稀少品 カシミラ・ドンブロフスカ作 《魂を神に執り成す聖女マリア・ゴレッティ》 細密エリオグラヴュールによる小聖画 73 x 110 mm 列聖記念の美しい作品 フリブール(スイス) 1950年


写真に写っている額のサイズ 12 x 17 cm  額縁の厚み 16 mm



 正式な手続きで列聖されたなかでは最年少の聖人、十二歳の聖マリア・ゴレッティが列聖された際に制作された美しい小聖画。ポーランドの女性細密画家カシミラ・ドンブロフスカの原画を、単色のエリオグラヴュールで再現しています。

 マリア・ゴレッティの聖画には通常であれば白百合が描かれますが、本品のマリアは胸に白鳩を抱いています。鳩は救われるべき魂の象徴です。カシミラ・ドンブロフスカは、マリアの列聖を記念するこの作品において、救われるべき魂を神に執り成す聖人としてマリアを描き、優れた精神性を有する芸術作品に仕上げています。





 キリスト教の伝統的象徴体系において、は魂を、白は無垢を象徴します。それゆえマリア・ゴレッティが抱きしめる白鳩は、少女が命がけで守った純潔を表します。

 マリア・ゴレッティの聖画は、少女の殺害犯アレッサンドロが見た夢にちなみ、白百合の花束を抱えた少女を描くのが定型となっています。しかるに本品の画家は白百合を白鳩に置き換え、これによって聖画の意味にいっそうの深みを与えています。すなわち鳩は救われるべき魂を表すとともに、ノアの洪水の故事により(「創世記」八章八節から十二節)、神との和解をも表します。したがってマリア・ゴレッティが抱きしめる白鳩は、少女自身の純潔を象徴するとともに、少女の祈りと執り成しによって救いを得たアレッサンドロの魂をも表しています。





 この美しい聖画は、二十世紀前半に活躍したポーランドの女性細密画家、カシミラ・ドンブロフスカ(Casimira Dabrowska / Kazimiera Dąbrowska, 1890 - 1972)の作品です。カシミラ・ドンブロフスカはワルシャワの美術学校に学んだあとポーランド国内のいくつもの展覧会に出展し、1929年から 1931年まではパリ、サロン展にも参加しています。1936年には活動の場をローマに移し、1972年に亡くなるまで、カトリック教会に依頼されて多くの宗教画を描きました。カシミラ・ドンブロフスカの作品はヴァティカン美術館及びポーランドの美術館数か所に収蔵されているほか、ヴァティカン市国発行の切手にも多く採用されています。


(下) 《聖マリア・ゴレッティ 殉教五十周年記念切手》 ヴァティカン郵便 1952年 当店の商品です。




 本品聖画の下には、枠に囲まれた銘板状のスペースに、ラテン語で「サンクタ・マリア・ゴレッティ、ウィルゴー・エト・マルテュル」(羅 SANCTA MARIA GORETTI, VIRGO ET MARTYR, 1890 - 1902 聖マリア・ゴレッティ、処女にして殉教者 1890 - 1902年)の文字が書かれています。ナツメヤシの葉は殉教者の栄光を象徴します。

 表(おもて)面の最下部には「カシミラ・ドンブロフスカ」(Casimira Dabrowska)、「版権所有」(仏 Tous droits reservé)、「スイス、フリブール サン=ポール」(仏 Imprimerie St-Paul, Fribourg / Suisse)の文字があります。





 最下部右端の「サン=ポール」とは印刷所の名称で、聖パウロ修道女会(Sœurs de Saint-Paul, Œuvre de Saint-Paul)によって運営されています。聖パウロ修道女会は 1873年にフリブールで設立された女子修道会で、各地の教会に書簡を書き送った使徒パウロに倣い、印刷物を通じた宣教を使命としています。なおフリブール(仏 Fribourg)はスイス西部、フリブール県の小都市です。この町ではフランス語とドイツ語の二言語が使われており、フライブルク(独 Freiburg)というドイツ語の都市名でも知られています。

