フランスにおけるアール・デコ 《サント・テレーズ 聖テレジア》 列聖記念の変形プラケット 23.6 x 12.3 mm アンティークならではの作例 1925年頃


 環を除くサイズ 縦 23.6 x 横 12.3 mm

フランス  1925年頃



 リジューの聖テレーズを浮き彫りにした珍しい形のプラケット。プラケット(仏 plaquette)とは円くないメダイのことで、本品は鏃(やじり)のような形をしています。





 テレーズはカルメル会の修道女の服装、すなわち茶色の修道衣、薄茶色のマント、白のウィンプル、黒の頭巾を身に着け、眼差しを真っ直ぐに神へと向けています。聖女はあたかも幼子を抱くかのように愛しげに、クルシフィクスを胸に抱いています。

 受難の象徴であるクルシフィクスは咲きこぼれる薔薇に埋もれています。この薔薇は十字架上の受難において極点に達し、聖女の魂に照り映える神の愛の形象化であると同時に、あたかも力学的な反作用のように、聖女の魂のうちに芽生え、実を結んで神へと向かう愛の形象化でもあります。


 本品の浮き彫りにおいて、放射状の光条として表現された無私の愛は、クルシフィクスではなく、むしろテレーズがその源となっています。無私の愛がテレーズから放射する理由は、神の愛が有する優れた能動性、すなわち愛の対象に働きかける力に求めることができます。無私の愛は、本来的には、神とキリストに発します。しかしながら神とキリストに発する愛は、焼き尽くす火にも譬えられる優れた能動性ゆえに、愛が向かう対象に愛そのものを燃え移らせ、上方へ、すなわち神へと向かわせるのです。





 テレーズと同じカルメル会の聖人、十字架の聖ヨハネ(San Juan de la Cruz, 1542 - 1591)は、「愛の活ける炎」("Llama de amor viva")という韻文作品において、次のように歌っています。日本語訳は筆者(広川)によります。

    Canciones del alma en la íntima comunicación,
de unión de amor de Dios.
神の愛の結びつきについて、
神との親しき対話のうちに、魂が歌った歌
     
    ¡Oh llama de amor viva,
que tiernamente hieres
de mi alma en el más profundo centro!
Pues ya no eres esquiva,
acaba ya, si quieres;
¡rompe la tela de este dulce encuentro!
愛の活ける炎よ。
わが魂の最も深き内奥で
優しく傷を負わせる御身よ。
いまや御身は近しき方となり給うたゆえ、
どうか御業を為してください。
この甘き出会いを妨げる柵を壊してください。
         
    ¡Oh cauterio suave!
¡Oh regalada llaga!
¡Oh mano blanda! ¡Oh toque delicado,
que a vida eterna sabe,
y toda deuda paga!
Matando. Muerte en vida la has trocado.
  やさしき焼き鏝(ごて)よ。
快き傷よ。
柔らかき手よ。かすかに触れる手よ。
永遠の生命を知り給い、
すべての負債を払い給う御方よ。
死を滅ぼし、死を生に換え給うた御方よ。
         
    ¡Oh lámparas de fuego,
en cuyos resplandores
las profundas cavernas del sentido,
que estaba oscuro y ciego,
con extraños primores
calor y luz dan junto a su Querido!
  火の燃えるランプよ。
暗く盲目であった感覚の
数々の深き洞(ほら)は、
ランプの輝きのうちに、愛する御方へと、
妙なるまでに美しく、
熱と光を放つのだ。
         
    ¡Cuán manso y amoroso
recuerdas en mi seno,
donde secretamente solo moras
y en tu aspirar sabroso,
de bien y gloria lleno,
cuán delicadamente me enamoras!
  御身はいかに穏やかで愛に満ちて、
わが胸のうちに目覚め給うことか。
御身はひとり密かにわが胸に住み給う。
善と栄光に満ち給う御身へと
甘美に憧れる心に住み給う。
いかに優しく、御身は我に愛を抱かせ給うことか。





 トマス・アクィナスは「スンマ・テオロギアエ」第1部108問5項 「天使たちの位階には適切な名が付けられているか」("Utrum ordines angelorum convenienter nominentur.") において、燃える天使であるセラフィム(熾天使 してんし)の本性を神に向かう愛であると論じています。この項の異論五に対するトマスの回答のうち、愛の能動性を論じた箇所を、日本語訳とともに示します。訳は広川によります。

    Ad quintum dicendum quod nomen Seraphim non imponitur tantum a caritate, sed a caritatis excessu, quem importat nomen ardoris vel incendii. Unde Dionysius, VII cap. Cael. Hier., exponit nomen Seraphim secundum proprietates ignis, in quo est excessus caliditatis.    第五の異論に対しては、次のように言われるべきである。セラフィムという名前は単なる愛ゆえに付けられたというよりも、愛の上昇ゆえに付けられているのである。熱さあるいは炎という名前は、その上昇を表すのである。ディオニシウスが「天上位階論」第七章において、熱の上昇を内に有するという火の属性に従って、セラフィムという名を解き明かしているのも、このことゆえである。
         
