ノートル=ダム・デ・ヴィクトワール 「マリアの至聖なる汚れ無き御心」大信心会の聖母 戴冠記念カニヴェ (ブアス=ルベル 図版番号896)

Notre-Dame des Victoires, Madone de l'Archiconfrérie du très St et immaculé coeur de Marie, couronnée par Mgr. Pecci le 9 juillet 1853

Bouasse-Lebel No. 896, 109 x 68 mm


フランス  1853年



 透かし細工、版画とも、とりわけ繊細で美麗なフランスのアンティーク・カニヴェ。パリ中心部の同名のバシリカに安置されている聖母子像、「罪人の避け所」(le Refuge des pécheurs) なるノートル=ダム・デ・ヴィクトワール(Notre-Dame des Victoires フランス語で「勝利の聖母」)を描いています。

 教皇ピウス9世 (Pius IX, 1792 - 1846 - 1878) の時代であった1853年7月9日、「ノートル=ダム=デ=ヴィクトワール」像は、ペッチ枢機卿(Mgr. Gioacchino Vincenzo Pecci, 1810 - 1903 後のレオ13世)により戴冠しました。このカニヴェはおそらく聖母戴冠の記念に制作されたものと考えられます。





【聖画全体について】

 本品の表(おもて)面には、聖母子像「ノートル=ダム・デ・ヴィクトワール(勝利の聖母)」をの姿を大きく描きます。足下の雲は、「ノートル=ダム・デ・ヴィクトワール」が天上にあることを示します。聖母マリアと幼子イエズスはともに戴冠し、天の栄光に包まれています。

 幼子イエズスは全宇宙を表す球体の上に立っています。幼いながらも威風堂々としたその姿は、イエズスが全宇宙の創造主にして王、支配者であることを、はっきりと示しています。しかしながらこれは如何に慈愛に満ちた王でしょうか。イエズスの顔は慈父のようにあくまでも優しく、祝福を与えるために伸ばされた両腕は罪びとを抱きとめようとするかのように見えます。左脚を一歩前に出した姿勢が表すのは、自ら天の座を棄てて人の世に生まれ給い、最も罪深き者のほうへと歩み寄り給うたイエズスの公生涯に他なりません。





 聖母は幼子イエズスを両腕で抱き、優しく寄り添っています。聖母のこの姿勢には、ふたつの意味を読み取ることができます。


 まず第一に、幼子を優しく抱き寄せる聖母の姿は、不安定な場所によじ登った幼児が転落しないように、幼児の体を支える母親の愛を表しています。

 神学的に考えると、全宇宙の創造主であり主宰者であるイエスズ・キリストがグロブス(球体)から転落するということはありえず、実際「ノートル=ダム・デ・ヴィクトワール」においても、幼子は堂々とした様子で球体上に立っています。しかしながらキリストはマリアの子として降誕し、普通の子供と同じように育ち給うたのですから、イエズスが健康な身体と健全な精神を持って成長し給い、公生涯を送った後に救世を成し遂げ給うたのは、母マリアの愛と庇護があってはじめて可能になったことでもあります。

 したがって「ノートル=ダム・デ・ヴィクトワール」において、幼子を優しく抱き寄せる聖母は、幼子イエズスを限りない母の愛で包んでいるのです。


 第二に、幼子を抱いて寄り添う聖母の姿は、キリストが罪びとを愛するのと同様に、聖母もまた罪びとを愛し、憐れみ、罪びとのために執り成し給うことを表しています。天上なる聖母は、足許、すなわち地上に、慈母の眼差しを注いでいます。愛するひとり子イエズスを十字架に懸けた罪人たちに対して、救い主イエズスとともに慈愛の眼差しを注ぐ聖母の姿は、神とイエズスへの愛ゆえに神の御意志に聴き従い、神の愛とひとつになった聖母の愛を表すのです。


 「ノートル=ダム・デ・ヴィクトワール」の姿勢に籠められたこれらふたつの意味には、しかしながら、内的な深い繋がりがあります。すなわち、聖母はイエズスを愛し給い、その愛ゆえに、世の罪びとをも愛して、その「避け所」」(le refuge des pécheurs) となり給うのであって、このふたつの愛はマリアの汚れ無き御心 (l'Immaculé cœur de Marie) においてひとつに融け合っているのです。

 それゆえ聖母子像「ノートル=ダム・デ・ヴィクトワール」は、「マリアの汚れ無き御心」の愛の形象化であるということができます。





 聖母子像「ノートル=ダム・デ・ヴィクトワール」において、聖母は右ひざを曲げて左足に体重を掛け、コントラポストの姿勢を取っています。また上半身をねじってイエズスの方に向け、首を左(向かって右)に傾げています。このために聖母の体は優美なS字曲線を描き、グロブス(球体)の上に真っ直ぐに立つイエズスの姿と美しく調和しています。

