稀少品 R. ヴィッケル作 「めでたし、十字架よ」 神の愛による受肉と受難のミステリウム アール・ヌーヴォー様式による美術品水準のオラトワール


ヴィッケルによるプラケットのサイズ  縦 95 x 横 60 mm

額全体のサイズ  縦 280 x 横 230 x 厚さ 35 mm  脚を展開したときの奥行 約 150 mm


フランス  1910年頃



 20世紀初頭のフランスで制作されたアール・ヌーヴォー様式のプラケット(長方形のメダイユあるいは浮き彫り作品)。ブロンズで鋳造した作品に銀めっきを掛けています。プラケットは完全なアール・ヌーヴォー様式で、キリストの足台の向かって右下に彫刻家ヴィッケルのサイン (R. Wicker) が彫られています。





 クロスは幅広のラテン十字で、曲線のみで構成された植物的な模様に被われ、交差部の後光はあたかも明滅しつつ弾ける光の粒子でできているかのように見えます。十字架の交差部から発出する愛の光は枝垂れ柳の枝、あるいは藤の花房を連想させる意匠で、日本美術の強い影響を感じさせます。

 十字架の四隅には四つの円形画面が外向きに咲くスズランの花のように配置され、四人の福音記者とそれぞれに対応するテトラモルフ、すなわち「ヨハネと鷲」「ルカと牛」「マタイと人間」「マルコとライオン」が彫られています。











 十字架の基部に上部がアーチとなった小画面があり、後光のある司祭から、同じく後光のある女性が天使に傅(かしず)かれつつ聖体を拝領する光景が刻まれています。

 ここに彫られた後光のある司祭はキリスト、後光のある聖体拝領者は聖母です。聖母はロレトの連祷において「天使たちの元后(げんこう 女王)」(Regina Angelorum) と呼ばれる故に、天使に傅かれています。

 この図像において聖母が聖体を拝領している理由は、受胎告知の際に「お言葉どおり、この身に成りますように」と答え、人間の代表として神から救いを受け容れたからです。このグラヴュール(エングレーヴィング)において聖体を受ける聖母は、「エクレシア」(教会)すなわち全キリスト教徒を象徴しています。聖母ではなく使徒たちをここに刻んでもよかったはずですが、聖母ひとりにエクレシアを代表させたのは、小さな画面の制約ゆえでしょう。





 十字架の基部では二人の天使が顔を覆って悲嘆に暮れ、その下にはラテン語で「オー・クルックス・アヴェ」(O CRUX AVE 「めでたし、十字架よ」の意)の文字が刻まれています。「オー・クルックス・アヴェ」は「十字架の称讃」(EXALTATIO SANCTAE CRUCIS) の聖歌に出てくる言葉です。「十字架の称讃」の最後の二節を引用いたします。日本語訳は筆者(広川)によります。

O Crux, ave, spes unica,
hoc passionis tempore
piis adauge graitiam,
reisque dele crimina.
..  めでたし、十字架よ。ただひとつの望みよ。
この受難の季節に
信仰篤き者どもに更なる恩寵を与え、
罪ある者どもの罪を消し去りたまえ。
Te, fons salutis, Trinitas,
collaudet omnis spiritus:
quos per crucis mysterium
salvas, fove per saecula. Amen.
  救いの源なる三位一体よ。
すべての霊の誉め称うるは御身なり。
御身は十字架のミステリウム(神秘)によりて、われらすべてを
救い、永久(とわ)に愛し護りたまえば。アーメン。



 「十字架の称讃」は神が罪びとを愛し給い、その救いのために受肉して十字架に架かり給うたという人知を絶するミステリウム(神秘)を讃えていることがわかります。





 本品は写実性に富むコルプス(キリスト像)が、二次元的に表現した背景から立体的に突出しています。一見したところ別作のコルプスを鋲で取り付けたように見えますが、実際にはコルプスと背景は一体で鋳造されています。コルプスを別作して取り付ける方が制作しやすいにもかかわらず、ヴィッケルはこの作品を意図的に特異な手法で制作しているのです。





 二次元と三次元をいわばシームレスに(縫い目無しに)連続させた本品の作りは、「人間が生きる世界」と「神」のあいだの隔絶を二次元と三次元の違いで表しつつ、「十字架の称讃」が讃えるミステリウム、すなわちイエズスがこの世界に人として生まれ、十字架に架かり給うたという人知を絶するミステリウムを形象化しているのです。


 我々人間は時間が常に不可逆的に(一定方向にのみ)流れる三次元の世界に住んでいます。宇宙の事象に関する最新の知見では、この世界は十一次元だそうです。しかしながら神の住まう世界は、我々が日常的に体験する世界はもちろん、この宇宙自体を超越しています。

