リュドヴィク・ペナン(Ludovic Penin, 1830 - 1868)とジャン=バチスト・ポンセ(Jean-Baptiste Poncet,
1827 - 1901)はいずれも優れたメダユール(仏 médailleur メダイユ彫刻家)で、十九世紀後半から二十世紀初頭のフランスにおいて、カトリック信仰に基づく数多くのメダイユを制作しました。
本品はペナンとポンセの手によるマトリス(仏 matrice 鋳造や打刻の母型)を使用し、二十世紀前半または中頃のフランスで制作された品物です。通常のアンティーク品(ヴィンテージ品)は実際に使われていた品物で、表面の摩滅や変色が時を経た魅力となっています。しかしながら本品には突出部分の摩滅や変色が全く見られないことから、古い年代にも関わらず、新品のまま遺っていた未販売品と思われます。
一方の面には、幼子イエスの幻視を体験するパドヴァの聖アントニウスが浮き彫りにされています。聖人の前には祈祷書が開かれています。伝承によると、幼子イエスはこの祈祷書から出現したと言われています。
祈るときの姿勢、しぐさにはさまざまな変異があります。我々自身を含め、近世以降の人は、胸の前に挙げた手を合わせたり組んだりして祈ります。しかしながら中世の人々は、聖アンドレアス十字のようにクロスさせた前腕を、胸に当てて祈りました。さらに古い時代の人々は、多くの場合、胸の高さに手を持ち上げ、掌を上向きに広げて祈りました。これらの多様な祈り方は規則で決められたことではなく、いわば流行、慣行であって、明確な時代的境界はありません。たとえば胸の高さに持ち上げた手を上向きに広げて祈る方式は、古代以来現在に至るまで行なわれています。
本品の浮き彫りにおいて、フランシスコ会の修道服を着、荒縄のベルトを腰に巻いた聖アントニウスは、胸の高さに持ち上げた両手を広げ、祈りに沈潜しています。聖アントニウスは修道院に身を置きつつ、その心眼にはイエス・キリストしか見えていません。祈祷書から抜け出た幼子は、脱魂状態に陥ったアントニウスに歩み寄り、開いた胸の裡(うち)に入ります。アントニウスの右手は祈りの姿勢を保ちつつ、その左手は幼子を愛し気(いとしげ)に抱き寄せています。イエスの目をまっすぐに見つめるアントニウスは、神とキリストへの愛のみに生きています。
アントニウスに執り成しを願うフランス語の祈りが、聖人と幼子を囲むように中世のゴシック体で刻まれています。
Saint Antoine de Padoue, priez pour nous. パドヴァの聖アントニウスよ。われらのために祈りたまえ。
群像の背景には、馥郁たる芳香を放つ白百合が彫られています。キリスト教の象徴体系において、白百合が性的純潔の象徴であることは良く知られています。しかるにこれに加えて白百合は神による選びの象徴、さらに神の摂理に信頼する信仰心の象徴でもあります。
アントニウスはもともとリスボンの人ですが、聖フランチェスコに憧れてアッシジでフランシスコ会士となり、パドヴァで生を終えました。それゆえ神による選びを表す白百合は、アントニウスにふさわしい花であると言えます。またフランシスコ会は財産を持たない托鉢修道会であることから、神の摂理で生かされる白百合は、フランシスコ会士アントニウスの生き方を可視化した花であると言えます。
ドイツ神秘主義を代表する思想家のひとり、アンゲルス・シレジウス(Angelus Silesius, 1624 - 1677)は、1657年に初版が出て
1675年に増補された詩集「ケルビムの如き旅人」(„Cherubinischer Wandersmann“)において、天国の至福(至福直観)を百合に譬えています。「百合について」(„Von den Lilien“)と題された作品(第四の書 98)をドイツ語原文と日本語訳で示します。なお下に引用したテキストはカルル・ハンゼル版「アンゲルス・シレジウス 韻文による作品集 全三巻」、日本語訳は筆者(広川)によります。ドイツ語のテキストは韻文ですが、筆者の訳は韻文になっていません。
Von den Lilien | 百合について | |||
So oft ich Lilien seh, so oft empfind ich Pein Und muß auch bald zugleich so oft voll Freuden sein. |
百合を見るたび私は苦痛を感じるが、 それとともに、きっとすぐに喜びに満たされる。 |
