オヴィド・ヤンセス
Ovide Yencesse, 1869 - 1947
オヴィド・ヤンセス (Ovide Yencesse, 1869 - 1947) はフランス東部、ブルゴーニュの古都ディジョンに生まれました。ディジョンの美術学校で学んだあと、パリの高等美術学校
(l'École Nationale Supérieure des Beaux-arts, ENSB-A) に移り、1871年からこの学校のメダイユ彫刻科教授を務めていた高名なポンカルム
(François-Joseph-Hubert Ponscarme, 1827 - 1903) のもとで学びました。(註1) 1893年にはサロン展に初出展しています。その後ディジョンに帰ったヤンセスは、当地の美術学校で校長に就任し、自らメダイユ製作に取り組むとともに、後進の指導に励みました。
François-Joseph-Hubert Ponscarme,
"Ovide Yencesse"
ヤンセスを最も惹きつけたのは、市井の女性たち、母親たちの姿でした。薪の束を抱えた農婦たち、教会のミサに赴く女性たち、暖炉のそばで編み物をする女性たちが、質素な日常を誠実に生きる姿は、ヤンセスの心を強く捉えました。
とりわけヤンセスが好んで製作したのが母子像です。ヤンセスは身近な母子をモデルにしながらも、写実よりもむしろ限りなく優しい母性愛を描きだすことに専心しました。典型的な作品群において、ヤンセスの母子像は明瞭な輪郭線を持たず、あたかも靄(もや)に浮かぶかのようにやわらかい表現となっています。この特徴的表現手法ゆえに、ヤンセスはしばしば
ウジェーヌ・カリエール (Eugène Anatole Carrière, 1849 - 1906) に比されますが、実際ヤンセスの作品の一部はカリエールの絵に基づいています。
ヤンセスの作品は、それゆえ、浮き彫り彫刻でありながら、絵画的特徴を色濃く有しているということができます。このような「絵画的メダイユ」を製作した彫刻家のなかでも、とりわけヤンセスの作品は見る者の感情を揺さぶります。
註1 ポンカルムはヤンセス以外にも優れたメダイユ彫刻家を育てています。1875年のローマ賞メダイユ彫刻部門プルミエ・グラン・プリを獲得し、アール・ヌーヴォーの美しい作品で知られる
オスカル・ロティ (Oscar Roty, 1846 - 1911)、 1872年のローマ賞メダイユ彫刻部門プルミエ・グラン・プリを獲得した天才的メダイユ彫刻家
ダニエル=デュピュイ (Jean-Baptiste Daniel-Dupuis, 1849 - 1899)、ポンカルムとともにフランス・メダイユ彫刻中興の祖ともいうべき役割を果たす一方、先進的な家具デザイナーとしても知られる
シャルパンティエ (Alexandre-Louis-Marie Charpentier, 1856 - 1909) は、いずれもパリ高等美術学校におけるポンカルムの教え子です。
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