ノートル=ダム・デュ・ピュイと、ノートル=ダム・ド・フランス 長方形のメダイ 21.6 x 12.7 mm


突出部分を含むサイズ 縦 21.6 x 横 12.7 mm

フランス  1910年頃



 聖母マリアの大巡礼地、ル・ピュイ=アン=ヴレにあるふたつの有名な聖母子像、ノートル=ダム・デュ・ピュイ(ル・ピュイの聖母)と、ノートル=ダム・ド・フランス(フランスの聖母)のメダイ。20世紀の初頭頃にフランスで作られたもので、メダイの両面とも丁寧に仕上げられています。





 本品の片面には、ル・ピュイを見晴らす岩山「ル・ロシェ・コルネイユ」の頂上に建てられた巨大な聖母子像、ノートル=ダム・ド・フランス(フランスの聖母)が浮き彫りにされ、「ノートル=ダム・ド・フランス」(Notre-Dame de France フランスの聖母)と書かれています。ノートル=ダム・ド・フランスは、フランスの女王として、ヨハネの黙示録 12章1節にある12の星の冠をその頭上に戴き、球体の上で蛇を踏み砕き、幼子イエズスを抱いた右腕を差し出してル・ピュイの町を祝福しています。

 この大きな聖母子像は、クリミア戦争でフランス軍が捕獲したロシア軍の大砲を融かして鋳造され、 1860年9月12日に奉献されました。聖母の高さは 16メートル、台座を入れると 22.7メートル、聖母に踏み砕かれる蛇の長さは 17メートルもあります。





 もう一方の面には、ル・ピュイ司教座聖堂に安置されている17世紀の黒い聖母、ノートル=ダム・デュ・ピュイが浮き彫りにされています。聖母は幼子イエズスを膝の上に抱いていますが、母子は互いに見つめ合うことなく、正面すなわち像を見る者を直視して、その魂を救いへと導いています。このように正面を直視する様式はロマネスクの聖像の特徴です。ルイ9世 (Louis IX, 1214 - 1270) が寄進した黒い聖母はフランス革命の際に焼却されましたが、司教座聖堂に現在安置されている17世紀のノートル=ダム・デュ・ピュイも、ロマネスク彫刻の流れを汲んでいるということができます。

 聖母と幼子イエズスは共に戴冠し、愛に燃える聖心が聖母の首に掛けられています。聖母子の一体性を強調する様式の衣は、聖母の象徴でもありフランスの象徴でもあるフルール=ド=リス(fleurs-de-lys 百合紋)の豪華な刺繍で埋め尽くされ、天の元后(羅 REGINA CAELI レーギーナ・カエリー、レジナ・チェリ)たる聖母にふさわしい装いです。聖母子の足下に表された雲は、ふたりが天上に上げられて栄光のうちにあることを示します。聖母子を挟んで、「ノートル=ダム・デュ・ピュイ」(Notre-Dame du Puy ル・ピュイの聖母)と書かれています。

 ル・ピュイ=アン=ヴレは中世には大巡礼地でしたが、近世になって巡礼は衰微しました。聖母マリアの巡礼地として往時の勢いを取り戻したのは 19世紀半ばで、1856年2月11日、教皇ピウス9世によって司教座聖堂ノートル=ダム=ド=ラノンシアシオンが小バシリカとされ、さらに 1856年6月8日、教皇ピウス9世の代理であるル・ピュイ司教によってノートル=ダム・デュ・ピュイが 戴冠されたこと、さらにノートル=ダム・ド・フランスの像も建てられたことがきっかけでした。

 教皇ヨハネス15世 (Ioannes XV, + 996) の布告以来、聖金曜日が受胎告知の祝日と一致する年はル・ピュイ巡礼において特別な年とされています。20世紀において聖金曜日が受胎告知の祝日と一致する年は、1910年、1921年、1932年でした。このメダイはこのうちのいずれかの年、おそらく 1910年頃に鋳造されたものであろうと思います。

 本品はおよそ百年前に制作された非常に古いメダイですので、突出部分には摩耗が見られますが、ノートル=ダム・デュ・ピュイの衣の刺繍など、細部もまた識別可能です。品物の年代を考えると、十分に良いコンディションといえます。





本体価格 9,500円

電話 (078-855-2502) またはメール(procyon_cum_felibus@yahoo.co.jp)にてご注文くださいませ。




ノートル=ダム・デュ・ピュイとノートル=ダム・ド・フランスのメダイ 商品種別表示インデックスに戻る

各地で崇敬される聖母のメダイ 一覧表示インデックスに戻る


フランスで崇敬される聖母のメダイ 商品種別表示インデックスに移動する

各地で崇敬される聖母像とイコンのメダイ 商品種別表示インデックスに移動する


聖母マリアのメダイ 商品種別表示インデックスに移動する

メダイ 商品種別表示インデックスに移動する


キリスト教関連品 商品種別表示インデックスに移動する



アンティークアナスタシア ウェブサイトのトップページに移動する




Ἀναστασία ἡ Οὐτοπία τῶν αἰλούρων ANASTASIA KOBENSIS, ANTIQUARUM RERUM LOCUS NON INVENIENDUS