ベル・エポック期のフランスで制作された稀少な美麗メダイ。透かし細工によるもので、たいへん大きなサイズです。
メダイの中心にあるのは、十字架付の顕示台に安置された聖体です。聖体には、「イエズス」を象徴的に表す三つのギリシア文字「イオタ、エータ、シグマ」(IHS ※) が記され、天上の光を発出しています。この光は実体変化を起こした聖体がもはや小麦のパンではなく、イエズス・キリストの体であり、イエズス・キリストそのものであることを表しています。
※ 「イエズス」はギリシア語「イエースース」(IHSOYS) を中世ラテン語読みしたものです。IHSOYSのHはエータで、長音「エー」を表します。
(下・参考画像) 重要文化財「紙本著色聖母十五玄義・聖体秘跡図」 高山右近 (1552 - 1625) の所領であった大阪府茨木市の民家で、1930年に発見されたもの。京都大学蔵。
聖体顕示台の下に雲がありますが、これは復活・昇天したイエズス・キリストが、いまは天上なる父なる神の右の座におられることを表しています。
聖体顕示台にはミル打ち(微小な点が連なる彫金細工)を模したパターン、及び植物の根のようなパターンがあり、十字架の各末端にも蔦の葉のような造形があります。聖体すなわちイエズス・キリストの神性を象徴する天上の光は、それぞれ30度ずつの間隔で交替して発出する二種類の突起により表現されています。メダイの周縁部には次のフランス語と年号が記されています。
Confrérie du Très Saint Sacrement 至聖なるエウカリスチアの秘蹟信心会
Paroisse St. Étienne, Toulouse 1896 トゥールーズ、サンテティエンヌ教区 1896年
(下・参考写真) トゥールーズ大司教座聖堂サンテティエンヌ 身廊内部
このメダイが制作された19世紀の後期は、フランスが普仏戦争(1870/71年)の敗戦とコミューンの混乱から立ち直った第三共和政期の前半にあたり、ジュール・フェリー法の制定(1881/82年)等によって政教分離が推し進められると同時に、信仰篤い人々のあいだでは、宗教心がいっそう高揚した時代でもありました。パリのサクレ=クール教会をはじめとする数々の壮麗な聖堂が、フランス全土から寄せられる寄附により、各地で建設されていましたし、カニヴェや家庭用聖像彫刻、聖水入れ等も、第二帝政期に引き続いてさかんに制作されていました。
このメダイは篤信のトゥールーズ市民による「至聖なるエウカリスチアの秘蹟信心会」を記念したものですが、信心会会員の強い信仰心を、ひいてはこの時代のフランスの心性を、大胆なデザインと大きなサイズによって力強く宣言しています。
本品のコンディションに特筆すべき問題は無く、120年近く前のフランスで制作された真正のアンティーク品としてはたいへん良い保存状態です。当時の金めっきは金の薄板を熱で圧着する方法ですので、現在のエレクトロプレートに比べて金の層が格段に分厚く、高級感と耐久性に優れています。