アレクサンドリアの聖カタリナ
St. Catherina de Alexandria




(上) Raphael, St. Catherine of Alexandria, c. 1507, oil on wood, 72.2 x 55.7 cm, The National Gallery, London


 アレクサンドリアの聖カタリナ ( St. Catherina de Alexandria, c. 282 - c. 305) は処女にして教父時代の殉教者です。並はずれて優れた知性と美貌を備えていたと言われ、中世以来最も人気がある聖女のひとりです。


【レゲンダ・アウレアにおけるアレクサンドリアの聖カタリナ 1. カタリナの回心】

 ヤコブス・デ・ヴォラギネの「レゲンダ・アウレア」が伝える聖カタリナ伝には多数の時代錯誤があって、史実でないことは一見して明らかですが、その内容は次の通りです。


 皇帝ディオクレティアヌスとマクシミアヌスの時代、帝国内のあちこちで圧政に対する反乱が起こりました。アルメニアの情勢も不穏になったので、コンスタンティウス (Constantius) という若い高官がローマから派遣されました。アルメニアに到着したコンスタンティウスは優れた手腕で反乱を収め、当地の人々の信頼を勝ち得ました。コンスタンティウスはアルメニアの王に乞われて娘と結婚しましたが、その直後に王が亡くなったため、アルメニア王に即位しました。妃はまもなくコストゥス (Costus) という男の子を生みました。

 コンスタンティウスはアルメニアの状況を皇帝に報告するためにローマに戻りましたが、このときブリタンニアに反乱が起こり、コンスタンティウスはブリタンニアに派遣されました。コンスタンティウスはここでも優れた手腕で反乱を収め、王コウル (Cole/Coel) に乞われて娘ヘレナと結婚しました。ヘレナはコンスタンティヌス (Constantinus) という男の子を生みました。コンスタンティウスは妻子を残してまもなく亡くなりますが、息子コンスタンティヌスは祖父コウルを継いでブリタンニアの王になりました。このコンスタンティヌスは、後にローマ皇帝に即位して、コンスタンティヌス大帝と呼ばれることになります。

 いっぽうアルメニアの王子であるもうひとりの息子コストゥスはキプロスの王女と結婚しました。コストゥス王と王妃は優れた人物でしたが、異教徒でした。ふたりの間に生まれた娘カタリナはたいへん美しい子供であるだけでなく、知性においても非常に優れており、自由学芸に通じていました。王は娘のためにたくさんの書斎がある塔を建てさせ、領内で最も優秀な学者たちを雇いましたが、しばらくすると彼らの方がカタリナの弟子になってしまったほどでした。


 カタリナが14歳のとき父王が亡くなり、カタリナが女王に即位しました。即位式の際にひとりの臣下が進み出てカタリナの前に跪き、善き君主であった父王のように国を収め、子孫を残してくれる結婚相手を見つけてくださいという願いを奏上しました。生涯純潔を通す決心であったカタリナは、これに答えて、この幸せな国に敢えて他所から王を迎える必要はありませんと答えました。
 次におじが立ち上がり、カタリナの高貴な血筋、豊かな富、誰よりも優れた知恵、美しい容姿を断絶させないためにもご結婚なさることが必要ですと言うと、カタリナは次のように答えました。「私の結婚相手は血筋、富、知恵、容姿のいずれにおいても私自身に勝らねばなりません。すなわち皆が礼拝するほど高貴な血筋で、その富は誰にも勝り、天使が見とれるほど美しく、処女を母に持つほど清らかで、自身に対して為されたどのような不正をも赦すほど心優しいかたでなければなりません。あなたたちがそのようなかたを見つけたら、私はそのかたと結婚いたしましょう。」

 カタリナは単に結婚を逃れるためにこう言ったのではなく、そのような理想の夫に出会いたいと心から願っていたのでした。カタリナの心はまだ見ぬ夫への愛に燃え、何ものもその炎を消すことはできませんでした。


