極稀少品 フィリップ・シャンボー作 《幼きイエスと聖顔の聖テレーズ 直径 29.0 mm》 愛と償いの大型メダイユ フランス 1960年代


突出部分を除く直径 29.0 mm  最大の厚さ 3.3 mm  重量 12.9 g



 すっきりと清楚なモダニズム・デザインのメダイで知られるフランスの彫刻家、フィリップ・シャンボー(Philippe Chambault, 1930 - )の作品。二十世紀美術の大きな潮流の一つであるミニマリズムは、古代以来のキリスト教神学と強い親和性を有します。本品は 1960年代のものですが、より後に制作されたものを含め、シャンボーの全作品はミニマリスムの強い影響を受けています。





 メダイの表(おもて)面には、修道女姿のリジューの聖テレーズを正面観で浮き彫りにしています。跣足カルメル会の茶色いヴォワル(仏 voile ヴェール)とアビ(仏 habit ハビット、 修道服)、白いコワフ(仏 coiffe ウィンプル)を身に着けたテレーズは、ほほ笑みを浮かべつつ目を閉じて、救い主と対話しています。

 聖女は開いた祈祷書を両手で胸の前に捧げ持っています。言うまでもなく祈祷書は祈りの象徴です。そして祈りとは神との対話に他なりません。祈りを記した祈祷書も、閉じられた状態では単な紙束に過ぎません。本品においてテレーズの胸の位置で開かれた祈祷書は、テレーズの心が神に向かって開かれ、いままさに神と対話していることを表現しています。





 上の写真は 1897年6月7日に撮影されたものです。テレーズが手に持っている聖務日課書(修道者用の祈祷書)は、挿絵のページが開かれています。挿絵は二枚ありますが、いずれの図柄も本品メダイと同一であり、フィリップ・シャンボーはこの写真をヒントにして、目を閉じて祈るテレーズの浮き彫り像を制作したことがわかります。


 フィリップ・シャンボーの浮き彫りにおいて聖務日課書には文字が書かれず、イエスの姿が浮き出ています。浮き彫りのモデルとなる写真があるにしても、フィリップ・シャンボーは芸術家としてモデルを自由に改変し、たとえば浮き彫りの聖務日課書に文字を彫ることもできたはずです。実際浮き彫りのテレーズは写真とは違って、目を閉じて祈りに沈潜しています。写真はあくまでも制作の契機あるいはヒントに過ぎず、どのような改変も可能でしたが、それでもシャンボーは聖務日課書に文字ではなくイエスの姿を彫っています。

 浮き彫りの聖務日課書が写真と同じくイエスの姿を示している理由としては、この部分を参考写真に倣って写生的に制作したということ、面積が小さくて多くの文字を彫り込めないということ、文字を彫って画面が煩雑になるのを避けたということも挙げられるでしょう。しかしながら最も重要な理由は、テレーズにとって救い主は肌に触れるところにおられたということを、視覚的に表現するために他なりません。





 文字あるいは言葉は思想を保存し伝達する手段です。しかしながらその一方で、言葉を介すると、伝える側と伝えられる側にひとつの隔たりが出来ることも事実です。直接に顔を突き合わせて互いの目を見つめれば、文字の伝達能力をはるかに超える直観、いわゆる以心伝心が可能です。しかしながら言葉あるいは文字を隔てると、書く側と読む側の間には、たとえ低い柵であるとしても、ある種の障壁がどうしても生ずるのです。

 跣足カルメル会では念祷を重視します。念祷とは言葉によらない観想的な祈りであり、神に最も近づくことができる祈りの在り方といえましょう。言葉が本来的に有する上記の欠陥は念祷においてすべて回避され、神との人格的で親密な語らいが実現します。リジューの聖テレーズはアビラの聖テレサを自らの手本としましたが、アビラの聖テレサはその自叙伝で言葉を尽くして念祷の大切さを説いています。フィリップ・シャンボーが祈祷書に文字を彫り込まず、代わりに救い主の姿を彫ったのは、先達聖テレサに倣うリジューの聖テレーズが、イエスと直接的に親密に心を通い合わせる念祷を、魂の糧としたからに他なりません。





