稀少品 ドメニキーノ 「聖セシリア」 エフライム・コンキによる全面エングレーヴィング 細密かつ美麗な作品 ロンドン、J. S. ヴァーチュー 1850 - 60年代頃

St. Cécile ou "Praise ye the Lord"



原画の作者  ドメニキーノ (Domenico Zampieri, 1581 - 1641)

版の作者  エフライム・コンキ (Ephraïm Conquy, 1808 - 1843)


画面サイズ  縦 241 mm  横 187 mm



版元  ロンドン、J. S. ヴァーチュー (J. S. Virtue and Co., London)



 ドメニコ・ザンピエリ、通称ドメニキーノは 1581年にボローニャで生まれ、当地でロドヴィコ・カラッチ(Lodovico Caracci, 1555 - 1619)の弟子となりました。当時ローマではアンニバーレ・カラッチの指揮の下、ファルネーゼ宮の造営が進んでいましたが、若きドメニキーノは 1602年、ボローニャの他の画家たちとともに彩管を揮いました。その後ドメニキーノはローマの美術界でも最も重要な存在となり、数々の事業に関わっています。

 ドメニキーノはバロックの画家に属しながらも抑制のきいたクラシカルな画風が特徴で、ニコラ・プッサン(Nicolas Poussin, 1594 - 1665)やクロ-ド・ロラン(Claude Lorrain, c. 1600 - 1682)に大きな影響を及ぼしました。





 本品はドメニキーノの作品を元に十九世紀前半のフランスで版を制作し、十九世紀半ばのイギリスで刷られたインタリオ(伊 intaglio 凹版)です。ドメニキーノは古代キリスト教会時代の殉教者にして処女、ローマの聖セシリアを、多数の天使たちとともに描いています。

 聖女セシリアの名前は、ラテン語でサンクタ・カエキリア(SANCTA CÆCILIA)、イタリア語でサンタ・チェチリア(Santa Cecilia)、フランス語でサント・セシル(Sainte Cécile)、英語でセイント・セシリア(Saint Cecilia)、ドイツ語でザンクト・ツェツィーリア(Sankt Cäcilia)です。聖セシリアは古代キリスト教時代の殉教者として最も崇敬されている聖人の一人で、早くも四世紀にはローマにおいて祝日が定められていました。「レゲンダ・アウレア」にも収録されてよく知られている聖セシリア殉教伝は、五世紀中頃まで遡ることができます。

  「レゲンダ・アウレア」よりも少し後の十四世紀になると、聖セシリアはオルガンと共に描かれるようになります。これは聖セシリアの祝日である11月22日の聖務日課(修道院で行われる定時の祈り)のうち、朝課(午前三時の祈り)の際に唱えられる次の一節に由来します。 日本語訳は筆者(広川)によります。
         
      CANTANTIBUS ORGANIS CAECILIA VIRGO IN CORDE SUO SOLI DOMINO DECANTABAT DICENS, FIAT, DOMINE, COR MEUM ET CORPUS MEUM IMMACULATUM, UT NON CONFUNDAR.     オルガンが鳴り響く中、おとめカエキリアは心の中で主にのみ向かって祈り、次のように言った。主よ。私の魂と体を汚れ無きものとしてください。私が恥を見ることが無いように。(広川訳)
         
  この祈りはもともと「詩篇」119篇80節を敷衍(ふえん)したものです。「詩篇」119篇80節をヴルガタ訳により引用します。日本語は新共同訳によります。
         
      FIAT COR MEUM IMMACULATUM IN JUSTIFICATIONIBUS TUIS, UT NON CONFUNDAR.     わたしの心があなたの掟に照らして無垢でありますように。そうすればわたしは恥じることがないでしょう。(新共同訳)





(上) Raffaello, "L'Estasi di santa Cecilia", c. 1514, olio su tavola trasportata su tela, 236 x 149 cm, Pinacoteca Nazionale, Bologna