 このころ、アレクサンドリア近郊の砂漠で30年にわたって苦行を続けるアドリアヌス (Adrianus) という隠者がいました。アドリアヌスが瞑想しながら庵の前を歩いていると、聖母が出現して、次のように命じました。「アレクサンドリアにあるカタリナ女王の宮殿に行きなさい。女王は純潔を守るために母や臣下たちと戦っています。彼女が夫に選んだのはわたしの息子であり、わたしは処女であるということ、また息子は彼女の美を望み、純潔を愛しているということをカタリナに伝えなさい。あなたはカタリナをここに連れて来なさい。彼女はこの宮殿で新しい服に着替えて息子に会い、永遠の契りを交わすのです。」

 アドリアヌスがアレクサンドリアの宮殿に行くと、天使の助けによってすべての門と扉が開いており、アドリアヌスはカタリナがひとりで瞑想に耽っている秘密の書斎にたどりつくことができました。アドリアヌスが理想の夫の使いであると悟ったカタリナは、隠者に従って誰にも知られずに宮殿とアレクサンドリアを後にしました。砂漠に向かう途中、カタリナはアドリアヌスに数多くの質問をし、アドリアヌスはキリストの教えを解き明かしました。

 ふたりは砂漠で道に迷いかけましたが、カタリナが「あなたを遣わした女性が私たちを砂漠で死なせるわけがありません」と言うと、これまで見たことがないような立派な修道院が遠くに見えました。修道院の門にたどりついたふたりは、白い衣を着て白百合の花輪を頭に被った一団に迎えられました。カタリナがそのうちのひとりに案内されて奥に進むと、次の門では紫の衣を着て赤い薔薇の花輪を頭に被った一団に迎えられました。彼ら殉教者たちは、「主はこれまでの誰よりもあなたを歓迎してくださいます。あなたをお待ちになっています。」とカタリナに言い、彼女を聖堂に連れてゆきました。

 聖堂には妙なる調べが流れており、多数の天使、聖人たちに囲まれて、女王なる聖母が立っていました。聖母はカタリナに「娘よ。あなたが宮殿で話していた未来の夫を覚えていますか」と言い、カタリナは「覚えております。主は恵みによって私の眼を開き、道を示してくださいました。私は何よりも夫を愛します。夫がいなければ生きることもできません」と答えました。聖母はこれに答えて「あなたを息子に会わせるには、まず洗礼により新しい衣を着てもらわねばなりません」と言い、アドリアヌスを側に呼んで、カタリナに洗礼を施すように命じました。

 洗礼を受けたカタリナが聖母に伴われて次の間に入ると、そこには天使の軍勢に囲まれたイエズス・キリストがおられました。聖母がイエズスに「主よ。あなたへの愛ゆえに地上の全てを棄てて、わたしの招きに応じたカタリナが来ています。」と言うと、イエズスはカタリナに「妻よ。わたしに手を差し出しなさい」と命じ、その指にリングをはめました。



(上) Correggio, "Mariage mystique de sainte Catherine", vers 1526 - 1527, Huile sur bois, 105 x 102 cm, musée du Louvre, Paris


(下) Pierre Mignard, Mystic Marriage of St. Catherine, 1669, oil on canvas, 134 x 105 cm, Hermitage, St. Petersburg




 結婚式が終わると、イエズスはカタリナに対して次のように言いました。「わたしはもう帰らねばならない。あなたは10日のあいだアドリアヌスの許に留まって、わたしの定めと思いを完全に理解しなさい。アレクサンドリアの宮殿に帰ったら母が亡くなっているが、心配することはない。わたしはあなたの身代わりを宮殿に置いたので、あなたが不在であったことは誰にも気づかれていない。あなたが戻れば身代わりは消える。」次にイエズスはカタリナを祝福し、姿を消しました。カタリナは夫と離れた悲しみのあまり、長い間気を失っていました。アドリアヌスが嘆く声に目を覚ますと、立派な修道院は消え失せており、アドリアヌスの庵があるだけでしたが、指にはイエズスがくれたリングがはまっていました。


【レゲンダ・アウレアにおけるアレクサンドリアの聖カタリナ 2. カタリナの殉教】

 このころ皇帝マクセンティウス (Marcus Aurelius Valerius Maxentius, c. 278 - 312) がアレクサンドリアにやってきました。皇帝はアレクサンドリアでは異教の祝祭を挙行し、神々に犠牲を捧げないキリスト教徒を殺害しようとしていました。