 聖テレーズが開く聖務日課書の左側には、イッテンバッハの幼子イエス(仏 l'Enfant Jésus d'Ittenbach)と呼ばれる図像があります。三位一体のマリ修道女(sœur Marie de la Trinité)によってカルメル会パリ修道院にもたらされたことから、この絵は同修道院の所在地(avenue de Messine, Paris メシーヌ通り)にちなみ、メシーヌの幼子イエス(仏 l'Enfant Jésus de Messine)とも呼ばれます。幼子イエスの上には「我はテレサのイエスなり」と書かれています。これはアビラの聖テレサに出現した幼子イエスの言葉と伝えられます。

 メシーヌの幼子イエスは左手で聖心を示し、右手を挙げて祝福を与えています。古来心臓は生命と愛の座であり、愛の炎を噴き上げて燃えるイエスの聖心は、イエスが地上の罪びとを愛して生命を棄て給うたことを表します。




(上) Hans Memling, "Diptychon mit Johannes dem Taufer und der Heilige Veronika, rechter Flügel", um 1470, Öl auf Holz, 32 × 24 cm, The National Gallery of Art, Washington D. C.


 祈祷書の右側にはイエスの聖顔が彫られています。伝承によると、十字架を担いでゴルゴタへの道をたどるイエスに聖女ヴェロニカが布を差し出し、イエスがその布で汗を拭いたところ、イエスの聖顔(ラ・サント・ファス la Sainte Face)が奇蹟によって布に転写されたといわれています。この聖遺物はギリシア語でマンディリオン(希 Μανδύλιον)、ラテン語でスーダーリウム(羅 SUDARIUM 汗拭き、ハンカチ)またはウェロニカエ・ウェールム(羅 VERONICÆ VELUM ヴェロニカの布)と呼ばれ、ヴァティカンのサン・ピエトロのバシリカをはじめ、数か所の聖堂や修道院に伝えられています。

 イエスを十字架で苦しめたことを償おうとする信心において、聖顔は大きな意味を持ちます。トゥールの聖者(仏 Le saint homme de Tours)と呼ばれる尊者レオン・パパン・デュポンは、フランス革命時に破壊されたトゥールの聖マルタンの墓所を再発見したことでも知られますが、聖顔への信心を広めるべく三十年間に亙って教会当局と交渉を続けたことにより、聖顔の使徒(仏 l'apôtre de la Sainte Face)とも呼ばれます。1876年にデュポンが亡くなると、その居宅はトゥール大司教区によって買い取られて改装され、聖顔の小礼拝堂(仏 l'Oratoire de la Sainte Face)とされました。イエスの聖顔への信心は、その後 1885年に、教皇レオ十三世(Leo XIII, 1810 - 1878 - 1903)によって認可されました。





 1849年1月6日、主のご公現の祝日に、ヴァティカンのサン・ピエトロ聖堂でマンディリオンが公開されたとき、拝観に集まった大勢の信徒たちの目の前で、布に転写された救い主の聖顔が突然鮮明度を増し、しかも立体的に浮き出て、救い主の顔を完全に再現するという奇跡が起こりました。上の写真はこのマンディリオンを複製した版画で、聖テレーズの聖務日課書にもこれと同じ版画が掲載されていました。ちなみにレオン・パパン・デュポンの自宅にも同じ版画が掛かっていました。

 テレーズが生きた十九世紀後半のフランスは、悔悛のガリア(羅 GALLIA PÆNITENS)の時代でした。聖テレーズも十二歳のとき、や姉たちとともに聖顔の償い信心会(仏 la confrérie réparatrice de la Ste Face)に入会しています。テレーズは 1888年に跣足カルメル会に入りますが、聖顔への信心は同会においても盛んで、後にアニェス院長となる姉のポーリーヌはテレーズに対し、苦痛にゆがむ聖顔の眼差しの下で生きるよう勧めています。さらにテレーズは、この頃病に倒れた父ルイの顔をイエスの聖顔に重ね合わせ、1889年1月10日に着衣式を迎えると、幼きイエスと聖顔のテレーズ(仏 Thérèse de l'Enfant Jésus et de la Ste Face)を名乗りました。テレーズは「手稿A」に次の言葉を書き残しています。