 十三世紀の哲学者トマス・アクイナスは、このことを指して、「被造的知性(人間の知性)が神の本質あるいは属性を認識することは全く不可能である」と言いました("SUMMA THEOLOGIAE", prima pars, quaestio XII, articulus I, et quaestio LXXXVIII articulus I)。それがよくわかる端的な例が、「義なる神が罪を赦す」というまさにそのことです。「ヨハネによる福音書」3章において、イエズスはニコデモに対し、神の義と愛を説いておられます。神は「義」なる御方です。しかるに「義」は不正をあくまでも追及します。ところが「愛」は罪を赦します。したがって「義」と「愛」は鋭く対立し、本来両立するはずのない性質です。しかしながら神においては「義」と「愛」が「義なる愛」「愛なる義」として矛盾なく両立しているのです。人間の知性はこのような事態を理解できません。人間の知性は、神のありのままの姿を、その千億分の一も、千兆分の一も、認識することができないのです。

 我々人間の在り様(よう)からそれほどまでに隔絶した神が、人を愛して受肉し、十字架に架かり給うたことは、キリスト教最大のミステリウムです。このミステリウムに比べれば、処女懐胎も、キリストの復活も、数々の奇跡も、何ら驚くべきことではありません。実際、「奇跡」はラテン語で「ミーラークルム」(単数主格形 MIRACULUM)といいますが、この語は「驚くべき」という形容詞の中性形を名詞化した「ミールム」(MIRUM 「驚くべきこと」の意。単数主格形)の語幹に、指小辞 (-CULUM) が付いた形であり、文字通り訳せば「ちょっとした驚くべきこと」という意味です。神の受肉に比べれば、紅海が分かれても、処女が子供を生んでも、水がワインに変わっても、その他のどのような奇跡も、「ちょっとした驚くべきこと」、「少し珍しいこと」という程度に過ぎません。





 ヴィッケルが背景を敢えて二次元的に表現し、これに対してキリスト像を立体的に突出させた理由は、このミステリウムを表すために他なりません。神は超自然的な方法で人間界に干渉し、ギリシア悲劇における「デウス・エクス・マキナー」(DEUS EX MACHINA 機械仕掛けの神)のように、いわば外側から救いを与えることもできたのに、救いを強制せず、マリアを通してこの世界に生まれ給い、聖都エルサレムの堕落を嘆き、弟子の足を洗い、弟子に裏切られ、十字架上にて救世を達成し給いました。イエズスはどこから見てもひとりの人間であり、実際弟子たちでさえもイエズスを非常に優れた預言者という程度にしか考えず、イエズスが捕縛されたときは全員が逃げ出しました。

 このプラケットにおいてコルプスが背景と一体に作られているのは、したがって、イエズスが人となって十字架上に受難し給うたミステリウムを表しているのです。平板な背景に比べてコルプスの突出があまりにも見事で、別作のコルプスを取り付けていると誤認されるほどのデザインに籠められた深い思想性は、彫刻家ヴィッケルの類い稀な芸術的才能を証明しています。

 浮き彫り彫刻の背景部分が円形のメダイユではなく方形のプラケットとして制作されていることにも意味があります。東洋人になじみ深い「天円地方」の思想は西ヨーロッパにもあって、ロマネスク聖堂、特にその後陣は方形の上に円蓋(ドーム)を乗せた形に建てられています。このような聖堂建築において、方形部分は地上を、円蓋は天上を表します。内部の壁画、天井画に関しても、描かれる領域の区別は厳密に守られ、方形部分には福音書の地上における場面や聖人伝が、円天井には天上の様子が描かれます。キリスト教美術におけるこの伝統は本品においても守られていて、キリスト像を除く背景部分は、二次元的に制作されていることに加え、方形であることによっても、その地上性、あるいは神との隔絶が強調されています。わずかに福音記者とテトラモルフのみが円形の小画面に彫られ、天上との繋がりを暗示しています。





 ヴィッケルはオラトワールのためにこの作品を制作していますが、私が入手した時点ではプラケットのみの状態でしたので、当店において額装いたしました。商品の価格には額装も含まれています。

 このプラケットは百年以上前のフランスで制作された真正のアンティーク品ですが、古い年代にもかかわらず非常に良好な保存状態であり、特筆すべき問題は何もありません。 本来ならば彫刻や図像で表すことが不可能であろうと思われるテーマ、すなわちキリスト教の核心に触れる「受肉」と「受難」のミステリウムを、アール・ヌーヴォーの美しい意匠のうちに見事に形象化した芸術品です。





本体価格 168,000円 販売終了 SOLD

電話 (078-855-2502) またはメール(procyon_cum_felibus@yahoo.co.jp)にてご注文くださいませ。




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