 当時18歳であったカタリナは、これを止めさせるために神殿に出掛け、大勢の人々の前で生贄を捧げようとしている皇帝に対して、人の手で作られた物にすぎない異教の神々を崇める愚を説きました。カタリナはその優れた知性で神の独り子の受肉について論じ、皇帝は反論できませんでしたが、カタリナの美しさに惹かれた皇帝は聖女を手荒に扱わず、自分の宮殿に連れて行かせました。

 神殿から自分の宮殿に帰った皇帝はカタリナと議論しても勝てないことを悟り、異教の優越性を示すために帝国じゅうから最も学識高い50人の学者と弁論家を集めてカタリナと対決させました。学者たちは神が人となって死ぬことはあり得ないと言いましたが、カタリナはプラトンやシビラを引用して議論し、学者たちは彼女に反論できませんでした。皇帝は学者たちに怒りましたが、彼らのうちでも最も学識ある人は皇帝に向かって次のように言いました。「この女性が話すのは神の言葉であり、我々はイエズス・キリストに敵対することができません。我々がこれまで拝んできたものが正しいということを陛下が示してくださらないならば、我々は皆、イエズス・キリストの信徒になります。」

 怒った皇帝は学者たちを火刑に処することにしましたが、カタリナは彼らを勇気付け、彼らは自身の血によって洗礼を受け、天で王冠を得るであろうと言いました。学者たちは勇敢に殉教してゆきましたが、彼らの遺体は火によって損なわれませんでした。


 さて、皇帝はカタリナに対して「お前を私の愛妾にしよう。お前の肖像はアレクサンドリアの街なかに掲げられ、女神として崇拝されるであろう」と言いましたが、カタリナは答えて「それは考えるだけでも汚らわしいことです。私はイエズス・キリストのものであり、イエズス・キリストだけを愛しています。どのような言葉も責め苦も、イエズス・キリストから私を引き離すことはできません。」と言いました。怒った皇帝はカタリナを裸にして鉤付きの鞭で打ったうえ、真っ暗な牢に投獄しました。カタリナは12日のあいだ食事を与えられませんでした。

 皇帝が所用のために国を出ると、皇妃はカタリナに対する愛に捉えられました。皇妃と高官ポルフュリオスがカタリナの牢を訪れると、牢内は光に満たされて、天使がカタリナの傷に香油を塗っていました。カタリナは天国の喜びについて皇妃に語り、皇妃は回心してキリストを信じました。カタリナは皇妃が殉教の栄冠を得るであろうと言い、ふたりは夜中まで語り合いました。カタリナの言葉を聞いたポルフュリオスはカタリナの足下にひれ伏し、彼に従う200名の兵士とともにキリストの信仰を受け入れました。

(下) Francisco de Herrera the elder, St Catherine in the Prison, 1629, oil on canvas




 皇帝の命により、カタリナには12日のあいだ食事が与えられなかったので、キリストは天の食事を白鳩に運ばせました。その後キリストは大勢の天使及び処女たちとともにカタリナに現れて、「この苦しい戦いは造り主のためである。わたしはあなたとともにいる。強くありなさい」と励ましました。

(下) Paolo Veronese (Paolo Caliari), Saint Catherine of Alexandria in Prison, c. 1580/85, oil on canvas, 116.2 x 83.8 cm, The Metropolitan Museum of Art, New York




 帰国した皇帝はカタリナを連れてこさせましたが、飢えと責め苦に衰弱していないのを見て怒り、秘かに食事を与えたであろう獄吏たちを拷問するように命じましたが、カタリナは「イエズス・キリストが天使に命じて私に食事をくれたのです」と答えました。皇帝はカタリナに「よく考えて答えよ。お前を愛妾ではなく皇妃にしてやろう。」と言うと、カタリナは「強く誉れ高く美しい王と、弱く頼りにならず賤しく汚らわしい男と、私はどちらを選べばよいとお思いですか」と答えました。怒った皇帝は「神々に生贄を捧げて生きるか、さまざまな責め苦に遭って死ぬか、どちらかを選べ」と言うと、カタリナは「早く責め苦に遭わせてください。神が私のために血と肉を捧げたもうたように、私も神に血と肉を捧げたいのです。」と答えました。

