パドヴァの聖アントニウス (リスボンの聖アントニウス)
St. Anthony of Padua/Lisbon




Antonio de Pereda (1611 - 1678), St. Anthony of Padua with the Christ Child, oil on canvas, 117 x 105 cm, Museum of Fine Art, Budapest


【聖アントニウスの生涯】

 聖アントニウス (1195年8月15日 - 1231年6月13日) は元の名をフェルナンド・マルティンス・デ・ブルハオンといい、リスボンの非常に裕福な貴族の家系に生まれました。家族はフェルナンドが貴族の身分を継ぐことを望みましたが、フェルナンドはこれを拒み、リスボン郊外のアウグスティノ修道会に入ります。アウグスティノ会に所属する司祭たちは学術研究によって知られていて、アントニウスも聖書とラテン文学の研究に打ち込み、頻繁に訪ねてくる家族や友人が勉学の妨げにならないようにコインブラの修道院へ配転さえしてもらいました。
 1219年に叙品(司祭に任命すること)されて、修道院の応接担当者となった頃、フェルナンドはモロッコへ向かう5人のフランシスコ会宣教師に出会い、彼らの福音的な生き方に強い感化を受けます。その5人のフランシスコ会宣教師が殉教したという知らせが 1220年2月に届くと、フェルナンドは全てを捨てて神に従うことを決意し、フランシスコ会に移ることを長上に願い出ました。
 1220年の夏フェルナンドはフランシスコ会士となり、教父時代のエジプトの聖人、聖大アントニウス (c. 251 - 356) に倣って名前をアントニウスに改めました。アントニウスは時を措かずにモロッコ宣教に向かいましたが、現地に着いてすぐに重病になって、ポルトガルに送り返されることとなりました。しかし帰路に嵐に遭って船がシチリアのメッシーナに漂着し、アントニウスはそこからアッシジへと向かってイタリアの修道院にとどまる許可を得て、ロマーニャ地方フォルリで隠修士になりました。
 ある司祭の叙品式で説教をして才能を認められたことがきっかけになり、アントニウスはロンバルディア全体の宣教を任され、1226年にはフランシスコ会総会からの特使として教皇グレゴリウス9世の前で行った説教が賞賛されて祝祭日の説教を任されました。
 1231年、アントニウスは厳しい禁欲生活のために全身水腫に侵され、療養のため他の修道士2名と共にカンポザンピエーロ(パドヴァ)の森に入って、くるみの木の下に作った小屋に住みます。この年の6月13日、アントニウスはパドヴァへの帰路、聖クララ会修道院にて36歳で息を引き取りました。翌 1232年にはローマ教皇グレゴリウス9世によって列聖されています。

 聖アントニウスが死んだとき、町の子供たちは泣き、聖人ために地上に降りた天使たちによって、町のすべての教会の鐘がひとりでに鳴ったと伝えられています。

 聖アントニウスはパドヴァのサンタントニオ聖堂 (Basilica di Sant'Antonio da Padua) にある礼拝堂に埋葬されています。またリスボンの生家もサント・アントニオ教会 (Igreja de Santo Antonio de Lisboa) になっています。


 ブラジルとポルトガルでは、聖アントニウスは結婚の守護聖人とされています。

 聖アントニウスは1946年1月16日に教会博士とされ、福音的博士と呼ばれています。聖アントニウスの祝日は6月13日です。


【聖アントニウスの図像学】

 最も初期の図像では聖アントニウスは特別な象徴を持たずに、一介のフランシスコ会士として描かれています。

 Maso di Banco (fl. 1320 - 1346), St. Anthony of Padua, tempera on wood, Metropolitan Museum of Art


 時代が下ってフランシスコ会の聖人が増えると、聖アントニウスを他の聖人から区別する必要が生じ、魚に説教をしたという伝説に基づいて魚と共に描かれたり、百合の花と一緒に描かれたりするようになりました。



Friedrich Pacher (fl. 1474 - ), St. Anthony of Padua and St. Francis of Assisi, tempera on pine panel, 93.5 x 54.5 cm, Museum of Fine Art, Budapest


 また聖アントニウスは幻視をする聖人としても知られ、燃える心臓を手にしたり、本を前にして瞑想にふける聖アントニウスに対して幼子キリストが現れたりする図像が多くあります。幼子キリストは本よりも大きく描かれることもありますし、本ではなく幼子キリストだけが描かれることも多くあります。

 Benozzo Gozzoli (1420 - 1497), St. Anthony of Padua, 1450's, panel, Santa Maria d'Aracoeli, Rome

 El Greco (1541 - 1614), St. Anthony of Padua

 Il Guercino (1591 - 1666), St Anthony of Padua with the Infant Christ, 1656, oil on canvas, 91 x 74 cm, Private collection



Carlo Francesco Nuvolone (1609 - 1662), St. Anthony of Padua and the Infant Christ, oil on panel, 31 x 25 cm, private collection



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