イエズスとひとつに結ばれたる人生 (シャルル・ルタイユ # 5)

Vie d'union à Jésus, Ch. Letaille, pl. 5


97 x 67 mm

フランス  1840年頃



 19世紀中頃のフランスで制作されたカニヴェ。オー・フォルト(エッチング)を併用しつつもグラヴュール(エングレーヴィング)を多用し、中世スコラ哲学の美しく精緻な体系を連想させる聖画となっています。





 表(おもて)面は大画面の聖画を金色の縁で囲み、最上部に次の言葉をフランス語で記しています。

  Vie d'union à Jésus  イエズスとひとつに結ばれたる人生・生活・命

 フランス語の「ヴィ」(vie) は、英語の「ライフ」(life) と同様に、人生、生活、命をすべて包含した意味です。その下にはヨハネによる福音書 15章 9節の聖句がフランス語で書かれています。

  Je vous ai aimé, comme mon père m'a aimé. Demeurez dans mon amour.  父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛してきた。わたしの愛にとどまりなさい。(新共同訳)


 聖画は左右対称のデザインにまとめられています。すっきりと安定感があって目に心地よい構図ですが、その内容は深遠で、すべてキリスト教の奥義を表す象徴で構成されています。

 最上部で強い輝きを放つ三角形は、三位一体の神を表します。キリスト教の神は、いかなる複合 (complex) も含まない完全に単純 (simplex) な存在です。(註1) しかしその一方で、神は三つのペルソナ(personae 位格)において現れます。(註2) この「三位一体」(trinitas) の教義はキリスト教神学における最大の奥義のひとつであり、聖画の最も上に配されるにふさわしいテーマです。





 三角形に重ねて表されたは、聖霊の象徴です。聖霊は下を向き、地上にあるキリスト者の魂に降臨しようとしています。聖霊がくわえた花綱あるいは鎖は、薔薇の花輪(ロサーリウム rosarium)すなわちロザリオを通っています。これは主の祈りと天使祝詞が神の御許に立ち上ることを表しています。

 その下にはふたつの図像が並置されています。向かって左側は「マリアの庇護の下(もと)に」(auspice Mariae) を表す "AM" のモノグラム(組み合わせ文字)を配し、ロザリオあるいは天使祝詞が象徴する受胎の告知を受け入れたマリアの信仰と、さらにはキリストの托身(受肉)、三位一体の第二位のペルソナ・子なる神における神人二性の位格的結合 (unio hypostatica) を象徴します。向かって右側は「アルマ・クリスティ」(ARMA CHRISTI ラテン語で「キリストの道具類」の意)すなわちキリストの受難の象徴となる物品類で、鞭、十字架、海綿を挿した棒、イエズスの脇腹を突いた槍、降架の際に使われた梯子が描かれています。

 聖母マリアの象徴が向かって左側、イエズスの象徴が向かって右側に描かれているのは、栄光の聖母が天国においてイエズスの右(すなわち、向かって左)に座しているからです。





 その下にはふたつの聖心が重なるように表されています。手前に見える小さな聖心は聖母マリアの汚れ無き御心で、これははるかに大きなイエズスの聖心に抱かれています。ふたつの聖心の大きさの違いは、人間が神を愛する愛と、神が人間を愛する愛の、強さの違いです。イエズスの聖心は茨の冠に取り巻かれ、槍の傷から血を滴らせながらも愛に燃え、その全体から炎が噴き出しています。聖心の上には十字架が立ち、「神は愛なり」(Dieu est amour.) とフランス語で書かれています。





 聖画を左右から囲うように、小麦と葡萄が描かれています。小麦と葡萄は、ミサにおけるパンと葡萄酒の実体変化を象徴しています。 聖画の下部には、イエズスがキリスト者に語りかける言葉が書かれています。

  Mon Fils, donnez-moi votre cœur.  我が息子よ、汝の心をわれに与えよ。

 その下にはキリスト者の言葉が書かれています。

  Mon cœur m'a quitté pour aller à Jésus.  我が心われを去りて、イエズスの御許に行けり。

 表(おもて)面の最下部、金色の枠の外には、次のように刻まれています。

  Ch. Letaille  PL. 5  Paris    シャルル・ルタイユ 図版 5  パリ

 シャルル・ルタイユ社 (Charles Letaille Editeur, rue Garanciere, 15, Paris, 1839 - 1873) はカトリック関連書籍の出版社で、数多くの小聖画の版元でもありました。