     La petite fleur transplantée sur la montagne du Carmel devait s'épanouir à l'ombre de la Croix, les larmes, le sang de Jésus devinrent sa rosée et son soleil fut la Face Adorable voilée de pleurs.     カルメル山に移植された小さき花は、十字架の下で咲かなければなりませんでした。イエスの涙、イエスの血が、小さき花の露となりました。涙に覆われた美しき御顔が、小さき花の太陽でした。
     Jusqu'alors je n'avais pas sondé la profondeur des trésors cachés dans la Ste Face, ce fut par vous, Ma Mère chérie, que j'appris à les connaitre.     聖顔のうちに隠された宝の奥深さに、私はそのときまで気付いていませんでした。わが慕わしき御母よ、御身が私にその宝を知らしめ給うたのです。
     Ms A 71r°    


 テレーズの左右にはフランス語でサント・テレーズ(仏 Sainte Thérèse 聖テレーズ、聖テレジア)とのみ刻まれていますが、聖務日課書の幼きイエスと聖顔を以てこの文字を補えば、幼きイエスと聖顔の聖テレーズ(仏 Ste. Thérèse de l'Enfant Jésus et de la Sainte Face)と読むことができます。





 メダイには聖人たちが表されます。しかるにそもそも聖人たちは我々にとって他人に過ぎません。それなのにわれわれが聖人を我々と関わり深い人々と見做し、そのメダイを身に着ける理由は、聖人の魂の在りようが、我々の模範であるからです。全身全霊で救い主を愛する聖テレーズの浮き彫りは、我々自身の魂、信仰、祈りのあるべき姿を表しています。

 メダイユの制作方法には鋳造と打刻の二種類があります。美術品としてのメダイユは常に鋳造されますが、信心具のメダイユ、いわゆるメダイは打刻して作られる場合が多くあります。テレーズのメダイも例外ではなく、ほとんどの作品は打刻によって作られていますが、本品は打刻ではなく鋳造で制作されており、数あるテレーズのメダイユのなかでも芸術性の高い作品に仕上がっています。聖女の右手付近に見えるセ・ペ(CP)の組み合わせ文字は、浮き彫りの作者フィリップ・シャンボーのモノグラム、その下にあるジ・ベ(JB)の組み合わせ文字はソミュールのメダイユ工房ジャン・バルム(la société J. Balme)のモノグラムです。





 筆者(広川)はフランス製メダイユを愛好して、様々なメダユール(仏 médailleurs メダイユ彫刻家)の作品を長年に亙って取り扱ってきました。フランスはメダイユ彫刻がもっとも発達した国で、その頂点は十九世紀末から二十世紀初頭にあると筆者は考えます。しかしながらメダイユ制作のフランス的伝統は、これ以降の時代のメダユールにも確実に受け継がれています。二十世紀のフランスに出たメダユールのうち、フィリップ・シャンボーは最も優れた才能を持つ一人です。それゆえ筆者はこの芸術家に注目し、作品についてもある程度の知識がありますが、このテレーズ像は本品一点しか目にしたことがありません。





 本品は突出部分を除く直径が 29.0ミリメートル、厚さ 3.3ミリメートルとたいへん大きな作品です。12.9グラムの重量は五百円硬貨二枚分弱に相当し、手に取ると心地よい重量を感じます。上の写真は本品を男性店主の手に載せて撮影しています。女性が本品の実物をご覧になれば、写真で見るよりもひと回り大きなサイズに感じられます。







 本品は未販売のままメダイユ店に残っていたヴィンテージの新品ですが、他の物と擦れ合う状態で保管されていたらしく、突出部分のめっきが剥がれてヴィンテージ品にふさわしい味わいが出ています。リジューの聖テレーズ(聖テレジア)のメダイは定形化されたものが多いですが、本品はたいへん珍しいデザインで制作され、類例がありません。一点のみ作られたものではありませんが、古いフランス製メダイユを数多く扱う筆者(広川)でも、同一意匠のメダイは他に見たことがありません。本品はごく少数しか製作されなかったはずです。

 本品の保存状態は良好で、特筆すべき問題は何もありません。保存状態の良し悪しに関わらず、この作品が再入荷することは恐らく無いと思われます。お買い上げいただいた方には必ずご満足いただけます。





本体価格 18,800円 販売終了 SOLD

電話 (078-855-2502) またはメール(procyon_cum_felibus@yahoo.co.jp)にてご注文くださいませ。




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