レジスタンス(第二次世界大戦時下のフランスにおける対独抵抗運動)の闘士として最もよく知られている人物、ジャン・ムーラン (Jean Moulin, 1899 - 1943) のメダイユ。70ミリメートルを超える直径、13ミリメートルを超える厚さ、250グラム近い重量があり、見ごたえがある立派な作品です。
ジャン・ムーランの写真は何枚かが知られていますが、このメダイユのモデルになったのは、1939年の冬に、友人のマルセル・ベルナール (Marcel
Bernard) が、モンペリエで撮影した下の写真です。このときのジャンは 40歳で、シャルトルがあるサントル地域圏ウール=エ=ロワール (Eure-et-Loir)
県の知事でした。
ジャン・ムーランの名前を聞くと、誰もがマルセル・ベルナールによるこの写真を思い浮かべます。何種類ものメダイユ作品がこの有名な写真に基づいて製作されていますが、シルヴァン・ブレによる本品は、中でも最も優れた出来栄えです。
本品の浮き彫りにおいて、ジャン・ムーランは堅固な意志そのもののようにどっしりとした石壁の前に立っています。微かなほほえみを浮かべた目元と口元は、優しさを湛(たた)えるとともに、当時世界で最も優れた科学力と強大な軍事力を誇ったドイツを敵に回しても、決してひるまずに闘う勇敢さをうかがわせます。
レジスタンスの闘士ジャン・ムーランの勇敢さと優しさを、本人の人柄そのままに写し取る彫刻家シルヴァン・ブレの芸術的才能と職人的技量は素晴らしく、メダイユが大きなサイズであることも手伝って、微笑むジャン・ムーランがすぐ目の前にいるかのような錯覚さえも覚えます。
浮き彫りの周囲には「ジャン・ムーラン」(JEAN MOULIN) の名前と生没年に加え、「レジスタンス運動の統一者」(UNIFICATEUR
DE LA RESISTANCE) の文字がフランス語で刻まれています。ジャン・ムーランの左肩あたりには、彫刻家シルヴァン・ブレのサイン (S.
BRET) が刻まれています。
メダイユの裏面には、パリ近郊ヴァンセンヌにあるリセ、「リセ・プロフェシオネル・ジャン・ムーラン」(lycée professionnel Jean Moulin ジャン・ムーラン商業高校)の名前を周囲に記し、中央にはリセの校章が精緻な彫刻で再現されています。この校章はヴァンセンヌ市の市章を中心に、先端がフルール・ド・リス(百合文)及び人の手の形になった笏杖を重ねています。両側を囲むシェーヌ(ナラ)の枝は正義を象徴します。ルイ9世はヴァンセンヌのシェーヌの下で裁判を行いました。下部のリボンには、ヴァンセンヌ市の標語である次の格言が、ラテン語で記されています。
LILIIS JUSTITIA LAPIDIBUS FAMA (ヴァンセンヌの)正義は百合による。(ヴァンセンヌの)名声は石による。
百合はフランス王権の象徴です。またヴァンセンヌは石造りの巨大な城と塔で有名です。
メダイユの縁には製作年を示す数字 "1980"、コルヌ・コーピアエ(CORNU COPIAE 豊穣の角)を象(かたど)ったパリ造幣局の刻印、"BR
FLOR" の文字が刻まれています。"BR FLOR" は「ブロンズ・フロランタン」(bronze florentin 「フィレンツェのブロンズ」)の略記です。「ブロンズ・フロランタン」は美しい色をした高品位のブロンズで、90パーセントよりも多い銅と10パーセント未満の錫(すず)またはアルミニウムの合金です。
私はジャン・ムーランのメダイユをこれまでにたくさん見ていますが、本品は間違いなく最も優れた作品です。写真では分かりにくいですが、彫りもきわめて立体的です。保存状態も良好で、特筆すべき問題は何もありません。