 カニヴェの裏面には次の言葉がフランス語で書かれています。

    VIE D'UNION À JÉSUS   イエズスとひとつに結ばれたる人生
         
    La matin au reveil, j'appellerai Jésus.
J'eleverai mon cœur en priant par Jésus.
Mes pensées, mes actions se perdront en Jésus.
Leur mérite sera l'union à mon Jésus.
  朝に起きて、イエズスに呼びかける。
イエズスの御名によって祈り、心を高みへと引き上げる。
思いにおいても行いにおいても、イエズスに沈潜する。
思いと行いによって、イエズスと一体になるのだ。
    Pour livre et pour docteur, je n'aurai que Jésus.
Toute mon ambition est de savoir Jésus.
Pour écrire et parler j'écouterai Jésus.
  イエズスこそわが書物にしてわが教師。
求めるのは、イエズスを知ることのみ。
聴くべき事、語るべき事はイエズスに教わろう。
    Je prendrai mes repas tout près de mon Jésus.
Je me délasserai sous les yeux de Jésus.
  わがイエズスのみそばにて食事をしよう。
イエズスに見守られて安らおう。
    Pour témoin de mes maux, c'est assez de Jésus.
Je porterai ma croix en suivant mon Jésus.
Si j'en suis accable, je crierai: Doux Jésus!
  わが罪はイエズスのみが知り給う。
十字架を背負い、わがイエズスに従おう。
十字架の重みに沈むとき、「優しきイエズスよ」と叫びを上げよう。
    Et mon cœur tombera dans le cœur de Jésus,
Pour être relevé par la croix de Jésus.
Je prendrai mon repos sur le sein de Jésus.
  わが心はイエズスの聖心と合一し、
イエズスの十字架によりて引き上げられよう。
イエズスの胸にて休息しよう。
    Ma vie sera cachée en celle de Jésus.
La mort m'endormira dans le cœur de Jésus.
Et m'ouvrira le ciel ou je verrai Jésus!...
  わが生はイエズスの生のうちに隠れよう。
死ぬときは、イエズスの聖心のうちに眠りに就こう。
イエズスに見(まみ)えるべき天は、死によって開かれるのだから。
         
    Mon cœur brule nuit et jour
De posséder le Dieu d'amour!
わが心は夜も昼も焦がれています。
愛なる神よ、わが心のうちに住まい給え。


 裏面最上部には黒いインクでフランス語の書き込みがあります。

  Prends et lis.  取りて読め。

 このカニヴェの裏に書かれている上記の文章を読めという意味でしょうが、アウグスティヌスが聖書を読んで回心するきっかけとなった「取りて読め (TOLLE ET LEGE.)」という子供の声 ("CONFESSIONES", viii 7) を思い起こさせます。裏面の下部には次の書き込みがあります。

  Dilectissimo fratri Michel  愛するきょうだいミシェルに。

 "Dilectissimo fratri"(「愛するきょうだいに」)はラテン語です。この下に署名と年号が添えられています。署名の "C." はクリスチアン (Christian) の略記です。姓ははっきりと読み取ることができません。年号は 1842でしょうか。


 このカニヴェはおよそ 150年前のものですが、それほどまでに古いものとは俄かに信じがたいほど綺麗な状態です。たいへん稀少な完品です。





カニヴェのみの価格 19,500円 販売終了 SOLD

電話 (078-855-2502) またはメール(procyon_cum_felibus@yahoo.co.jp)にてご注文くださいませ。


註1 アリストテレスによると、可感的事物(感覚器官によって捉えられ得るもの。人間その他の動植物や、水、岩石などの無生物)はすべて質料(ヒューレー hyle あるいはマテリア materia)と形相(エイドス eidos あるいはフォルマ forma)の複合によって成立しています。形相は本質(エッセンチア essentia)と言い換えてもかまいません。無規定の質料が基体(ヒュポケイメノン hypokeimenon あるいはヒュポスタシス hypostasis、ラテン語ではスブイェクトゥム subjectum あるいはスブストラートゥム substratum)となり、形相あるいは本質を分有 (participare) することによって、可感的事物(単数形 sensibile 複数形 sensibilia)が成立します。
 以上はギリシア哲学の考え方ですが、スコラ哲学において、可感的事物はさらにもうひとつの分有を行います。すなわち質料と形相(あるいは本質)の複合である可感的事物が基体となって、エッセ(esse 存在するというはたらき ギリシア語のeinai、英語のbe、ドイツ語のsein、フランス語のetreに相当する動詞)を分有するのです。神が無ければ、可感的事物は存在することができません。何物にも頼らずに完全な意味で自存しうるのは、「エッセの純粋現実態」(actus purus essendi アークトゥス・プールス・エッセンディー)として「自存するエッセ」(esse subsistens エッセ・スブシステーンス)である神のみです。