 ある高官の提案により、カタリナは刃が付いた車輪を組み合わせた恐ろしい刑具で殺されることになりました。カタリナは神が車輪を壊して栄光を現し、人々を回心させてくださるように祈りましたが、果たして天使が車輪を強い力で破壊したので、飛び散った破片に当たって4000人の異教徒が死にました。

(下) Lucas Cranach the Elder, The Martyrdom of St. Catherine, 1504/05, oil on wood, 112 x 95 cm, collection of the Reformed Church, Budapest
クラナッハのこの作品は、アルブレヒト・デューラーのウッド・エングレーヴィングをもとに描かれています。デューラーの画風に近いのはそのためです。




 この様子を見た皇妃が皇帝の残酷さを責めたので、怒った皇帝は皇妃の乳首をむしり取ったうえで斬首することを命じました。皇妃は自分のために祈ってくれるようにカタリナに頼み、カタリナは殉教する皇妃を励ましました。皇妃は城外に連れ出され、ペンチで乳首をちぎられたうえ斬首されました。皇妃の遺体はポルフィリオスによって埋葬されました。

 次の日、皇妃の遺体のありかを知るために、皇帝が人々を拷問にかけようとしたところ、ポルフィリオスは自分が埋葬したことを申し出て、自らのキリスト教信仰を告白しました。右腕と頼む側近ポルフィリオスの裏切りに怒り狂った皇帝は、兵士たちに不満をぶちまけましたが、兵士たちもまたキリスト教徒となったことを告白し、イエズス・キリストのためなら殉教を厭いませんと言いました。皇帝は全員の斬首を命じ、カタリナに対して「魔女よ。皇妃を死に至らせたのはお前だ。それを悔いるならお前を皇妃にしよう。神々に生贄を捧げよ。さもなくば斬首するぞ」と言いましたが、カタリナは「お好きになさい。すべてに耐え忍ぶ覚悟はできています」と答えました。

 皇帝はついにカタリナの斬首を命じました。カタリナが目を天に向けて祈ると、「わたしの許に来なさい、愛しい妻よ。見なさい。天国の門はあなたに対して開かれている。あなたの殉教をほめたたえる者に、わたしは天国の慰めを約束しよう。」という声が聞こえて来ました。

 カタリナが斬首されると、その体からは血ではなくミルクが流れ出しました。天使がカタリナの遺体を取り上げてシナイ山に運び、丁寧に埋葬しました。この骨から流れ出る香油はあらゆる病を癒します。

(下) Il Guercino, Martyrdom of St Catherine, 1653, oil on canvas, 222,5 x 159 cm, The Hermitage, St. Petersburg





【シナイ山の聖カタリナ修道院】

 東ローマ皇帝ユスティニアヌス1世 (Flavius Petrus Sabbatius Iustinianus, 483 - 565) は、カタリナの遺体が天使によって運ばれたとされるシナイ山の、「燃ゆる灌木」跡を見上げる場所に、聖カタリナ修道院を設立しました。シナイ山の聖カタリナ修道院は現在も機能している世界最古の修道院で、写本やイコンなどキリスト教美術の宝庫として知られています。

(下) シナイ山の聖カタリナ修道院にある最古の「全能者キリスト(クリストス・パンクラトール)」(部分) 6世紀の蝋画 84 x 65.5 cm




【アレクサンドリアの聖カタリナの図像学】

 伝統的な図像表現において、アレクサンドリアの聖カタリナは殉教者の徴であるナツメヤシの葉を手にし、刃のついた車輪と斬首に使われた剣とともに表されます。

(下) Caravaggio, St. Catherine of Alexandria, 1595/96, oil on canvas, 173 x 133 cm, Museo Thyssen-Bornemisza, Madrid




 アレクサンドリアの聖カタリナは女王であったので、図像において、しばしば王冠を被っています。

(下) Domenichino, St. Catherine of Alexandria 1858年のスティール・エングレーヴィング 当店の商品です。




 またアレクサンドリアの聖カタリナは学識があったので、本とともに描かれることも多くあります。

(下) Barna da Siena, The Mystical Marriage of St. Catherine, 1340, tempera on panel, Museum of Fine Arts, Boston




【守護聖人としての聖カタリナ】

 アレクサンドリアの聖カタリナは処女、哲学者、神学者、教育者、法律家、司書の守護聖人です。




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