極稀少品 マリ=ベルナール修道士作 「幼きテレーズよ、我らのために祈り給え」 未販売の美麗円形メダイユ 直径 18.9 mm フランス 二十世紀半ば


突出部分を除く直径 18.9 mm



 いまから数十年前、二十世紀半ばのフランスで、ソミュールのメダイユ工房ジャン・バルム(Jean Balme)が制作したリジューのテレーズの美麗メダイ。リジューのテレーズやベルナデット・スビルー、聖母をテーマに、数多くの美しい彫刻を制作したトラピスト会士、マリ=ベルナール修道士 Fr. Marie-Bernard (俗名 ルイ・リショム Louis Richomme, 1883 - 1975)の作品です。上部に突出した環にフランス(FRANCE)の文字が刻印されています。





 表(おもて)面には修道女になることを神に祈る十四歳の少女、テレーズ・ド・リジューを浮き彫りにしています。

 1886年、当時テレーズ・ド・リジューはリジューのカルメル会への召命を感じていましたが、父ルイ・マルタン(Louis Martin, 1823 - 1894)や叔父の反対をはじめとするさまざまな障碍を予想して、心を決められずにいました。しかしながら同年12月25日、真夜中のミサで聖体を拝領した後に回心を経験したテレーズは、自身がイエスを愛し、またイエスが人々に愛されるようにするために、修道女になることを決心します。


 十三歳のテレーズ


 テレーズが十四歳であった 1887年3月17日、パリ八区のモンテーニュ通(現、ジャン・メルモーズ通)十七番地で、売春婦とその家政婦および家政婦の娘が惨殺されてダイヤモンドが奪われる事件があり、四日後に犯人アンリ・プランジーニ (Henri Pranzini, 1857 - 1887) が捕まりました。プランジーニは同年8月31日、ラ・ロケット刑務所前でギロチンにかけられましたが、プランジーニの魂の救いを祈っていたテレーズは、翌日の「ラ・クロワ」("La Croix" カトリックの日刊紙)でプランジーニが処刑前にクルシフィクスを抱きしめたという記事を読み、喜びの涙を流しました。テレーズはプランジーニを「私の最初の子ども」と呼びました。


 

(上) レ・ビュイソネの庭でカルメル会集会の許しを父に請うテレーズ。マリ=ベルナール修道士による彫刻を写した 1930年頃の絵葉書。当店の商品です。


 1887年5月29日、十四歳のテレーズは自宅の庭で修道女になる願いを父ルイに打ち明けます。父はテレーズの気持ちを理解し、後見人である叔父イシドールも同意しましたが、リジューのカルメル会のジャン=バティスト・ドラトロエット神父(P. Jean-Baptiste Delatroëtte)の許可が下りません。テレーズは父とともにバイユー・リジュー司教ユゴナン師(Mgr Flavien Hugonin, 1823 - 1898)と面会しましたが、司教からもすぐに許可を得ることはできませんでした。悲しむ娘の姿を見て、父ルイは教皇レオ十三世に直接願い出ることを思い立ち、テレーズを連れてローマに向かいます。1887年11月20日、教皇の謁見を許されたテレーズはその足元に身を投げ、十五歳でカルメル会に入会する許可を求めますが、教皇は長上の指導に従い神の御心に任せるようにと言いました。





 テレーズは失意のうちにリジューに戻りますが、十五歳の誕生日を翌日に控えた 1888年1月1日、ユゴナン司教からカルメル会入会を許可する手紙が届きました。テレーズはすぐにでも入会したがりましたが、カルメル会では少女テレーズが厳冬期に入会することを心配し、4月9日を入会の日に指定しました。1888年4月9日、父に見送られてカルメル会に入会した十五歳のテレーズは、1889年1月10日に着衣式を迎え、1890年12月24日に終生誓願を立てました。

