十字架上のイエズス・キリストを、緻密なグラヴュール(エングレーヴィング)によって写真のようにリアルに描き出したカニヴェ。植物を様式化したレース状の枠は、幅が広く、非常に繊細なデザインです。
聖画にはエルサレムの街並みを遠景にして、十字架上のイエズス・キリストを描きます。瞑目し穏やかな表情のイエズスは、言語に絶する肉体的苦痛にもかかわらず、まるで眠っておられるようで、緩いS字を描く姿勢は優雅にさえ見えます。手足の釘穴、荊冠の傷から流れているべき血も、聖画には表現されていません。しかしこのような不自然さは、画家の不注意や技量不足によるものではありません。その証拠に、イエズスの肉体は各部の比率から骨格、筋肉の付き方に至るまで、解剖学的にきわめて正確に描写されています。
優れた技量の画家による「不自然」な絵 -- この謎を解く鍵は、聖画、宗教画の象徴性にあります。この絵は自然主義絵画ではないのであって、画家の関心は、イエズスの受難を史実に忠実に再現することには存しないのです。この聖画は、キリストの受難という出来事が有する本質的な意味のみを描こうとしています。受難の光景を写生的に描くことを目指していないゆえに、図像学的伝統に従うならば描かれていても不思議でない聖母やヨハネ、マグダラのマリアは除かれています。
解剖学的に正確な人体の描写は、イエズスが完全な人性を有することを表しています。まばゆい後光に輝く頭部と、釘によっても茨の冠によっても害されない超越性は、イエズスが完全な神性を有することを表しています。神、人二性を有するイエズスが十字架で死に給うたという理解を絶するミステリウムを、この聖画は表しているのです。
聖画の中央下には版元の所在地と名前が「パリ、ドプテ書店」(Dopter à Paris) と刻まれています。聖画の左下には、「カミーユ・シャザルが(この絵を)描いた」(Cam.
Chazal del.) と刻まれています。"del." は「(線で)描いた」を表すラテン語 "DELINEAVIT"
の略記です。19世紀のグラヴュールにおいては "________ PINXt"(絵具で描いた)、"________
del."(線で描いた)等の形で、画面の左下に画家の名前を表示する習慣になっています。
カミーユ・シャザル (Charles-Camille Chazal, 1825 - 1875) はパリに生まれパリで死んだ新古典派の画家で、同じくパリの画家であるアントワーヌ・シャザル
(Antoine Chazal, 1793 - 1854) の息子です。ドロラン (Michel Martin Drolling, 1789
- 1851) とピコ (François-Edouard Picot, 1786 - 1868) に学び、美しい宗教画、歴史画、象徴主義的絵画を遺しています。
【下】 参考画像 カミーユ・シャザルによる油彩二点
(上) 「エヴァの娘たち」 Les Filles d'Ève, apres 1867, l'huile sur toile, 232 x 193 cm
(下) 「聖母のご訪問」 La Visitation, l'huile sur toile
聖画の右下には、「シュナイダーが(版を)彫った」(Schneider sculp.) と刻まれています。"sculp."
は、ラテン語で「彫った」を表す "SCULPSIT" の略記です。19世紀のグラヴュールにおいては "________
sc." "________ sculp.""________ SCULPt" 等の形で、画面の右下に版画家の名前を表示する習慣になっています。
19世紀のカニヴェにはグラヴュール(エングレーヴィング)とオー・フォルト(エッチング)が併用されます。オー・フォルトはグラヴュールほどの熟練と労力を要しません。グラヴュールに比べると精密さに劣る場合がありますが、線の間隔を詰めて製作すれば、グラヴュールとほぼ同等のきめの細かさを実現することが可能です。
しかるにこのカニヴェの場合、ほぼ全画面をグラヴュールで制作しています。オー・フォルトを採用しているのは、イエズスの頭髪と鬚、INRIの文字、及びスティプルの部分のみです。技法上のこの特質により、写真のようなリアリティを持つ聖画に仕上がっています。
十字架の背景の空には雲が表現され、微妙な濃淡を描いています。グラヴュールの線は画面の端から端まで水平方向に途切れず連続しており、暗い部分は太く深い線、明るい部分は細く浅い線を刻むことにより、インクの量を調節しています。先の尖ったペンで線を描き、面状の濃淡を構成するだけでも大変な作業ですが、版の作者にはインクを載せる前の銅板が見えているだけですから、このような作品を見れば、19世紀のエングレイヴァーの技量がどれほど優れたものであったかが良く分かります。
表(おもて)面の最下部には、「神なる救い主」(DIVIN RÉDEMPTEUR) とフランス語で刻まれています。
カニヴェの裏面にはアベ・エルベ (l'Abbé Herbet) による1847年の著作、「地上で過ごす天上の一日」("Un jour du Ciel passé sur la terre.") からの引用がフランス語で記されています。内容は次の通りです。日本語訳は筆者(広川)によります。
Que puis-je faire pour vous honorer et témoigner toute ma reconaissance, ô Jésus, sinon d'adorer dans un profond silence et dans une sainte frayeur, un mystère si terrible, et de vous offerir tout ce que j'ai d'espoir, de volonté, de puissance, d'être, de vie, pour vous être consacré et sacrifié par tel genre de mort qu'il vous plaira, ô mon Dieu! en hommage, en adoration, en reconnaissance d'une mort si sainte et si salutaire pour moi. | イエズスよ。御身を讃え感謝するために、私は全き沈黙と畏れのうちに、かくも恐るべきミステリウムを崇めます。望み欲するすべてを、我が能力と存在と生のすべてを、御身にお捧げしいたします。わが神よ。私は自らを御身のために聖別し、かくも聖なる死、わが救いそのものなる死を讃え、崇め、感謝して、御身の嘉(よみ)し給うべき死によりて、自らを贄(にえ)といたします。 | |
Je me donne à vous! disposez de moi selon votre sainte volonté, et par votre mort, daignez sanctifier la mienne. Ainsi soit-il. | 私は自らを御身に捧げます。我を御身が聖なる御心のままに為(な)し、賤しき我が死をも、御身が死によりて聖なるものと為し給え。アーメン。 | |
(Un jour du Ciel passé sur la terre.) | (「地上で過ごす天上の一日」より) |
最下部には版元ドプテの社名 (Dopter, imprimeur-éditeur) と所在地(rue de la Harpe, 66 パリ、アルプ通り66番地)、及び図版番号を表す数字
173が書かれています。
本品はおよそ150年前のものですが、良質の中性紙に刷られており、それほどまでに古いものとは俄かに信じがたいほど綺麗な状態です。たいへん稀少な完品です。