極稀少な芸術品 フィリップ・シャンボー作大型メダイユ 《西ヨーロッパにおける修道者の師父 聖ベネディクトゥス 直径29.0 mm》 鋳造による重厚な作例 フランス 1960年代
突出部分を除く直径 29.0 mm 最大の厚さ 3.5 mm
重量 10.2 g
1960年代のフランスで鋳造により制作されたヌルシアの聖ベネディクトゥスの大型メダイユ。カトリック信仰に基づく作品を多く手掛けた彫刻家フィリップ・シャンボー(Philippe Chambault, 1930 - )による稀少な作品です。
宗教が迫害を経験することは稀ではありませんが、なかでもキリスト教に対する迫害は熾烈を極め、人類史上稀に見る規模と残虐さ、殉教者の多さで際立っています。33年から1900年までの殉教者数
1400万人、二十世紀の殉教者数2600万人、あわせて4000万人と言われます(Justin D. Long, More Martyrs Now
than Then? Examining the real situation of
martyrdom)。二十世紀の殉教者がとくに多いのは人口が増えたためであって、キリスト教人口全体に占める殉教者の割合は減りつつあると思いますが、コンスタンティヌス大帝によるキリスト教公認以前のローマでは、キリシタン解禁(明治6年)までの日本におけると同様、キリスト教を信じることは死を意味していました。
「ヨハネによる福音書」十五章十三節から十五節には、キリストが語り給うた言葉が次のように記録されています。新共同訳により引用します。
友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。 | ||
わたしの命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である。 | ||
もはや、わたしはあなたがたを僕とは呼ばない。僕は主人が何をしているか知らないからである。わたしはあなたがたを友と呼ぶ。父から聞いたことをすべてあなたがたに知らせたからである。 |
禁教時代のキリスト教徒はイエス・キリストへの愛ゆえに殉教を厭わず、却って殉教を信仰の完成とさえ考えました。しかるに紀元 313年にキリスト教が公認され、国家による組織的迫害が終熄すると、隠修が殉教に代わる自己犠牲となりました。隠修士たちは鎖を体に巻き付けたまま岩穴に閉じ籠って生きる、砂漠の直射日光や風雨を遮る屋根を避けて露天で生きる、高さ十八メートルもの柱から降りずに生活する等、近現代人から見れば正気の沙汰とは思えないような苦行に励みました。しかしながらこのような苦行は誰もが為し得ることではありません。また殊更人目に付くかたちで苦行に励んでいると批判される人たちもいました。
隠修士たちは辺鄙な場所で一人ずつばらばらに暮らしていましたが、教会の礼拝に参加するために、週に一度は町に行く必要がありました。また食べ物や衣服を手に入れるために、自分たちが作った籠や茣蓙などを集めて、町で売る必要がありました。したがって独住隠修士たちにもそれなりのコミュニティがありました。緩やかなものであったこのコミュニティを強化して共住の集団を形成するとともに、厳格ながら常人にも遵守可能な共通の戒律への服従を求めるようにした隠修の形態が修道院であるといえます。修道院は中庸の精神で運営されます。かつての隠修士のように超人的な苦行を、修道会が会員に強いることはありません。
東方において修道制の礎を築いたのはカイサリアの聖バシレイオス(Βασίλειος Καισαρείας, c. 330 - 379)、西方において修道制の礎を築いたのはヌルシアの聖ベネディクトゥス(Benedictus
de Nursia, c. 480 - 547)です。ヌルシアの聖ベネディクトゥスはイタリアのモンテ・カッシーノで聖ベネディクトゥス戒律を著し、これが後世のあらゆる修道会の拠り所となりました。
本品メダイの一方の面には、左手に修道院長の牧杖を持つ聖ベネディクトゥスの上半身が、立体的で大胆な浮き彫りによって表されています。聖人の左右にはサン・ブノワ(仏
