カット・クリスタルがきらめく美麗品 生命の緑と聖性の微光のシャプレ 緑色ビーズの珍しい作例 全長 42 cm フランス 二十世紀中頃または後半


環状部分の周の長さ 56 cm

全長 42 cm


ビーズの直径  5 ~ 5.5 mm


突出部分を含むクルシフィクスのサイズ 34.0 x 25.5 mm

クルシフィクスの最大の厚み 2.4 mm


突出部分を含むクールのサイズ 13.9 x 11.8 mm




 二十世紀中頃または後半のフランスで制作されたシャプレ(仏 chapelet ロザリオ)。金属部分に良質の金めっきが施されています。ビーズは緑色のクリスタル・ガラス(鉛ガラス)製で、金属部分のイエロー・ゴールドと華やかな対比を見せています。クルシフィクスのキリスト像、及びクール(センター・メダル)のマリア像は、いずれも二十世紀中頃の作品らしい特徴がみられます。ロザリオの全長は 42センチメートル、環状部分の周の長さは 56センチメートルで、金具を付加せずにネックレスとして使うことはできません。





 本品クルシフィクスの十字架はタウ十字に近いラテン十字で、幅のある輪郭線の内側に、青海波を思わせる文様が並びます。ティトゥルス(羅 TITULUS 罪状書き)は十字架と一体成型されています。コルプス(羅 CORPUS キリスト磔刑像)も十字架と一体成型されていますが、一見したところ別作して取り付けたかのように立体的です。

 イエス・キリストの顔立ちや背格好についてイエスと同時代の証言は残らず、教父時代に遡る証言も互いに矛盾していて、イエスが実際にはどのような外見の人物であったかは全くわかりません。後世の聖画像に造形されるキリストは多くの場合美丈夫ですが、本品のキリストは肋骨が浮き出て腕と脚も細く、イーゼンハイム祭壇画中央パネルの磔刑像を思い起こさせます。




(上) イーゼンハイム祭壇画中央パネル(部分)


 キリスト教は非常に特異な宗教です。イエスが十字架に架かっておられる御姿を、我々は普段からさまざまな図像で見慣れていて、それが普通のことであるように錯覚しています。しかしながら旧約時代から待望された救世主が王の位に就くのではなく、重罪を犯した非ローマ市民にのみ適用される方法で処刑されたのです。これを現代に当てはめれば、拘置所で絞首索からぶら下がっている刑死者を、救世主として崇(あが)めるようなものです。ローマ帝国が内憂外患に悩まされずに繁栄を謳歌していた時代に、まともなローマ市民たちがキリスト教を淫祠邪教と看做して嫌悪したのも無理はありません。

 下の写真はローマで見つかった「アレッサメーノの落書き」で、二世紀頃のものと考えられています。この落書きでは向かって左下に描かれたキリスト教徒(アレクサメノスという名前の男性)が、十字架上の驢馬を礼拝しており、「アレクサメノス・セベテ・テオン」(希᾿Αλεξάμενος σέβετε θεόν 「アレクサメノスが神を拝んでいるところ」)と書き殴られています。


 Il graffito di Alessameno


 しかしながらキリスト者は自らの信仰の特異性に気付いていないのではなくて、キリスト教が尋常の宗教でないことを分かったうえで、イエスを救世主と信じているのです。イエスを救世主と信じるソフィアー(希 σοφία 智慧)に関連し、使徒パウロは「コリントの信徒への手紙 一」 二章六節から十二節において次のように語っています。ギリシア語テキストはドイツ聖書協会のネストレ=アーラント二十六版、日本語訳は新共同訳によります。


