セグメンタル・アーチ(上部が緩やかな弧になったアーチ)形のプラケット。プラケットとは四角いメダイユのことです。このプラケットはフランスの彫刻家ラウル・ラムルドデュによる
1907年の作品で、ブロンズを使って鋳造されています。
朝、若き母が幼い子供を起こしに来ます。どうやら子供はすでに目を覚まし、ベッドに上半身を起こして、機嫌よく遊んでいたようです。幼子は言葉をまだうまく話せないかもしれませんが、母子のまなざしと微笑みのうちに、愛と信頼の通い合いを読み取ることができます。
半袖の子供は、初夏の朝のさわやかな光の中に手を伸ばしています。明るい光が天井から吊るしたレースを通して幼子の体を優しく包み、柔らかい肌を輝かせています。ベビー・ベッドは
19世紀からよく使われた鉄製で、おそらく白く塗ってあり、光のなかで輝いて見えます。母はこのあと子供を抱き上げ、頬に口づけしながら、どんなに心から愛しているか、愛情を籠めて語りかけるのでしょう。
プラケットの左下端に、メダイユ彫刻家ラウル・ラムルドデュ (Raoul Eugène Lamourdedieu, 1877 - 1953) のサインが刻まれています。
ラウル・ラムルドデュは、アキテーヌ(フランス南西部)に生まれ、20歳の時にパリに出て、国立高等美術学校 (l'École nationale
supérieure des beaux-arts de Paris, ENSBA) においてアレクサンドル・シャルパンティエに師事しました。美しい裸体、母子像、女性像を得意とし、象徴性に富むその作風は、オーギュスト・ロダンに「彫刻界のピュヴィス・ド・シャヴァンヌ」と評されました。
本品は 1907年、ラウル・ラムルドデュが30歳のころの作品です。若き彫刻家は仕事も軌道に乗り、公私ともに充実した日々を送っていたことでしょう。おそらくこのころに結婚もして、子供に恵まれたのではないでしょうか。この作品のモデルは彫刻家自身の妻と子かもしれません。
プラケットの裏面には、子供の誕生を祝福して花綱をまとい、鐘を鳴らすプッティ(バロック絵画風の童子)が浮き彫りにされ、ラウル・ラムルドデュのサインが刻まれています。ふたりのプッティが力を籠めて紐を引き、鐘を大きく傾けて鳴らす様子が、子供を授かった親の喜び、この世に生を享けた子供の喜びをよく表しています。
ラウル・ラムルドデュの作品において特筆すべきは、柔らかな肌や布、さらには雲や光など不定形なものの表現です。
メダイユ彫刻家の仕事でも、貨幣彫刻においては細部をくっきりと表現することが求められ、19世紀半ば頃までに制作されたメダイユ彫刻も貨幣と同様に明瞭な線で構成されます。しかしながら
19世紀後半以降の美術メダイユにおいては、あたかもスフマート (sfumato) のように輪郭をぼかし、あるいは高低差 0.1ミリメートルにも満たない凹凸によって雲や光を表現する作品が現れます。
この「レヴェイユ」(Réveil フランス語で「目ざめ」)をはじめ、ラウル・ラムルドデュによる一連の作品もこの系譜に属します。本品の表(おもて)面に彫られた柔らかいレースや母の衣装、裏面に彫られた雲の表現は見事ですし、いずれの面の背景も単調な平面ではなくて、微妙な濃淡が入り混じって、あたかも油絵を思わせます。色を使わず、ブロンズの凹凸だけで絵画的表現を成し遂げるのは、メダイユ彫刻家の優れた芸術的感覚と超絶的な技術のみがなせる業です。
プラケットは均一なパティナに被われ、経年を感じさせる美しいコンディションです。突出部分にも磨滅は無く、その他の特筆すべき問題もまったくありません。
本品の裏面左上部には、「アンドレ」(Andrée) という女児名と、誕生あるいは洗礼の日付(1913年11月28日)が刻まれています。
1913年11月28日は、第一世界大戦が始まるちょうど九か月前です。人類史上初の世界大戦となったこの戦争は、フランスの国土に空前の惨禍をもたらし、戦争孤児や戦災孤児、戦争寡婦が国じゅうにあふれました。一歳の誕生日を戦時下で迎えたこの女の子が、両親の愛に守られて無事であったことを祈らずにはいられません。