稀少品 ポンマンの希望の聖母 1934年7月24日 戴冠記念の大型シャプレ キリストと聖母の小メダイ付 全長 68 cm フランス 1934年


全長 68 cm

クルシフィクスを下にしてロザリオを吊り下げたときの、ロザリオ上端からクール上端までの長さ  43 cm


主の祈りと栄唱のビーズの直径 8.5 mm

天使祝詞のビーズの長径 9 mm  短径 7 mm


クルシフィクスのサイズ 40.4 x 23.3 mm (突出部分を含む)

クールの直径 14.0 mm (突出部分を除く)


六枚の小メダイユの直径 11.0 mm (突出部分を除く)


フランス  1934年



 1930年代のフランスで制作されたシャプレ・ド・ラ・ヴィエルジュ(聖母のロザリオ)。いまから八十三年前の 1934年7月24日、ポンマンの聖母が戴冠した際に制作された品物と思われます。全長六十八センチメートルという大きめのサイズで、ビーズは古いプラスティクス製です。ところどころに取り付けられた六枚の小メダイユが、フランスの古いシャプレの特徴を留めています。





 本品のクルシフィクスには、二本の横木を有する特徴的な十字架が採用されています。総主教十字は二本の横木を有しますが、本品の十字架は総主教十字と異なり、縦木が上部の横木よりも上に突出しません。また上部の横木にはフランス語で「ジェジュ=クリ」(仏 JÉSUS-CHRIST イエス・キリスト)の文字が刻印されています。

 このクルシフィクスは、1871年1月17日、フランス北西部のペイ・ド・ラ・ロワール地域圏マイエンヌ県にある人口数百人の小村ポンマン(Pontmain)で、村の子供たちに対して出現した聖母マリア、ノートル=ダム・デスペランス(Notre-Dame d'Espérance 希望の聖母)がその手に持ち、胸の前に掲げていたものです。本品のクルシフィクスは金属製で、色が塗られていませんが、ポンマンに出現した聖母が持っていたクルシフィクスは赤色で、最上部の横木のみが白でした。





 本品のクルシフィクスは銀灰色の金属でできた幅広の十字架に、打ち出し細工による同素材のコルプス(キリスト像)を鑞付け(ろうづけ 溶接)しています。十字架の裏面には「ポンマンにおける聖処女出現 1871年1月17日」(apparition de la Sainte Vierge à Pont-main, 17, janvier 1871)の文字がフランス語で記されています。

 1871年1月17日は、普仏戦争が実質的に終結する五日前です。フランスの西端に近いポンマンまでプロイセンが侵攻していたことからもわかるように、普仏戦争はプロイセンの圧倒的勝利に終わりました。十九世紀後半は「悔悛のガリア」(GALLIA PŒNITENS)の時代で、信仰深い人々の目から見れば、普仏戦争の敗北とコミューンの内乱も、フランスがその罪ゆえにわが身に招いた破滅に他なりませんでした。しかしながらポンマンから出征した若者たちは、村に出現した聖母の言葉通りに全員が無事に復員し、村の母親たち、恋人たち、近親者たちを安堵させました。数ある村々の中から聖母がなぜポンマンを選んで現れ給うたのかは不明ですが、ある民族全体が集団の罪によって災厄に投げ込まれるような状況にあっても、聖母は一人ひとりに慈愛を注ぎ給うことが分かります。





 本品にはクール(cœur センター・メダル)以外にも六枚の小さなメダイユが使用されています。 クールの直径は 14.0ミリメートル、六枚の小メダイユはクールよりも一回り小さくて、直径 11.0ミリメートルです。六枚の小メダイユは同じ意匠で、一方の面にはキリストの横顔を、もう一方の面には若きマリアの横顔を、丁寧な浮彫で表しています。

 本品のビーズは何らかの種類のプラスティクス製で、主の祈りと栄唱のビーズは艶があり、直径約 8.5ミリメートルの球形で、同心円状の装飾的な模様が刻まれています。天使祝詞のビーズは艶の無い黒で、長径 9ミリメートル、短径 7ミリメートルの樽型です。ビーズは重量感があり、安っぽさは全くありません。





 上の写真に写っている定規のひと目盛りは、一ミリメートルです。向かって左に大きく写っているのはクール(センター・メダル)で、表(おもて)面にはポンマンの聖母の立ち姿が浮き彫りにされています。星をちりばめた青い衣を着、赤い線の入った金冠を被った聖母は、本品と同じクルシフィクスを捧げ持ち、伏し目がちにやや悲しげな表情を見せています。聖母に執り成しを願うフランス語の祈りが、浮き彫りの周囲にきざまれています。

  Notre-Dame de Pontmain, priez pour nous.  ポンマンの聖母よ、われらのために祈り給え。





 クールの裏面にはポンマンの村に建つバシリカが表され、「ポンマン巡礼記念」(souvenir de Notre-Dame de Pontmain)の文字が取り囲んでいます。

 六枚の小メダイユは、上の写真でクールの右側に二枚が写っています。イエスと聖母の顔の高さはいずれも二、三ミリメートルですが、たいへん小さなサイズであるにもかかわらず、大型の浮彫彫刻に引けを取らない優れた出来栄えです。マリアは受胎告知を受けたときの少女の姿で、イエスは公生涯における大人の姿で、それぞれ表されています。イエスの後光は聖母の後光よりもずっと大きく、十字架の形が浮き出ています。





 教皇ピウス十二世 (Pius XII, 1876 - 1958) はポンマンの聖母の像が金の冠を戴冠すべきことを宣言し、1934年7月24日に戴冠式が行われました。本品はその記念に制作されたものと思われます。


 二十世紀に入ってからのポンマンには、第一次世界大戦中の 1914年から 1918年の間、中央同盟国側(ドイツ、オーストリア、オスマン=トルコなど)の捕虜収容所がありました。またポンマンの聖母戴冠の前年である 1933年は、ヒトラーがドイツの首相になった年です。聖母戴冠の九日後である 1934年8月2日にヒンデンブルク大統領が死去すると、首相であったヒトラーは大統領の権限も自らのものとし、ナチの暴走に一切の歯止めが利かなくなります。数年後に第二次世界大戦がはじまると、ドイツは普仏戦争のときと同様にたちまちにしてフランスを屈服せしめ、フランスは再びドイツに占領されることになります。

 十字架上に受難し給うたイエスも、マーテル・ドローローサなる聖母も、人々が世代を超えて戦いを繰り返す地上の様子を、どれほどの悲しみを以て見ておられることでしょうか。





 本品はいまから八十年以上も前のアンティーク品ですが、古い年代にもかかわらず、保存状態はたいへん良好です。クルシフィクス、クール、小メダイ、ビーズのいずれにも、特筆すべき問題は何もありません。チェーンの強度にも問題はありません。

 ルルドの聖母のシャプレ(ロザリオ)は常にたくさん作られ続けていて、種類を選ばなければ容易に見つけることができます。しかしながらポンマンの聖母のシャプレはたいへん珍しく、滅多に手に入れることができません。筆者(広川)はフランスのシャプレを長年に亙って扱っていますが、ポンマンの聖母のシャプレを目にするのは、本品でようやく二点目です。





35,800円

電話 (078-855-2502) またはメール(procyon_cum_felibus@yahoo.co.jp)にてご注文くださいませ。




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