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Die Pein entstehet mir, weil ich die Zier verlorn, Die ich im Paradies von Anbeginn gehabt. |
苦痛が起こるのは、私が美を失うとき。 楽園にて初めから有していた美を失うとき。 |
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Die Freude kommt daher, weil Jesus ist geborn, Der mich nun wiederum mit ihr aufs neu begabt. |
イエズス生まれ給うゆえ、そこから喜びが来たる。 イエズスはいま再び、私に新しく美を与え給うたゆえに。(註6) |
„Cherubinischer Wandersmann“, viertes Buch, 98
(Angelus Silesius: „Sämtliche poetische Werke in drei Bänden“. Band 3, Herausgegeben und eingeleitet von Hans Ludwig Held, Carl Hanser Verlag, München 1952, S. 122)
キリスト教では、神を直観する(羅 INTUEOR)ことこそが、人間にとっての至福(羅 BEATITUDO)であると考えられています。人間の魂は原罪によって神から離れ、この至福直観を得られなくなりましたが、キリストが十字架上で人間の罪を贖(あがな)われたゆえに、人間の魂には至福直観へと至る道が再び開かれました。アンゲルス・シレジウスはこの詩において、百合を至福直観のアレゴリーとしています。
「ケルビムの如き旅人」と同じ 1657年に初版が出て 1668年に増補された「魂の聖なる愉楽」(„Heilige Seelenlust, oder geistliche Hirtenlieder der in ihren Jesum verliebten
Psyche“)では次のように謳っています。訳は筆者(広川)によります。
Sagt an, ihr Lilien und Narzissen Wo ist das zarte Lilien Kind? |
告ぐべし。百合よ、水仙よ。 優しき百合の子、いづくにあるを。 |
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Ihr Rosen, saget mir geschwind Ob ich ihn kann bei euch genießen? |
汝ら薔薇の花々よ。我に疾(と)く語れ。 我、汝らのもとにて、彼の人とともに在るを得(う)や。 |
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Ihr Hyacinthen und Violen Ihr Blumen, alle mannigfalt, |
汝ヒヤシンスよ、すみれよ。 汝らあらゆる花々よ。 |
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Sagt, ob ich ihn bei euch soll holen Damit er mich erquicke bald? „Heilige Seelenlust“, erstes Buch, XII. 2. |
言ふべし。汝らのもとにて、我、彼の人に見(まみ)うるや。 彼の人の、我に命を与へむがため。 |
アンゲルス・シレジウスはこの詩において、罪びとに神との平和をもたらす贖い主、罪びとを神の御許へと導き、神とともに在らしめる救い主イエスを、百合の子(独
das Lilien Kind)と呼んでいます。これは至福直観をもたらす子、すなわち救いをもたらす幼子という意味でしょう。
聖フランチェスコが六翼のセラフにキリストを幻視して、聖痕を受けたことはよく知られています。祈祷中に脱魂して幼子イエスを幻視した聖アントニウスも、師フランチェスコと同様に、現世に身を置きながらベアティトゥードー(至福直観)を体験したことが分かります。聖人の魂が至福直観を体験する様子を可視化するのは本来不可能ですが、本品の浮き彫りではこれを幼子イエスの出現として図像化しています。
