナデットを撮影し、その写真の販売による収益を聖堂建設の資金に加えることになりました。

 撮影は 1866年2月4日、トゥールーズの写真家ジョセフ・プロヴォ (Joseph Provost, ? - 1889) により、ヌヴェールの修道院で行われました。このときは修道女姿の写真八枚と、修道衣の上からピレネーの民族衣装を着けた写真一枚が撮影されています。本品の浮き彫りはこのときに撮影された八枚目の写真を元に制作されたもので、ヌヴェールの愛徳女子修道会本部が使用を許可した数点のうちのひとつです。





 写真に基づくメダイを制作するとは、平面の写真を浮き彫りとして立体化し、活き活きとした生命力を与えて、我々が暮らす三次元の世界に呼び戻すことに他なりません。その試みがどのくらい成功するかはメダユール(仏 un médailleur メダイユ彫刻家)の芸術的才能と職人的技量にかかっています。本品メダイユ彫刻の出来栄えはたいへん優れており、穏やかな表情で斜め上を見上げるベルナデットの姿には、聖母に見(まみ)えた少女の混じり気のない信仰心が見事に形象化されています。





 裏面にはルルドにおける聖母出現の場面が、様式化された図像に基づいて浮き彫りにされています。

 ルルドを貫流するポー川(le gave de Pau)の岸辺に、現地で話されるガスコーニュ語ビゴール方言でマサビエラ(massavielha 古い岩塊、の意)と呼ばれる高さ二十七メートルの岩場があります。この岩場は巨大な石灰岩の塊で、基部にポー川の浸食を受けて、高さ 3.80メートル、奥行 9.5メートル、幅 9.85メートルのグロット(仏 grotte 洞穴、岩に開いた大きな横穴)を生じています。洞穴に向かって立つと右上方に縦長の開口部があって、開口部の奥は下の洞穴に繋がっています。ベルナデット・スビルーが幻視した少女マリアは、この開口部に立っていました。若き聖母に指示されたベルナデットが、洞穴内の土を手で掘ったところ泉が湧き出して、多数の病人に奇跡的な治癒効果を発揮しました。





 マサビエルのグロットに立つ聖母は、右腕にロザリオを掛け、胸の前に両手を合わせて、目を天に向けています。これは 1858年3月25日、聖母が十六回目に出現し給うたときの様子です。この日ベルナデットが四度続けて名を問うと、聖母は田舎の言葉(ガスコーニュ語ビゴール方言)で「わたしは無原罪の御宿りです」(Que soy era Immaculada Concepciou.)と答え給いました。この言葉は標準フランス語(イール=ド=フランス方言)に直され、出現した聖母の後光となっています。

  Je suis l'Immaculée Conception.  わたしは無原罪の御宿りです。


 この面の浮き彫りはルルドの図像の定型に沿っています。グロットの開口部にはジョゼフ=ユーグ・ファビシュ(Joseph-Hugues Fabisch, 1812 - 1886)による大理石の聖母像が据えられており、この像の両足には金の薔薇が咲いていますが、本品浮き彫りにおいても聖母の両足には薔薇が咲いています。浮き彫りの遠景にバシリカが見えるのも、定型化された図像の特徴です。





 このように定型化された図像を見ると、あたかも聖母が物体化してルルドに出現したように思えます。また聖母の立っていたところはベルナデットから数メートルの距離であるように見えます。しかしながら実際には聖母は物体化せず、ベルナデット自身にさえはっきりと姿が見えたわけではありません。また聖母が立っていたグロットの開口部は、実際にはベルナデットから数十メートルも離れています。

 それゆえ定型化されたルルドの図像は、実際に起こった事実の写実的再現ではありません。距離の縮小は些細なことであるとしても、そもそもベルナデットは聖母を心眼で見たのであって、視覚によって見たのではないのです。脱魂状態に陥るベルナデットの周囲には数百人のやじ馬が集まりましたが、その中の誰一人として聖母の姿を見た者はいませんでした。

 しかしながら筆者(広川)が考えるに、不可視の宗教的事象を可視化するのは必ずしも無意味なことではありません。なぜならば聖母が出現し給うときには、地上の支配者や高位聖職者ではなく、常に小さき者を選び給います。しかしながらこれは、聖母がひとりだけのために出現するということではありません。なぜならば聖母はそのメッセージを多くの人々に伝えるように、小さき者に命じ給うからです。ルルドの場合もこれと同様であって、ベルナデットに命じて土を掘らせて奇跡の泉を湧出させた聖母は、数多くの人々に神の恵みが及ぶことを望んでおられることがわかります。そうであるならばベルナデットにしか見えなかった聖母の姿を、万人が見ることができるように図像化するのは意味があることと言えます。





 上の写真に写っている定規のひと目盛りは、一ミリメートルです。拡大写真では突出部分の摩滅が判別できますが、肉眼で見る本品の実物は充分に綺麗な保存状態です。





 上の写真は本品を男性店主の手に乗せて撮影しています。女性が本品の実物をご覧になれば、写真で見るよりも一回り大きなサイズに感じられます。







 本品はおよそ九十年前に制作された真正のアンティーク品ですが、突出部分の磨滅はごくわずかで、細部まできれいに残っています。メダイは昔も今も円形がほとんどで、古い作例には四角い作例もありますが、本品のような六角形は多角形中最も珍しく、眼を惹きます。両面の浮き彫りは、いずれも優れた仕上がりの美術工芸品に仕上がっています。





本体価格 6,800円

電話 (078-855-2502) またはメール(procyon_cum_felibus@yahoo.co.jp)にてご注文くださいませ。




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