 図像に表現される聖女は、髪をヴェールで常に覆っています。しかるに本品浮き彫りにおいて、少女テレーズは豊かに波打つ長い髪を隠しておらず、日常的な姿で表現されています。レ・ビュイソネの庭でカルメル会入会の許しを父に請うテレーズ像を先ほど示しましたが、この像と比べれば、テレーズの様子は実父に接する時と同じであることがわかります。その一方で、テレーズは胸の前で手を組み、天を仰いでいます。テレーズの口元には微笑みが浮かんでいます。マルタン家は仲の良い家族でしたが、テレーズは家庭で父に接する時と同様に、親しみと信頼と愛情のまなざしを、天上の神に向けているのです。





 メダイユ(メダイ)の形状は円を基本とします。これは近代西ヨーロッパにおけるメダイユ芸術の濫觴、ピザネッロ(Pisanello, Antonio di Puccio Pisano ou Antonio di Puccio da Cereto, c. 1395 - c. 1455)の作品群がすべて円形メダイユであったことから、その伝統を引いているものと筆者(広川)は考えます。ピザネッロの作品には浮き彫りが古代の貨幣を髣髴させる作例もありますから、ピザネッロにおけるメダイユの形状は、円形の貨幣に影響されているのでしょう。すなわちピザネッロは君侯たちの肖像をメダイユの浮き彫りにしていますが、これは王や皇帝の肖像をあしらう古代貨幣の意匠と共通します。円形貨幣に王や皇帝の浮き彫り像をあしらう古代以来の伝統があるゆえに、ピザネッロが君侯たちの肖像メダイユを制作する際、円こそが最も自然な形状と感じられたはずです。

 しかるに聖人像に関しても、円は最も自然な形です。なぜならば円は神がおわす天上界、ひいては神そのものを象徴するからです。この作品において、マリ=ベルナール修道士は少女テレーズに聖女の光背を付しています。しかるにテレーズが列聖されるのは 1925年ですが、浮き彫りにされているのは十四歳頃すなわち 1887年頃のテレーズであって、地上の尺度で考えるならば、この描写はアナクロニスムです。しかしそうはならないのは、宗教美術が永遠の相の下で表現を行うからです。

 幅広の枠の外縁、内縁、光背を重ね合わせた本品メダイユの意匠は、数あるメダイのなかでもとりわけ円形が強調されています。本品メダイユに彫られた少女テレーズはひたすら神にあこがれ、地上に開いた天国の入口ともいうべき修道生活を望んでいます。少女は未だ地上に身を置きつつも、その魂は召命を受け、既に神に抱かれているのです。


 テレーズ像の下部に、マリ=ベルナール修道士の署名(Fr. M - Bernard R)が刻まれています。この署名は略記されていますが、省略せずに書くとフレール・マリ=ベルナール・リショム(仏 Frère Marie-Bernard Richomme)となります。フレール(frère)はフランス語で兄弟、すなわち修道士のことです。マリ=ベルナール修道士は俗名をルイ・リショム(Louis Richomme)といい、リショムはマリ=ベルナール修道士のノム・ド・ファミーユ(nom de famille 姓、苗字)です。





 フランスは三人の女性に守られている国で、第一の守護聖人は被昇天の聖母、第二の守護聖人はリジューの聖テレーズとジャンヌ・ダルクです。三人の女性のうち、メダイに彫られるリジューの聖テレーズ像はとりわけ様式化が進み、ほぼすべての作品が三種類ほどのポーズのうちいずれかに属します。そのうちの二つはマリ=ベルナール修道士による作品の系統で、もっとも有名なのは薔薇のクルシフィクスを胸に抱くテレーズ像です。また修道女姿のテレーズを横からとらえた同修道士の作品も、メダイユになっています。同修道士によらないこれら以外の作品も、常に修道女姿で表されます。

 しかるに本品はマリ=ベルナール修道士の作品ではありますが、修道女になる前、十四歳頃の少女テレーズを浮き彫りにしており、たいへん珍しい作例です。筆者(広川)は長年に亙ってフランスのメダイを取り扱い、リジューのテレーズのメダイも大抵のものは見覚えがありますが、この少女テレーズ像はただ一点、本品しか見たことがありません。





 本品メダイは幅広の外枠を鏡面のように研磨し、内側の円形画面を半艶消しに仕上げています。鏡面部分の強い反射は神の栄光を、半艶消し部分の柔らかな反射は小さな花を包む聖性の微光を、それぞれ表しているように思えます。