祈祷書から現れる幼子イエスは、聖アントニウスの図像における定型的表現のひとつです。表現の定型性は容易に通俗性に繋がることから、宗教的図像におけるこのような即物的表現を、芸術の名に値しないと断ずる人もいます。しかしながら筆者(広川)は、聖画像における即物的表現を必ずしも否定しません。その論拠については、別稿で論じました。
上の写真に写っている定規のひと目盛りは、一ミリメートルです。二人の顔は直径二ミリメートルの円内に収まりますが、目鼻立ちが判別できるのみならず、アントニウスを愛するイエスの愛、イエスを愛するアントニウスの愛が、二人の穏やかな表情のうちに可視化されています。幾分強張った粗衣の衣文、腰に下げたロザリオの珠などの細部も、あたかも実物を眼前に見るかのような正確さと写実性を以て再現されています。聖人の右下(向かって左下)にあるペ・ペ(PP)は、リュドヴィク・ペナン(Ludovic Penin, 1830 - 1868)とジャン=バチスト・ポンセ(Jean-Baptiste Poncet, 1827 - 1901)のイニシアルです。
聖フランチェスコは心のたいへん優しい人で、小鳥に説教し、町の人々に恐れられ嫌われた狼の立場に立って人々と狼の仲立ちをしたと伝えられていますが、聖フランチェスコを慕った聖アントニウスも同様に優しく、生き物を愛し、魚に説教したと言われています。このメダイに刻まれた聖アントニウスの表情にも、神の愛の反映、限りなく優しい愛情を読み取ることができます。
アントニウスは1231年6月13日にパドヴァ近郊アルチェッラ(Arcella)の聖クララ会修道院で亡くなりました。この日、町の子供たちは泣き、聖人ために地上に降りた天使たちによって、町のすべての教会の鐘がひとりでに鳴ったと伝えられています。聖アントニウスが死んだとき、パドヴァとアルチェッラのすべての教会の鐘は天使によらずとも鳴ったでしょうし、子供たちが優しいアントニウスとの別れを悲しんで泣いたのも事実でしょう。
本品の裏側には百合が浮き彫りにされています。百合の右側は名前や日付を彫り込めるように大きく空いていますが、本品は未使用品ですので何も彫られていません。
上の写真は本品を男性店主の手に載せて撮影しています。女性が本品の実物をご覧になれば、写真で見るよりもひと回り大きなサイズに感じられます。
メダイの制作方法には、鋳造と打刻の二通りがあります。たいていのメダイはスクリュー・プレスで打刻して作られています。スクリュー・プレスによる打刻は硬貨の製造にも使われた方法で、作業効率は上がりますが、メダイの物理的立体性には限度があり、図柄も簡易になりがちです。スクリュー・プレスで打刻したからといって、図柄が簡易にならなければならない必然性はありませんが、鋳造によるメダイと打刻によるメダイを比べると、前者の方が芸術性に優れる場合がほとんどです。その理由は、おそらく、打刻によるメダイには不思議のメダイやルルドのメダイのように大量に作られるものが多く、貨幣彫刻に似た感覚で、簡易な表現となる場合が多かったせいと思われます。
しかしながら本品の場合、打刻した作例であるにも関わらず、浮き彫りは非常に丁寧で、まるで生身のイエスと聖人を見ているかのような錯覚さえ覚えます。打刻した作品であるゆえに物理的な突出は少ないですが、メダイユ彫刻家が「物理的な突出に頼らずに三次元性を表現する」ことは優れた技量と芸術性の証しです。フランスのメダイユ彫刻は十九世紀後半に非常な発達を成し遂げましたが、本品は物理的な突出に頼らずに三次元性を表現する優れた作例であり、古い時代のフランス美術のみが為し得た彫刻表現であるといえます。
本品は数十年前のフランスで制作された真正のアンティーク品(ヴィンテージ品)ですが、古い品物であるにもかかわらず保存状態は良好で、細部までよく残っています。拡大写真に写っている微小な瑕(きず)は、保管中に生じたものです。表裏の突出部分に摩滅が認められず、細部に至るまで制作当時の状態のままであることから、本品は未使用品であることが分かります。
メダイをペンダントとして愛用すると、肌や服地と擦れ合う裏面が、長い年月のうちに摩滅します。しかしながら本品は直径 15.9ミリメートルと小さいため軽量で、摩滅はほとんど起こりません。また本品の裏面にはそもそも定型的な百合しか彫られていないので、軽度の摩滅が起こったところで形は充分に保たれます。小さめのメダイはどのような服装に合わせても邪魔にならず、重さが負担になることもなく、日々ご愛用いただけます。