キリスト教に基づく家庭教育 「汝、このしるしによりて勝て」 ブルターニュにおける聖アンナ信心会のメダイ 30.5 x 16.3 mm フランス 1891年頃
突出部分を含むサイズ 縦 30.5 x 横 16.3 mm
フランス 1891年頃
フランス本土の北東端、ブルターニュで崇敬される聖アンナのメダイ。キリスト教に基づく家庭教育を主題に、1891年頃のフランスで制作された作品です。材質はブロンズ、形状は珍しいマンドルラ型(紡錘形)で、一方の面に母アンナと娘マリアを、もう一方の面に聖心が燃える十字架を、それぞれ打刻による浅浮き彫りで表しています。
アンナ(アンヌ、ハンナ)は「プロトエヴァンゲリウム・ヤコビー」("Protoevangelium Jacobi" 「ヤコブ原福音書」)によって名を知られるマリアの母です。ヨアキムとアンナの夫妻は長い間子供を授かりませんでしたが、神は祈りを聞き入れ給い、アンナは七か月の妊娠期間の後にマリアを産みました。
少女マリアは卓越した信仰深さゆえに「救い主の母」として選ばれました。しかるにマリアがそれほど信仰深く育ったのは、母であるアンナの教育のお蔭です。それゆえマリアの母でありイエスの祖母であるアンナは、イエス・キリスト時代の聖人たちの中でも特別な地位を占めています。
本品の一方の面には椅子に腰掛け、膝の上に聖書(旧約聖書)の巻物を開き、娘を教育するアンナの姿が刻まれています。
開いた書物は受胎告知画にも描き込まれますが、キリスト教美術の伝統によると、受胎告知画のマリアは「イザヤ書」七章十四節を読んでいたと考えられています。「イザヤ書」七章十四節を新共同訳で引用します。
それゆえ、わたしの主が御自らあなたたちにしるしを与えられる。見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ。
これに対して「マリアを教育するアンナ」を描く十三世紀後半以降の図像では、アンナは「詩編」を教材にマリアに読み書きを教えます。本品の浮き彫りにおいてアンナが膝の上に広げている巻物も、おそらく「詩編」なのでしょう。
本品の浮き彫りにおいて、アンナは右手を挙げ、娘を祝福しています。母のわきに跪くマリアは十代前半ぐらいの年齢で、目を閉じ、交差させた腕を胸に当てています。目を閉じて交差させた腕を胸に当てるのは、祈りの定型的表現です。マリアは神との対話の内にあって、自らに与えられた特別な使命に思いを潜めているのです。
アンナとマリアを取り囲むように、「コングレガシオン・デ・メール・ド・ファミーユ」(Congrégation des Mères de Famille)と書かれています。これはフランス語で「家庭の母の信心会」という意味です。通常のメダイであればマリアが中心に表されますが、「家庭の母」を主題に制作された本品では、娘マリアは脇役となり、母アンナの姿が中心に大きく表されています。
六角形のフランス本土の北東端から、ブルターニュ半島が大西洋に突き出ています。古くはアルモリカ(羅 ARMORICA)と呼ばれたブルターニュでは、この地に聖アンナが余生を送ったとの伝説、及び
サンタンヌ=ドーレ(Sante-Anne-d'Auray ブルターニュ地域圏モルビアン県)において1625年に聖アンナが出現したとの伝承により、この聖女が篤く崇敬されています。
(下) Alfred Guillou (1844 - 1926), "Arrivée du pardon de sainte Anne de Fouesnant à Concarneau ", 1887, musée des beaux-arts de Quimper ブルターニュの聖アンナ パルドン祭の様子を描いたフォトグラヴュール 当店の商品
ブルターニュ半島の北側、モルビアン県の西隣のコート=ダルモル県(Côtes-d'Armor)に、パンポル(Paimpol)という小さな港町があります。「コングレガシオン・デ・メール・ド・ファミーユ」(Congrégation
des Mères de Famille)は、1891年、パンポルのサン・ヴァンサン教会(la chapelle Saint-Vincent)を本拠地として認可・設立されました。本品はその際に制作された記念メダイです。