    In igne autem tria possumus considerare. Primo quidem, motum, qui est sursum, et qui est continuus. Per quod significatur quod indeclinabiliter moventur in Deum.
   ところで火に関しては三つの事柄を考察しうる。まず第一に、動き(註1)。火の動きは上方へと向かうものであり、また持続的である。この事実により、火が不可避的に神へと動かされることが示されている。
    Secundo vero, virtutem activam eius, quae est calidum. Quod quidem non simpliciter invenitur in igne, sed cum quadam acuitate, quia maxime est penetrativus in agendo, et pertingit usque ad minima; et iterum cum quodam superexcedenti fervore. Et per hoc significatur actio huiusmodi Angelorum, quam in subditos potenter exercent, eos in similem fervorem excitantes, et totaliter eos per incendium purgantes.    しかるに第二には、火が現実態において有する力、すなわち熱について考察される。熱は火のうちに単に内在するのみならず、外部のものに働きかける何らかの力を伴って見出される。というのは、火はその働きを為すときに、最高度に浸透的であり、最も小さなものどもにまで、一種の非常に強い熱を以って到達するからである。火が有するこのはたらきによって、この天使たち(セラフィム)が有するはたらきが示される。セラフィムはその力を及ぼしうる下位の対象に強力に働きかけ、それらを引き上げてセラフィムと同様の熱を帯びるようにし、炎によってそれらを完全に浄化するのである。
    Tertio consideratur in igne claritas eius. Et hoc significat quod huiusmodi Angeli in seipsis habent inextinguibilem lucem, et quod alios perfecte illuminant.    火に関して第三に考察されるのは、火が有する明るさである。このことが示すのは、セラフィムが自身のうちに消えることのない火を有しており、他の物どもを完全な仕方で照らすということである。


 リジューのテレーズは魂の奥底で神の愛に触れ、愛の火を点じられました。そのためにテレーズの魂はキリストと同化し、無私の愛を噴き上げる聖母の聖心と同様のものになったのです。本品において愛の光条がキリストから出ず、一介の修道女に過ぎないテレーズから放射しているのは、このような理由によります。




(上) Gian Lorenzo Bernini, "L'Estasi di santa Teresa d'Avila", 1647 - 1652, marmo, 350 cm, la Capella Cornaro, Chiesa di Santa Maria della Vittoria, Roma


 本品は珍しいことに鏃(やじり)の形をしています。筆者はこの形を見て、ベルニーニの「アビラの聖テレサの恍惚」を思い浮かべました。アビラのテレサはリジューのテレーズと同じカルメル会の修道女です。修道名「幼きイエスのテレーズ」の「テレーズ」はテレーズ・マルタンの俗名と同じですが、そもそもこの名前はアビラのテレサに由来しています。

 アビラのテレサがイエスの愛に刺し貫かれたのと同様に、リジューのテレーズは幼子イエスの愛に刺し貫かれました。本品の鏃形はテレーズを刺し貫いた幼子イエスの愛の象(かたど)りなのでしょう。





 本品をペンダントとして使うと、胸の上で天上へと向かう矢印の形になります。その様子は燃える魂から発して天上へと立ち昇る炎、《神への愛》の象(かたど)りとなり、愛においてテレーズ・ド・リジューに倣うべきことを思い起こさせてくれます。





 上の写真に写っている定規のひと目盛りは、一ミリメートルです。テレーズの顔は直径二ミリメートルの円に収まりますが、目鼻立ちが整っているのみならず、不易の愛を識った魂の冒すべからざる平和が、穏やかな表情のうちに表現されています。

 本品は鏃に似た珍しい形で、ミアンダー(ギリシアの雷文)と唐草の組み合わせも、信心具には異例の表現です。リジューのテレーズは 1925年に列聖されましたが、本品は列聖のとき、あるいは列聖直後の時期に制作されたものと思われます。1925年はアール・デコ(Art déco)の全盛期であり、その波は信心具のデザインにも及びました。本品はこの分野においてフランスのアール・デコを代表しており、その時代に作られた真正のアンティーク品ならではの一点となっています。





 上の写真は本品を男性店主の手に乗せて撮影しています。女性が実物をご覧になれば、写真よりもひと回り大きなサイズに感じられます。

 本品は九十年以上前のフランスで制作された真正のアンティーク品ですが、古い年代に関わらず良好な保存状態です。フランスのアンティーク・メダイは浮き彫りが繊細で、現代のメダイとは一線を画しますが、これに加えて本品はプラケット(メダイ)全体の意匠が盛期アール・デコ様式に拠っており、二度と制作されることのない「1925年ならではの作品」となっています。レプリカでは決して再現されることがない貴重な作品です。





本体価格 12,600円

電話 (078-855-2502) またはメール(procyon_cum_felibus@yahoo.co.jp)にてご注文くださいませ。




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