 天使は霊的な存在であり、可感的事物でないという点では神と共通していますが、神の許しが無ければ、やはり存在することができません。すなわち天使は質料たる肉体を持たないという意味で「自存する形相」(forma subsistens) と呼ばれますが、天使の形相は神からエッセを分有することにより存在しているのであって、神が自存するのと同等の意味で自存しているわけではありません。したがって純粋な形相である天使も、形相が基体となってエッセを分有しているという意味では、やはり複合 (complex) であることに変わりはないのです。

 アリストテレスにおいて、神は第一動者(primum movens プリームム・モウェーンス)ですが、スコラ哲学においては神は第一動者であるに留まりません。「在りて在る者」(出エジプト記 3: 14)と名乗り給うた神こそが、あらゆる有(ens 存在する物)にエッセを与えるおおもとであり、唯一の「自存するエッセ」、「エッセの純粋現実態」なのです。

 トマス・アクィナスにおけるこの「エッセ」論を明らかにしたのは、京都大学名誉教授であられる故山田晶先生です。これは不朽の業績であり、京都大学のスコラ学研究、及び日本のスコラ学研究が世界に誇る輝かしい成果です。


註2 三位一体(さんみいったい trinitas)とは、神が三人いるという意味でもなく、三つの部分で構成されているということでもありません。註1で論じたように神はまったく単純であり、その存在の様態にはいかなる複合も含まれませんから、三つの位格といっても、神が三つの部分から成り立っているという意味ではありません。三位一体とは唯一にして不可分の神が三つのペルソナにおいて現れているという意味であって、たとえていえばひとりの人間を正面、右側面、左側面から見るようなものです。

 三位一体を表すには、スクートゥム・フィデイー(scutum fidei 信仰の盾)と呼ばれる図像が使われることがあります。(下図)

PATER EST DEUS.  父は神である。

FILIUS EST DEUS.  子は神である。

SPIRITUS SANCTUS EST DEUS.  聖霊は神である。

PATER NON EST FILIUS.  父は子ではない。

FILIUS NON EST SPIRITUS SANCTUS.  子は聖霊ではない。

SPIRITUS SANCTUS NON EST PATER.  聖霊は父ではない。


 絵の四隅の生き物は、テトラモルフによって表された四人の福音記者です。


 神の三位一体はキリスト教最大の奥義のひとつであり、自然理性で了解するのが難しい教義ですが、325年のニケア信条、381年のコンスタンティノープル信条に明記されました。

 ニケア信条及びコンスタンティノープル信条を信じる教会がカトリック教会 (ecclasia catholica 公同の教会)です。「カトリコス」(katholikos) というギリシア語は使徒ヨハネの弟子であったアンティオキアのイグナティオス (Ignatius Antiochiensis, c. 35 - 110) がスミルナの信徒にあてた書簡に初出しますが、ニケア信条及びコンスタンティノープル信条を信じる教会という意味でこの言葉を使い始めた最も初期の人としては、エルサレムのキュリルロス (Cyrillus Hierosolymitanus, c. 315 - 386) 及びヒッポのアウグスティヌス (Augustinus Hipponensis, 354 - 430) が挙げられます。この用法の「カトリクス」(catholicus) というラテン語は、380年2月27日にローマ皇帝テオドシウス1世によって公布された法律に使われており、テオドシウス法典 (codex Theodosianus) に収録されています。

(下) ガロファーロ 「聖アウグスティヌスの幻視」 1830年代のスティール・エングレーヴィング 当店の商品です。



 なお、木製フレームにベルベットを使用した額装を、手頃な価格で承ります。下の写真の左側は、料金 14,700円(カニヴェは別売り)の高級額装の例です。額は日本製で、全工程を手作業で製作した高級品です。サンプルにはダーク・ブルーのベルベットを使用してみました。下の写真の右側は、上質の写真立てを使った額装の例です。壁掛け式としても自立式としても使用できます。サンプルにはグリーンのベルベットを使用してみました。料金は 4,200円(カニヴェは別売り)です。







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額の種類と料金につきまして、詳しくはこちらをご覧くださいませ。




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