上の写真に写っている定規のひと目盛りは、一ミリメートルです。
メダイの制作方法には「打刻」と「鋳造」の二通りがあります。鋳造によるメダイは分厚いので物理的な凹凸も作りやすく、立体的かつ精緻な作品が多く見られます。これに対して打刻によるメダイは三次元性の表現や精緻さにおいてしばしば鋳造に劣ります。
しかしながら本品は打刻した作品であるにも関わらず、人物の表現は極めて精緻であり、アンナとマリアの表情も身体のプロポーションも美しく整っています。流れるような自然さで表現された衣文(えもん 衣の襞)の造形も見事であり、物理的な三次元性に依拠しない優れた表現力は、本品をメダイユの国フランスならではの名品としています。
もう一方の面には十字架上で愛の炎を噴き上げる聖心を浮き彫りにし、「イン・ホーク・シグノー・ヴィンケース」(羅 IN HOC SIGNO VINCES 「汝、この印にて勝利せよ」)の言葉を添えています。
十字架と聖心は、神の愛を卓越的に象徴する図像です。「イン・ホーク・シグノー・ヴィンケース」はコンスタンティヌス大帝が幻視したと伝えられる啓示の言葉です。エタンダール(仏 étendard 軍旗)を思わせる帯に刻まれた啓示の言葉と、神の愛の象徴を組み合わせた本品の意匠からは、「カトリック的慈善の精神によって勝利せよ」という意味が読み取れます。
十字架と聖心、「イン・ホーク・シグノー・ヴィンケース」の軍旗はミル打ちを思わせる点に囲まれ、外側に「ウーヴル・デ・セルクル・カトリーク」(Œuvres
des cercles catholiques)の文字が刻まれています。 「ウーヴル・デ・セルクル・カトリーク」とは、「ウーヴル・デ・セルクル・カトリーク・ドゥーヴリエ」(l'Œuvres
des cercles catholiques d'ouvriers カトリック労働者団体厚生会)のことです。
「ウーヴル・デ・セルクル・カトリーク・ドゥーヴリエ」は、フィニステール県(Finistère コート=ダルモル県の西隣)選出の下院議員であり、保守的な貴族であったマン伯(Adrien
Albert Marie, comte de Mun, 1841 - 1914)が 1871年に創立した慈善団体です。同会が設立された 1871年はフランス全土にコミューンの嵐が吹き荒れた時代でした。「カトリック的慈善の精神によって勝利せよ」と語り掛ける本品の意匠には、労働運動の先鋭化を防ぎたい保守層の気持ちが色濃く投影されています。
本品が制作されたのは、「ウーヴル・デ・セルクル・カトリーク・ドゥーヴリエ」創立の二十年後に当たる 1891年頃です。この頃のフランスは社会が右傾し、ブーランジェ将軍事件やドレフュス事件が起こりました。
十九世紀後半のカトリック教会は、社会主義や労働運動をはじめとする近代的潮流に抗(あらが)うため、巨大な聖母像の建設や、カニヴェ、メダイに籠められたメッセージを通して、キリスト教精神を草の根から浸透させようと図りました。保守派的な色彩が強い本品の意匠には、当時のカトリック教会の意向に沿ったメッセージが籠められて、1891年におけるフランスの精神状況を色濃く反映しています。
本品は百三十年近く前に制作された心性のアンティーク品ですが、極めて良好な保存状態です。特筆すべき問題は何もありません。
アンティーク品の魅力のひとつは、美術工芸品としての美のうちに、品物が制作された時代の精神が結晶となって保存されていることです。本品はまさにそのような作例であり、キリスト教二千年の歴史に基づいていつの時代にも通用する「徳」を形象化した美術品であるとともに、フランス近代史を証言する貴重な資料でもあります。さらに本品は聖アンナを厚く崇敬するブルターニュ文化の反映でもあり、フランスのグラヴール(メダイユ彫刻家)のみが為し得る細密浮き彫りの技法を堪能させてくれる芸術作品でもあります。現代の品物には望むべくもない多面的魅力の名品といえます。
8,800円
電話 (078-855-2502) またはメール(procyon_cum_felibus@yahoo.co.jp)にてご注文くださいませ。
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