SAINT BENOÎT 聖ベネディクトゥス)の文字が力強く刻まれています。ブノワのテ(T)の左下に見えるペ・セ(PC)のモノグラムは、フィリップ・シャンボーの署名です。聖人の左袖下部には、ソミュールのメダイユ工房ジ・バルムのマーク(JB)が刻まれています。
本品浮き彫りにおいて、聖ベネディクトゥスは右手の人さし指と中指を伸ばし、イタリア、ガリア、アイルランド、イングランド等に祝福を与えています。聖ベネディクトゥスが編んだ聖ベネディクトゥス戒律(羅
REGULA SANCTI BENEDICTI)は、これよりも二十年ないし三十年ほど先に成立した作者不詳のレグラ・マギストリー(羅 REGULA
MAGISTRI 師父の掟)の影響を強く受けつつも、兄弟愛をいっそう強調した修道会則で、西ヨーロッパにおけるあらゆる修道会に採用されました。
信心具のメダイにおける聖ベネディクトゥス像は、正面向きの作例とわずかに斜めを向いた作例が多いですが、いずれも全身像です。また 1880年以来モンテ・カッシーノで制作されているメダイでは、聖人の右側(向かって左側)に飲み物の盃から這い出す蛇が、聖人の左側(向かって右側)にパンを咥えたカラスが、それぞれ刻まれます。この様式は二十世紀の作例においても踏襲されています。全身像以外では、ドニ・フェルネン・ピィが聖人の横顔を彫った作例がよく知られています。しかるに数ある聖ベネディクトゥスのメダイの中でも本品は極めて珍しく、長年にわたって信心具を扱う筆者(広川)自身、本品ただ一点しか目にしたことがありません。
もう一方の面は十字架のシルエットを浮き彫りにし、さまざまな言葉がイニシアルによって刻まれています。最上部にはパークス(羅 PAX 平和)の三文字が書かれています。この面に完全な形で記された単語はパークスのみで、あとはすべてイニシアルのみで示されています。これらのイニシアルが表す意味は長い間忘れられていましたが、1415年に書かれた写本が
1647年にバイエルンのメッテン修道院で発見され、文言の全貌が明らかになりました。
十字架上のイニシアル九文字は「聖なる十字架が我が光であるように。竜(悪魔)が我が導き手となることが決して無きように。」(羅 CRUX SACRA
SIT MIHI LUX. NUNQUAM DRACO SIT MIHI DUX.)を表し、周囲のイニシアルは「退けサタン。虚しき事で我を誘うな。汝が我に与うるは悪しき物なり。汝自身が毒を飲め。」(羅
VADE RETRO SATANA. NUNQUAM SUADE MIHI VANA. SUNT MALA QUAE LIBAS. IPSE
VENENA BIBAS.)を表します。ケー・エス・ペー・ベー(C. S. P. B. ラテン語読み)の四文字は、クルークス・サンクティー・パトリス・ベネディクティー(羅
CRUX SANCTI PATRIS BENEDICTI 聖なる師父ベネディクトゥスの十字架)です。
上の写真は本品を男性店主の手に載せて撮影しています。女性が本品の実物をご覧になれば、写真で見るよりもさらにひと回り大きなサイズに感じられます。
本品は 29.0ミリメートルの直径、3.5ミリメートルの厚さがあります。10.2グラムの重量は百円硬貨二枚分強に相当し、手の取ると心地良い重みを感じます。このような物理的重量感に加えて、細部を大胆に省略したミニマリスティクな表現の視覚的重量感、西ヨーロッパ教会史が有する千数百年の精神的重みが、本品に一層の重厚さを与えています。
本品はフランスで未販売のまま残されていたメダイユです。特筆すべき問題は何もありません。信心具のメダイはほとんどの場合硬貨のように打刻して作りますが、本品は本格的な芸術メダイユと同様に、手間をかけて鋳造されています。すでに述べたように本品はきわめて珍しい作例で、筆者(広川)自身も本品ただ一点しか目にしたことがありません。単に年代が古いから残っている品物が少ないのではなく、当初からごく僅かな数しか制作されなかったことが伺えます。本品は一点しか在庫しておらず、おそらく再入荷できません。
本体価格 25,800円
電話 (078-855-2502) またはメール(procyon_cum_felibus@yahoo.co.jp)にてご注文くださいませ。
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