 上の写真に写っている定規のひと目盛は一ミリメートルです。聖女の顔の高さは四ミリメートルに足りませんが、マリ=ベルナール修道士は大型の彫像と同様の正確さでテレーズ像を彫っています。目、鼻、口はすべて一ミリメートル未満の大きさですが、これは百分の一ミリメートルのオーダー、あるいは少なくとも数十分の一ミリメートルのオーダーの正確さで、メダイユが制作されていることを示します。





 裏面には聖女に執り成しを求めるフランス語の祈りが、小さく控えめな文字で刻まれています。

  PETITE THÉRÈSE, PRIEZ POUR NOUS.  幼きテレーズよ。我らのために祈りたまえ。


 フランス語プチット(仏 petite)は「幼い」とも「小さい」とも訳せます。

 聖母はほとんど常に幼き者に出現し給います。微笑みの聖母も十歳の小さなテレーズに出現し給いました。また修道女となったテレーズは世人を驚かせるような出来事や奇跡によらず、神と隣人への愛の行ないを小さな花のように咲かせることにより、周囲の人々の魂を少しずつ神へと向けてゆきました。メダイユに刻まれるテレーズ像は圧倒的多数が大人の姿ですが、世人に軽んじられがちな少女の姿は、「小さき花」に最もふさわしい形で聖性を表現し、神とのつながりを表現しているとも考えられます。




(上) マリ=ベルナール修道士作 「ノートル=ダム・ド・ラ・コンフィアンス」(ソリニ=ラ=トラプの「信頼の聖母」) 1947年頃のエリオグラヴュール 120 x 70 mm 当店の商品です。


 聖母マリアをはじめとする古代の聖女たちは、実際の顔立ちが分からないぶん、かえって彫刻しやすいともいえます。しかしながら十九世紀末の人物であるテレーズ・マルタンは、家族や教会関係者をはじめ、交流があった多数の人々が、二十世紀半ばの時点で未だ存命中でした。写真も残っていて、だれもがテレーズの顔立ちをよく知っていました。したがってテレーズ像を彫るのは、マリア像を彫るよりも困難です。さらに宗教美術である信心具のメダイにおいては、テレーズの外見に似せるに止まらず、その信仰心、聖性の薫りを小さな浮き彫りに表現しなければなりません。芸術家としての才能、職人的技量に加えて、深い信仰を併せ持ち、修道女テレーズと共感できるマリ=ベルナール修道士は、少女テレーズの横顔に滲み出る内面の信仰を形象化し、聖女を通して神を讃える信心具の制作に、この上ない適任者であったといえます。





 本品の直径は一円硬貨よりもわずかに小さく、浮き彫りの各部分は極小サイズで制作されています。上の写真は本品を男性店主の手に乗せて撮影しています。女性が本品の実物をご覧になれば、写真で見るよりも一回り大きなサイズに感じられます。







 本品はいまから数十年前のフランスで制作された真正のヴィンテージ品(アンティーク品)ですが、珍しいことに未販売のまま新品の状態で残っておりました。それゆえ長く保管される間に他の物と擦れ合って付いた小さな疵(きず)はありますが、全般的な保存状態は極めて良好で、突出部分にも磨滅はまったく認められません。直径 18.9ミリメートルのサイズは大きすぎず小さすぎず、ペンダントとしてご愛用いただくのにちょうど良い大きさです。

 マリ=ベルナール修道士によるテレーズの彫刻群はよく知られ、それに倣った類似作品も数多く目にしますが、本品は筆者自身が初めて目にした稀少品です。本品は精密浮き彫りによる外見的描写が優れているだけでなく、修道士が制作した作品にふさわしい深い精神性を備えています。商品写真は実物の面積を極端に拡大しており、肉眼では気付かない小さな瑕疵が判別可能ですが、実物は写真よりもはるかに綺麗です。特筆すべき問題は何もありません。





本体価格 18,800円 販売終了 SOLD

電話 (078-855-2502) またはメール(procyon_cum_felibus@yahoo.co.jp)にてご注文くださいませ。




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