 聖母子像「ノートル=ダム・デ・ヴィクトワール」は丸彫り彫刻(三次元の彫刻)ですから、聖母の体の曲線は見る角度によって異なります。像を版画で再現するにあたって、この角度を選び、目に快い調和を実現させたのは、本品を制作したグラヴール(graveur エングレーヴァー、版画彫刻家)による独自の工夫です。




 聖画の下には図版番号 (No. 896) と版元名 (Bouasse Lebel, Editeur et imprimeur)、所在地 (rue St. Sulpice 29, Paris) がグラヴュール(エングレーヴィング)で記されています。

 「ブアス=ルベル」と名乗ったグラヴール(エングレーヴァー)、アンリ=マリ・ブアス (Henri-Marie Bouasse, 1828 - 1912) が 1845年に創業したブアス=ルベル社は、数々の美しいアンティーク・カニヴェの版元となっています。1853年、「ノートル=ダム=デ=ヴィクトワール」が戴冠した記念に制作されたと考えられる本品は、ブアス=ルベル社による最初期のカニヴェのひとつであり、おそらくアンリ=マリ・ブアス自身による作品であろうと思います。


 その下には次の言葉がグラヴュール(エングレーヴィング)によって刻まれています。

  Notre-Dame des Victoires  ノートル=ダム・デ・ヴィクトワール 勝利の聖母

  Madone de l'Archiconfrérie du très Saint et Immaculé coeur de Marie, couronnée par Mgr. Pecci, le 9 juillet 1853

  1853年7月9日、ペッチ枢機卿により戴冠された「マリアの至聖にして汚れ無き御心」大信心会の聖母子



 パリ外国宣教会の司祭であったシャルル=エレオノール・デュフリシュ=デジュネット師 (Charles-Éléonore Dufriche-Desgenettes, 1778 - 1860) は、1832年、ノートル=ダム・デ・ヴィクトワールの主任司祭に着任し、住民の信仰心を高めるべく四年に亙って奮闘しましたが、教区民の不信仰と自堕落な生活態度は改まりませんでした。熱血漢であったデュフリシュ=デジュネット師は、この状況に絶望して、教区司祭を辞任する決意を固めかけていました。ところが1836年のある日、ミサの最中に「『マリアの至聖にして汚れ無き御心』に教区を捧げなさい」という声を聞き、「マリアの至聖にして汚れ無き御心」信心会 (ia confrérie du très Saint et Immaculé coeur de Marie) を設立したところ、この教区に信仰の覚醒、集団的回心が起こりました。

 「ノートル=ダム・デ・ヴィクトワール信心会」は、1838年4月24日、教皇グレゴリウス16世 (Gregorius XVI, 1765 - 1831 - 1846) によって、「大信心会」(Archiconfrérie) に格上げされました。





 19世紀のカニヴェの透かし細工にはふたつの種類があります。ひとつはカードの周囲を装飾する帯状の透かし細工です。もうひとつはカードの全面に施されて聖画と一体になった透かし細工です。

 本品の透かし細工は後者のタイプで、聖画の背景として聖母子像と一体化しています。聖母の後光は花を象(かたど)り、透かし細工で表されています。聖母子の両脇にはそれぞれ三輪ずつの花を咲かせた百合が、やはり透かし細工で表されています。百合は純潔の象徴であるとともに、旧約聖書の愛の歌「雅歌」2:2の聖句に基づき、聖母の象徴とされます。この箇所の聖句を下に示します。

  Sicut lilium inter spinas, sic amica mea inter filias. (Nova Vulgata)  おとめたちの中にいるわたしの恋人は 茨の中に咲きいでたゆりの花。 (新共同訳)

 後光と二本の百合を含め、すべての透かし細工にはエンボス(型押し)が施され、立体的かつ詳細な描写を実現しています。


 なおパリ、ノートル=ダム・デ・ヴィクトワールのバシリカに安置されている聖母子像は、背景画等を伴いません。このカニヴェはノートル=ダム・デ・ヴィクトワール像を写したものですが、透かし細工のパターンはこのカニヴェのオリジナル・デザインです。



【本品の版画技法について】

 本品は聖母の衣、マント、ヴェールをグラヴュール(エングレーヴィング)で、それ以外の部分をオー・フォルト(エッチング)で、それぞれ製作しています。聖母の身長はおよそ6センチメートル、幼子の身長はおよそ3センチメートルです。

 下の拡大写真において、定規のひと目盛りは1ミリメートルです。インタリオ(凹版)の線の密度は、1ミリメートルあたり4本以上、概ね六本程度を数えることができます。







 下の二枚の写真は、実物の面積をおよそ 190倍に拡大しています。定規のひと目盛りは1ミリメートルです。人物の肌は、特に細やかな陰翳を表現するため、線ではなくスティプル(点描法の点)で描かれています。スティプルの密度は、1平方ミリメートルあたり約20ないし30個に及びます。