     6Σοφίαν δὲ λαλοῦμεν ἐν τοῖς τελείοις, σοφίαν δὲ οὐ τοῦ αἰῶνος τούτου οὐδὲ τῶν ἀρχόντων τοῦ αἰῶνος τούτου τῶν καταργουμένων: 7ἀλλὰ λαλοῦμεν θεοῦ σοφίαν ἐν μυστηρίῳ, τὴν ἀποκεκρυμμένην, ἣν προώρισεν ὁ θεὸς πρὸ τῶν αἰώνων εἰς δόξαν ἡμῶν: 8ἣν οὐδεὶς τῶν ἀρχόντων τοῦ αἰῶνος τούτου ἔγνωκεν, εἰ γὰρ ἔγνωσαν, οὐκ ἂν τὸν κύριον τῆς δόξης ἐσταύρωσαν. 9ἀλλὰ καθὼς γέγραπται, Ἃ ὀφθαλμὸς οὐκ εἶδεν καὶ οὖς οὐκ ἤκουσεν καὶ ἐπὶ καρδίαν ἀνθρώπου οὐκ ἀνέβη, ἃ ἡτοίμασεν ὁ θεὸς τοῖς ἀγαπῶσιν αὐτόν. 10ἡμῖν δὲ ἀπεκάλυψεν ὁ θεὸς διὰ τοῦ πνεύματος: τὸ γὰρ πνεῦμα πάντα ἐραυνᾷ, καὶ τὰ βάθη τοῦ θεοῦ. 11τίς γὰρ οἶδεν ἀνθρώπων τὰ τοῦ ἀνθρώπου εἰ μὴ τὸ πνεῦμα τοῦ ἀνθρώπου τὸ ἐν αὐτῷ; οὕτως καὶ τὰ τοῦ θεοῦ οὐδεὶς ἔγνωκεν εἰ μὴ τὸ πνεῦμα τοῦ θεοῦ. 12ἡμεῖς δὲ οὐ τὸ πνεῦμα τοῦ κόσμου ἐλάβομεν ἀλλὰ τὸ πνεῦμα τὸ ἐκ τοῦ θεοῦ, ἵνα εἰδῶμεν τὰ ὑπὸ τοῦ θεοῦ χαρισθέντα ἡμῖν:     しかし、わたしたちは、信仰に成熟した人たちの間では知恵を語ります。それはこの世の知恵ではなく、また、この世の滅びゆく支配者たちの知恵でもありません。わたしたちが語るのは、隠されていた、神秘としての神の知恵であり、神がわたしたちに栄光を与えるために、世界の始まる前から定めておられたものです。この世の支配者たちはだれ一人、この知恵を理解しませんでした。もし理解していたら、栄光の主を十字架につけはしなかったでしょう。しかし、このことは、「目が見もせず、耳が聞きもせず、人の心に思い浮かびもしなかったことを、神は御自分を愛する者たちに準備された」と書いてあるとおりです。わたしたちには、神が“霊”によってそのことを明らかに示してくださいました。“霊”は一切のことを、神の深みさえも究めます。人の内にある霊以外に、いったいだれが、人のことを知るでしょうか。同じように、神の霊以外に神のことを知る者はいません。わたしたちは、世の霊ではなく、神からの霊を受けました。それでわたしたちは、神から恵みとして与えられたものを知るようになったのです。
(Nestle-Aland 26. Auflage) (新共同訳)





(上) アンティーク・フォトグラヴュア ルイ・ソゼ作 「殉教する愛娘を励ますキリスト教徒」 202 x 250 mm 1880年代 当店の商品です。


 トマス・アクィナスは「スンマ・コントラ・ゲンティーレース」("SUMMA CONTRA GENTILES" 「対異教徒大全」)第一巻第六章で次のように述べています。ラテン語テキストは 1874年のルドヴィクス・ヴィヴェス書店版、日本語訳は筆者(広川)によります。


     Quibus inspectis, praedictae probationis efficacia, non armorum violentia, non voluptatum promissione, et, quod est mirabilissimum, inter persecutorum tyrannidem, innumerabilis turba non solum simplicium sed etiam sapientissimorum hominum ad fidem christianam convolavit; in qua omnem humanum intellectum excedentia praedicantur, voluptates carnis cohibentur, et omnia quae in mundo sunt haberi contemptui docentur.    武器の暴力に曝されても、さまざまな快楽の約束を与えられても、また最も驚くべきは迫害者たちの暴虐の中にあっても、教養無き者たちのみならず、最も知恵ある人々までもが数えきれない群れとなってキリスト教信仰へと馳せ参じた。キリスト教信仰においては、人間の知性全体を超越する諸々の事柄が明らかにされ、現世のさまざまな快楽が制御され、地上にあるすべての事物が蔑まれるべきであると説かれる。
     Quibus animos mortalium assentire et maximum miraculorum est, et manifestum divinae inspirationis opus, ut, contemptis visibilibus, sola invisibilia cupiantur.
   死すべき者たちの魂がこれらのことに賛同するのは驚くべき諸事のうちの最大事である。可視的諸事物が蔑(さげす)まれ、不可視のものだけが欲せられるのは、神による示し(イーンスピラーチオー)の明らかな御業(みわざ)である。
         
      (Thomae Aquinatis "SUMMA CONTRA GENTILES" Liber I, Caput VI)   トマス・アクィナス 「対異教徒大全」 第一巻第六章より



 ロザリオは聖ドミニコの時代に使われ始めたものです。またイエス・キリストの写実的図像化はシリア東部ドゥラ・エウロポス(Dura Europos)における三世紀初め頃の作例が知られていますが、ほとんどの地域においてはさらに数世紀を経るまで、キリストは図像化されなかったと考えられます。したがって本品のキリスト磔刑像を、古代人が馴染んだイメージと呼ぶことはできません。しかしながらキリストを頼もしく惚れ惚れするような美丈夫として表現せず、むしろ見すぼらしい痩躯の刑死者として描いた本品の像は、キリスト教が公認される以前の強大なローマ帝国に生きつつも、現世を超えたところに救いを求めた当時のキリスト教徒たちが、自分たちに寄り添ってくれる方として心に描いた「愛の人」の姿です。そしてこの方が救い主であると知ることこそ、パウロが言う「隠されていた、神秘としての神の知恵」(希 θεοῦ σοφίαν ἐν μυστηρίῳ, τὴν ἀποκεκρυμμένη)であり、トマスが言う「神による示し」(羅 DIVINA INSPIRATIO)、サピエンティア(羅 SAPIENTIA 智慧)なのです。





