アレト=ジャンヌ=アントワネット・グスマン
Aleth-Jeanne-Antoinette Guzman, 1904 - 1978


 アレト=ジャンヌ=アントワネット・グスマン 1929年頃の写真


 アレト=ジャンヌ=アントワネット・グスマン (Aleth-Jeanne-Antoinette Guzman, 1904 - 1978) はフランスのメダイユ彫刻家です。オヴィド・ヤンセスの弟子であり、ローマ賞プルミエ・グラン・プリを獲得した最初の女性メダイユ彫刻家として知られています。


【アレト=ジャンヌ=アントワネット・グスマンの経歴】

 アレト=ジャンヌ=アントワネット・グスマンは 1904年4月13日、フランス東部のディジョン(Dijon ブルゴーニュ地域圏コート=ドール県)で生まれました。

 アレトの父ミゲル (Miguel Guzman, 1870 - 1960) は、1895年から亡くなるときまで、ディジョン中心部にあるノートル=ダム教会 (L'église Notre-Dame de Dijon) のオルガニストを務め、作曲家でもありました。この父の影響でアレトは最初音楽を志し、いくつかの賞を受賞しましたが、その後美術に関心を向けて、当時ディジョン美術学校の校長を務めていたオヴィド・ヤンセス (Ovide Yencesse, 1869 - 1947) に師事しました。

 1924年、サロン展に初出品し、同年パリの国立高等美術学校 (l'École nationale supérieure des beaux-arts de Paris, ENSBA) に入学しました。国立高等美術学校ではパテ (Henri-Auguste-Jules Patey, 1855 - 1930) の下でメダイユ彫刻を、ヴィクトル・セゴファン (Victor Joseph Jean Ambroise Ségoffin, 1867 - 1925)、フランソワ・シカール (François-Léon Sicard, 1862 - 1934)、アンリ・ブシャール (Henri Bouchard, 1875 - 1960) の下で丸彫り彫刻を、それぞれ学んでいます。

 1926年、ローマ賞に初めて応募し、翌 1927年にはサロン展で名誉賞を受賞、1929年には女性として初めてローマ賞メダイユ彫刻部門でプルミエ・グラン・プリを獲得し、1930年から 33年までヴィッラ・メディチに滞在しました。


 アレト・グスマンによる浮き彫り作品


 下のメダイユ「シリア」(le Syrie) はローマ留学からフランスに戻った翌年の1934年に鋳造されたもので、直径80ミリメートル、重量230グラムの大きな作品です。片面には馬上の騎士を、もう片面にはヴェール姿の女性を刻んでいます。女性の傍らには鹿が寄り添っています。騎士がまたがる馬の下に「A. グスマン」(A. GUZMAN) のサインがあります。




 下の作品で、アレト・グスマンはアグヌス・デイ(神の小羊)を抱く洗礼者ヨハネを幼児として表しています。ヨハネの右肩の後ろに「A. グスマン」(A. GUZMAN) のサインがあります。

 この小さなメダイユは現在もフランスでは人気があり、誕生記念などに購入されています。突出部分を除く直径 16.5ミリメートル。当店の商品です。






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