サンタンヌ・ドーレ ブルターニュの聖アンナ 悲しみの聖母 直径 14.1 mm


突出部分を除く直径 14.1 mm

フランス  1910 - 20年代頃



 聖アンナとマリアの母娘を表した円形のメダイ。アンナの手前、左下(向かって右下)に幼いマリアが立っています。母娘はともに戴冠していますが、ここでの主役はマリアではなく聖アンナです。聖女は母の威厳を以って画面中央に立っており、冠もひときわ立派です。母娘の周囲には、聖アンナに執り成しを求める祈りの言葉がフランス語で記されています。

  Sainte Anne d'Auray, priez pour nous.  オーレの聖アンナ(サンタンヌ・ドーレ)、我らのために祈りたまえ。





 「サンタンヌ・ドーレ」(Sante-Anne-d'Auray) とはブルターニュ地域圏モルビアン県の村の名前、及びこの村にある同名のバシリカの名前です。サンタンヌ・ドーレのバシリカは、ブルターニュにおいて篤く崇敬される聖アンナの大巡礼地です。

 伝承によると、聖アンナは 1624年、当地の農夫イヴ・ニコラジク (Yves Nicolazic, 1591 - 1645) に対して何度も出現し、自分(聖アンナ)にゆかりの地である彼の村に、聖アンナに献じた礼拝堂を建設することを求めました。1625年3月7日、自身に対する聖アンナの出現を証明するために、ニコラジクは大勢の村人が見守る場で地中から一体の像を掘り出します。この像は後に当地のカプチン会の修道士たちによって手が加えられて聖アンナの像として認知されるようになり、やがてヴァンヌ司教は当地における聖アンナ崇敬と礼拝堂建設を許可しました。礼拝堂が建てられたニコラジクの村はサン=タンヌ=ドーレ (Sainte-Anne-d'Auray) と呼ばれて、聖アンナはブルターニュの守護聖人となりました。この地で毎年行われるパルドン祭はブルターニュのパルドン祭のなかでも最大の規模で、ルルドリジューに次ぐフランス第三の巡礼地となっています。


(下・参考画像) ブルターニュのパルドン祭 1890年頃の彩色フォトグラヴュア 画面サイズ 23 x 18 cm 当店の商品です。






 裏面には成長した聖母マリアの横顔が浮き彫りにされています。ヴェールを被った聖母は眼を閉じて悲しんでいるように見えます。





 このメダイが制作されたのは第一次世界大戦期で、フランスをはじめとするヨーロッパ各国は戦場となり、それまでになかった数の兵士と一般市民が命を落としました。母アンナに守られて成長したマリアは、母となって後に愛息イエズスを失い、悲しみの聖母(マーテル・ドローローサ)となりました。誰もが身近な人を失っていた当時のフランスの人々は、自分たちの悲しみを理解して寄り添いたまうマーテル・ドローローサに慈母の姿を見、執り成しを願ったのでしょう。





6,800円

電話 (078-855-2502) またはメール(procyon_cum_felibus@yahoo.co.jp)にてご注文くださいませ。




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