一方の面にはイエスとその聖心、もう一方の面には聖母とその聖心を、それぞれ肉厚の浮き彫りで表したブロンズ製メダイ。縦 35ミリメートル強、横
25ミリメートル強、最大の厚さ 4.6ミリメートルと立派なサイズです。9.7グラムの重量は概ね百円硬貨二枚分に相当し、手に取ると心地よい重みを感じます。
十九世紀のフランスでは、信心具に位置づけられるメダイのほとんどが打刻によって作られていました。しかしながら本品は美術メダイユと同様の丁寧さで鋳造されており、彫刻も美術品の水準に達しています。
一方の面には衣を開いて聖心を示すキリストを浮き彫りにしています。上部に十字架を突き立てられ、茨に取り巻かれた聖心は、人知を絶する愛の激しさゆえに炎を噴き上げ、まばゆい光を放っています。聖心を指し示す手の釘孔が、なんと痛々しいことでしょうか。イエスの周囲にはラテン語で次の言葉が書かれています。
DILEXIT ME ET TRADIDIT SE. イエスわれを愛し給ひて、身を捧げ給へり。
これは「ガラテヤ書」 2章20節の引用です。ラテン語をヴルガタ訳、日本語を新共同訳で引用します。
vivo autem iam non ego vivit vero in me Christus quod autem nunc vivo in carne in fide vivo Filii Dei qui dilexit me et tradidit se ipsum pro me | 生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです。わたしが今、肉において生きているのは、わたしを愛し、わたしのために身を捧げられた神の子に対する信仰によるものです。 |
もう一方の面にはマーテル・ドローローサ(MATER DOLOROSA 悲しみの聖母)が、やはり肉厚の浮き彫りで表されています。聖母は喪のヴェールをかぶり、その表情に深い悲しみを浮かべています。聖母の胸の汚れなき御心は剣に貫かれつつも信仰を失わず、神とイエスに対する愛の炎を噴き上げて燃えています。聖母の周囲には次の言葉がラテン語で書かれています。
IBI DOLORES UT PARTURIENTIS その悲しみは、母の悲しみ。
これはヴルガタ訳「詩編」 47編 7節の引用です。現在わが国で広く使われている「新共同訳聖書」は、旧約聖書の章節分けをヘブライ語のマソラ本文("BIBLIA HEBRAICA STUTTGARTENSIA" von der Deutschen Bibelgesellschaft, DBG)に合わせているために、ヴルガタ訳の章節分けとは齟齬が生じています。新共同訳においてこの句は「詩編」
48編 7節に当たり、次のように訳されています。
tremor adprehendit eos ibi dolores ut parturientis そのとき彼らを捕えたおののきは、産みの苦しみをする女のもだえ。(新共同訳)
ヴルガタ訳「詩編」 47編(新共同訳「詩編」 48編)は主が守り給う地シオンを讃える賛歌であり、新共同訳から引用した訳文の「彼ら」とは異邦人(ユダヤ人ではない民族)を指します。
しかしながら "IBI DOLORES UT PARTURIENTIS" というラテン語の句を、「詩編」の原テキストから切り離して素直に読めば、「子を産む人としての悲しみ(苦しみ)がそこにある」、あるいは「その悲しみ(苦しみ)は、子を産む人としての悲しみ(苦しみ)である」という意味に受け取れます。「悲しみの聖母」のメダイである本品において、当該の句はこのような意味に解釈・引用されています。悲しみ(あるいは苦しみ
DOLORES)は複数形で、ここでは聖母の七つの悲しみを指しています。
本品の上部には、長い柄の付いた環が、メダイの面と直角を為すように取り付けられています。これは十九世紀半ば以前のフランス製メダイに見られる様式です。したがって本品は百五十年以上前の作例であることがわかりますが、それほどまでに古い物とは信じがたいほど良好な保存状態です。突出部分にも磨滅は全く見られません。
フランスにはメダイユや信心具専門のミュゼ(美術館、博物館)がいくつかありますが、本品は彫刻の出来栄え、保存状態のすばらしさとも、ミュゼの収蔵品の水準に達しています。お買い上げいただいた方には必ずご満足いただけます。