 聖母と幼子は整った顔立ちであるのみならず、その表情には慈愛が溢れており、感情表現の豊かさは大きなサイズの絵や版画に引けを取りません。本品はカニヴェのミニアチュール版画であり、聖母と幼子の顔の造作は縦横3~4ミリメートルの範囲に収まっています。







 さらに拡大します。聖母の顔の拡大倍率は実物の面積の 960倍、定規のひと目盛りは1ミリメートルです。伏し目がちの聖母の瞼(まぶた)、形の良い眉、唇の柔らかな膨らみは、すべてスティプルによる陰翳で描出されています。目の幅、口の幅はおよそ1ミリメートルです。





 下の写真において、幼子の顔の拡大倍率は実物の面積の 1500倍、定規のひと目盛りは1ミリメートルです。

 幼子の顔は聖母の顔よりもひとまわり小さいですが、聖母の顔以上に優れた出来栄えです。目は「白目」と「黒目」を区別するに止(とど)まらず、虹彩と瞳孔を描き分け、まつ毛までが表現されています。瞼、鼻、口の表現も、大きなサイズの絵に劣りません。さらに幼子の肌の柔らかさと体温までもが、写真の助けも絵具の助けも借りず、ただ点のみによって見事に再現されています。19世紀フランスにおけるグラヴール(エングレーヴァー、版画彫刻家)の芸術的到達度と職人的技術は、われわれの想像を絶します。









【裏面に書かれた祈り】

 カニヴェの裏面には、「罪びとの避け所」」(le refuge des pécheurs) なるノートル=ダム・デ・ヴィクトワールへの祈りが書かれています。言語はフランス語で、内容は次の通りです。


    Vierge des victoires, vous qui avez écrasé la tête de notre plus redoutable ennemi; ...  勝利のおとめよ。我らの最も手強(ごわ)き敵の頭を砕き給うた御身よ。
    tout-puissant refuge du pécheur, voyez à vos pieds un des plus misérables de vos enfants! 罪びとのいとも強き避け所よ。御身が子らのうち、最も惨めなる者の一人、御身が足下なる我に目を留め給え。
    Votre divin Fils est toujours disposé à exaucer vos prières, 御身のひとり子、神なるひとり子は、御身の祈りを常に叶え給う。
    offrez-les en ma faveur, et j'espérerai tout pour mon salut éternel. 我が為に祈り給え。我が永遠の救い、御身にかかりたれば。



 「我らの最も手強(ごわ)き敵の頭を砕き給うた御身よ」("vous qui avez écrasé la tête de notre plus redoutable ennemi") との一節は、マリアが無原罪の御宿りであり、人に生命を与える「新しきエヴァ」であることを言っています。「無原罪の御宿り」の図像において、悪魔に打ち勝ったマリアはへびを踏み付けています。


(下・参考画像) 蛇を踏み付ける聖母のメダイ 「バック通りとラ・サレットにおける聖母の御出現」 21.2 x 14.6 mm 1848 - 1857年 当店の商品です。





 カニヴェ裏面の最下部には、祈りの番号 (635)、版元名 (Bouasse Lebel)、所在地 (29 rue St. Sulpice, Paris) が記されています。





 「ノートル=ダム・デ・ヴィクトワール」は、フランスを聖母に奉献したルイ13世が建てた教会であり、とりわけ19世紀においては、不思議のメダイによる回心で有名なマリ=アルフォンス・ラティスボンヌ神父とその兄マリ=テオドール・ラティスボンヌ神父、ヴェトナムで殉教した聖テオファン・ヴェナールをはじめとするパリ外国宣教会の神父たち、後にフランスの守護聖女となるテレーズ・マルタンなど、フランスのカトリック教会史における重要な人々と深いつながりを有します。その意味において、本品は19世紀フランスのカニヴェの代表作といえましょう。


 本品はパリの版元ブアス=ルベルによる初期の作例で、19世紀のフランスで制作された数々のカニヴェのなかでも、聖画の出来栄え、レース状部分の繊細さとも、とりわけ優れたもののひとつです。

 本品はおよそ160年以上前に制作されたミニアチュール版画であり、経年による変色が見られますが、古い物の趣を愛する私は経年による古色を厭(いと)わないので、クリーニングを施していません。お客様のお好みにより、次亜塩素酸ナトリウムの希釈液でクリーニング可能です。綺麗にしたい場合は、ご注文時に遠慮なくお申し付けくださいませ。





カニヴェの価格 25,800円 販売終了 SOLD

電話 (078-855-2502) またはメール(procyon_cum_felibus@yahoo.co.jp)にてご注文くださいませ。



別料金にて額装をご注文いただくことも可能です。下の写真は日本で職人が手作りした額を使用した例です。この額装料金は 14,700円です。







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