 上に引用した聖務日課の冒頭にある「オルガンが鳴り響く中」(CANTANTIBUS ORGANIS)の部分は、ラテン語文法で「絶対的奪格」(ablativus absolutus) と呼ばれる句です。ラテン語の絶対的奪格は近代語の分詞構文にあたり、たとえば英訳すると "organs singing" あるいは "with the organs singing" の意味です。したがってオルガンを演奏しているのが聖セシリアとは限らないのですが、視覚に訴える美術が文字よりも格段に有力であった中世において、誤解に基づく作品がいったん制作されると、聖セシリアが音楽の守護聖人になるのは、半ば必然の成り行きでした。こうして音楽を担当することになった守護聖人聖セシリアは、オルガンのみならず、ヴィオール属をはじめ様々な楽器とともに描かれるようになりました。

 上の写真はボローニャの国立美術館が収蔵する祭壇画の大作「聖セシリアの脱魂」("L'Estasi di santa Cecilia")で、ラファエロ・サンツィオによります。絵の中心に描かれた聖セシリアは、携帯用オルガンを手に立っています。携帯用オルガン(伊 organo portativo, organetto 仏 orgue portatif)はふいごを左手で動かしながら、右手で聖歌を奏でることができ、音楽の象徴として絵画によく登場します。

 聖女の足許には多数の楽器がありますが、よく見るとどれも壊れています。音楽は束の間しか続かないゆえに、音楽を象徴する楽器はメメントー・モリーのひとつです。ラファエロは壊れた楽器を描くことにより、天上に目を向け、天使たちが奏でる音楽に耳を傾ける聖女が、地上における感覚の楽しみ、ひいてはあらゆる地上の楽しみを棄てていることを表現しています。

 聖セシリアの左(向かって右)、司教杖を持つ男性は、ヒッポ司教聖アウグスティヌスです。ラファエロの原画はボローニャのアウグスチノ会の教会にある聖チェチリア礼拝堂のために注文された祭壇画ですので、聖セシリアとともに、聖アウグスティヌスも欠かせない人物です。しかしながら、この祭壇画がアウグスチノ会の教会に納められたという経緯とは別に、聖アウグスティヌスはルネサンス期の知識人に絶大な人気があったゆえに、キリスト教史における最も重要な人物のひとりとして、ラファエロのこの作品に描かれているとも考えられます。ヒッポ司教アウグスティヌスは卓越した知性の持ち主であり、優れた古典的教養とキリスト教的霊性を併せ持つヘレニズム・キリスト教的ソフィア(叡智)の体現者です。それゆえ聖アウグスティヌスは、ルネサンス期のユマニストや芸術家たちの間で、教父時代以降のキリスト教史における誰よりも偉大な人物と考えられていたのです。

 画面右端の女性はマグダラのマリアです。マグダラのマリアは原始教会において使徒に準じる地位を有していた重要な人物です。この作品において、マグダラのマリアはナルドの香油の壺を左手に持っています。マリアの豊かな髪は、キリストの花嫁であることを示す純白のヴェールに被われています。





 ドメニキーノの原画に基づく本品では、聖セシリアはヴァイオリンを持っています。ドメニキーノは十六世紀後半から十七世紀前半に生きた人ですから、セシリアが絵の中で持っているのはバロック・ヴァイオリンです。絵を見ると分かるように、バロック・ヴァイオリンは近代以降の楽器に比べて指板が短く、ネック角は浅くなっています。顎当ても使いません。またストラディヴァリウスやグァルネリ・デル・ジェスよりも前の時代ですから、表板裏側の力木(バス・バー)は短く、魂柱(こんちゅう)は細く作られています。





 聖女が右手に持つ弓もバロック式です。バロック・ヴァイオリンは楽器本体の弦も、弓の毛も、現代のものほど強く張られません。これらの特徴ゆえに、バロック・ヴァイオリンは小規模の室内楽に適した優しい音が出ます。天使たちの歌声によく調和するのは、やはりバロック・ヴァイオリンでしょう。





 セシリアの周りでは大勢の天使が神を讃えて歌っています。ヴァイオリンを構え、右手には弓を持つ聖セシリアは、演奏を中断して天を仰いでいます。聖女の表情は平常心を失っているようには見えませんが、天に向けた視線はラファエロの「聖セシリアの脱魂」を思い起こさせます。天使に囲まれている聖女の魂は、肉体の生死にかかわらず、すでに天上にあるのでしょう。