 フランス語でクール(仏 cœur 心臓、ハート)と呼ばれるセンター・メダルは、聖母マリアが祈る姿を浮き彫りにし、アール・デコ風の枠で囲みます。マリアの姿はミニマリスティックに簡略化されつつも、たいへん丁寧に彫られています。

 祈りは神との対話であり、神による救いを受け容れる信仰の象徴です。公教会がマリアに高い地位を与えるのは、救済史における聖母マリアの役割を重視するからです。すなわち神は救いを強制せず、マリアは「お言葉通り、この身に成りますように」と答えることで、自由意思によって救いを受け容れたのです。それゆえ本品のクールはマリアの信仰を象徴します。


 一方環状部分のビーズは、救いを受け容れたマリアの信仰から帰結するものを象徴します。なぜならマリアが彫られたクールは心臓であるならば、環状部分のビーズは心臓に賦活されつつ循環する血液に他ならないからです。

 本品のビーズは美しい緑色で、良質のクリスタル・ガラス(鉛ガラス)でできています。クリスタル・ガラスは硬度が低いので、チェーン金具の端に擦れて瑕(きず)が付かないように、一つひとつのビーズの前後が金属製の小さな環で保護されています。多数のファセット(小面)は鋳型によるものではなく、宝石と同様のカッティングによります。多数のファセットを正確にカットすることで、屈折率が大きいクリスタル・ガラスの特性が発揮され、ビーズはキラキラと瞬くような輝きを発しています。





 本品はフランスで制作されたシャプレですが、パリのアウグスチノ会修道院(勝利の聖母の修道院)の修道士であり、系図学者でもあった跣足アウグスチノ会のアンセルム神父(père Anselme de Sainte-Marie, 1625 - 1694)は、1686年に出版された紋章学の著書「名誉の宮殿」("Le palais de l'honneur, ou La science héraldique du blazon")において、大司教及び司教の紋章にあしらわれる帽子の緑色(仏 sinople)を次のように説明しています。日本語訳は筆者(広川)によります。

     Les Archeuesques, portent vn chapeau de sinople, auec des cordons de soye verte entre-lassés, se terminans en quatre houppes de chaque costé, ils portent aussi vne croix trefflée, qui est sous le chapeau, qui couure auec ses grands bords l'escu.     大司教の紋章は緑の帽子を戴く。帽子からは緑の絹紐が出て交錯し、右側と左側のそれぞれの端が四つずつの房となる。帽子の下には末端がクローヴァー形になった十字架が置かれる。帽子の縁は広く、下部の盾形紋章を覆う。
         
     Les Euesques, portent aussi le chapeau de sinople (pour ce qu'estans establis comme Bergers sur les Chrestiens, cette couleur denote les bons pasturages, où les sages Bergers menent paistre leur brebis, & est symbole de la bonne doctrine de ces Prelats) auec des cordons pendans, comme ceux des Archeuesques, qui se terminent en trois houppes, ils portent aussi vne crosse sous leur chapeau, qui est le baston Pastoral.     司教の紋章も緑の帽子を戴く。これは司教が信徒たちの牧者の地位にあるからである。緑は良き牧草地を表す。賢明な牧者は羊たちを良き牧草地へと導く。それゆえ司教の紋章の緑は、司教の良き教えを象徴するのである。緑の帽子からは、大司教の紋章におけると同様に、緑の紐が下がり、右側と左側のそれぞれの端は三つずつの房となる。帽子の下には司教杖があしらわれるが、これは牧者の杖である。




(上) 傷ついた羊を助ける聖母のカニヴェ。当店の販売済み商品


 すなわちアンセルム神父によると、緑は良き牧草地にも譬えられる良き教えを表します。聖母はキリスト者の援け手(羅 AUXILIUM CHRISTIANORUM)であり、女牧者として図像に表されることも多くあります。したがって良き牧草地を象徴する緑は、キリスト者の援け手である聖母のシャプレにふさわしい色であるといえます。





 上の写真は本品を男性店主の手に乗せて撮影しています。女性が本品の実物をご覧になれば、写真で見るよりもひと回り大きなサイズに感じられます。

 本品はフランスで制作された真正のヴィンテージ品(アンティーク品)ですが、新品時と変わらない良好な保存状態です。緑色は典礼色の一つですが、この色のビーズを使ったシャプレは珍しい作例です。華やかに調和する金色と緑色は視覚的に美しいのみならず、キラキラと光るカット・クリスタルの緑は生命の輝きそのものを思わせ、半艶消しの金色はマリアを柔らかく包む聖性の微光を髣髴させます。





本体価格 19,500円 販売終了 SOLD

電話 (078-855-2502) またはメール(procyon_cum_felibus@yahoo.co.jp)にてご注文くださいませ。




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