 写真術が十分に発達していなかった十九世紀半ばには、絵画の複製は版画によって行われました。当時多く使われた版画の技法には、フォトグラヴュールオー・フォルト(エッチング)グラヴュール(エングレーヴィング)があります。このなかで前二者はそれぞれカメラ・オブスクーラを使う技法、手作業で絵を描く技法ですが、いずれも酸により金属を腐蝕させて製版します。

 これらに比べて格段に技術と労力を必要とするのはグラヴュール(エングレーヴィング)です。グラヴュールにおいては金属を酸で腐蝕させるのではなく、ビュラン(グレイヴァー、彫刻刀)を使って、人間の力で金属板にインク溝を刻んでゆきます。刷りあがった画面の明るい部分にあたる溝には破線、暗い部分は途切れの無い線が刻まれ、特に暗い部分ではクロスハッチでできる菱形の内部に点を刻んでいます。またそれぞれの線の幅と深さを調節することによって、溝に入るインクの量が適正になるように計算し尽くされています。

 上下の写真に写っている定規のひと目盛は、一ミリメートルです。十九世紀のグラヴュール製版がいかに熟練を要する細かい作業であるかがわかります。







 下の写真は天使たちの拡大です。グラヴール(仏 graveur 版画家、エングレイヴァー)は天使の髪の一本一本を丁寧に彫っています。







 グラヴュール(エングレーヴィング)はあまりにも多大な労力を要するため、作品の全面に用いられることは稀で、ほとんどの場合はオー・フォルト(エッチング)と併用されます。しかしながら本品はオー・フォルトを一切使わず、すべての部分がグラヴュールのみによる珍しい作例です。手作業で刻んだ溝で大きな画面を埋め尽くすには、気の遠くなるような労力と人間離れした集中力が必要です。

 本品の版を制作したエフライム・コンキ(Ephraïm Conquy, 1808 - 1843)はマルセイユ生まれのグラヴール(版画家)です。パリで高名なテオドール・リショム(Joseph Théodore Richomme, 1785 - 1849)の弟子となり、肖像画を中心に、人物をテーマにした作品を彫りました。ジャン・カルヴァンの肖像はよく知られています。本品を見ても分かるように、エフライム・コンキは丁寧な仕事ぶりの優れた芸術家でしたが、惜しくも三十四歳で夭折しました。ちなみにエフライム・コンキが 1841年頃に住んでいたパリ、ケ・マラケ三番地の「オテル・ドラ」(Hôtel Dorat, No 3, Quai Malaquais)は、1804年から 1824年まで、地理学者アレグザンダー・フォン・フンボルト(Alexander von Humboldt, 1769 - 1859)の住まいでした。





 本品は百五十年あるいはそれ以上前のアンティーク美術品ですが、良質の中性紙に刷られているために、劣化は一切ありません。金属版グラヴュール(エングレーヴィング)は、1830年代に銅に代わってアシエ(スティール、鋼)に刻まれるようになりました。このため十九世紀のグラヴュールは十八世紀以前のものに比べて格段に手間をかけて美しく彫られており、類稀(たぐいまれ)な精緻さを実現しています。版画の全歴史を通観して、1830年代に始まる六十年間はただ一回だけ訪れたグラヴュールの黄金時代であり、この時代に制作された本品は、たいへん幸運な美術品であるといえます。

 本品は無酸のマットと無酸の挿間紙を使用し、美術館水準の保存額装を施しました。額は木製で、外寸は 30.5 x 39.5センチメートルです。マットは無酸紙でできています。商品価格にはフォトグラヴュール、額、マット、別珍、工賃、税がすべて含まれます。額の色やデザインを変更したり、マットを替えたりすることも可能です。無酸マットに張る別珍(ヴェルヴェット)は青、緑、ベージュ等に変更できますし、別珍を張らずに白や各色の無酸カラー・マットを使うこともできます。


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