 本品はエリオグラヴュール(仏 héliogravure)という技法で刷られています。エリオグラヴュールは古典的フォトグラヴュールのような平版ではありませんが、後者に迫る細密性を有し、限りなく版画に近い仕上がりとなります。筆者(広川)は強度の近視で、美術画集のような高品位のグラビア印刷であってもハーフトーン印刷の網点が肉眼でよく見えます。しかるに本品は肉眼で仔細に観察しても網点が見えず、最初は古典的フォトグラヴュールかと思いました。高倍率の宝石用ルーペを使って、ようやく網点を確認することができました。





 聖画の裏面には聖マリア・ゴレッティの生涯と聖女への祈りが記されています。内容は次の通りです。

     VIE    マリア・ゴレッティの生涯
         
      Maria Goretti naquit le 16 octobre 1890 à Corinado, près d'Ancône, en Italie. Peu après, ses parents, qui étaient de simples agriculteurs, vinrnt s'établir à Paliano, puis à Le Ferriere, dans les environs de Nettuno. À cette époque, les <Marais Pontins> étaient encore une région très insaluble. Le père de Maria y mourut de la malaria en 1900 déja.     マリア・ゴレッティは 1890年10月16日、イタリアのアンコーナ近郊コリナードに生まれた。両親は質素に暮らす農民であったが、マリアの誕生後すぐにパリアーノに転居し、次いでネットゥーノに近いレ・フェッリエーレに移った。この時代、アグロ・ポンティーノ(L'Agro Pontino ローマの南にあって沼沢が多い地方)は衛生状態が未だ劣悪であった。その地でマリアの父は、早くも 1900年に亡くなってしまった。
     Dès lors, la petite Goretti devint le bras droit de sa mère et eut une grande part des responsabilités familiales. Il s'agissait, dans des conditions de vie extrêmement pauvres, de nourrir et d'élever cinq petits orphelins. Pieuse, travailleuse, obéissante, Maria édifiait ses frères et sœurs par son exemple. Elle était, en vérité, l'ange de la famille, voire de toute la région.    父を亡くして以来、ゴレッティ家の小さな娘は母の右腕となり、たくさんの家事をこなした。困窮を極めた生活をしつつ、五人の幼い子供たちを養い育てなければならなかったのだ。信仰深く、良く働き、従順なマリアは、自らが範となって弟たちと妹たちを教育した。実にマリアは家族の天使であり、さらには地域全体の天使でもあった。
     À peine âgée de 12 ans, le 6 juillet 1902 alors qu'elle était restée seule au foyer, Maria fut assaillie par un jeune homme qui, ne pouvant lui arracher sa pureté, l'assasina lâchement. Elle mourut après vingt heures d'agonie et de martyre, non sans avoir pardonné à son bourreau.    1902年6月12日、十二歳になったばかりのマリアは、自宅に独りでいるときに、一人の若者に襲われた。若者はマリアの純潔を奪うことができなかったので、卑怯にもマリアを殺害した。マリアは肉体の苦しみと信仰の試練に耐え、殺害犯を赦し、二十時間後に亡くなった。
      Sa Ssainteté Pie XII la déclara Bienheureuse le 27 avril 1947. Au cours de l'Année Sainte jubilaire de 1950, le 25 juin, elle reçut les honneurs de la canonisation et fut proposée comme modèle à toute la jeunesse moderne. Avec raison l'appelle-t-on l'<Agnès du XXe siècle>.     ピオ十二世聖下は、1947年4月27日、マリアを福者と宣言した。1950年の聖年に当たり、本年6月25日、マリアは列聖の栄誉を受け、現代に生きるすべての青少年の模範とされた。マリアが「二十世紀のアグネス」と呼ばれるのも故無き事ではない。
         
     PRIÈRE   祈り 
         
      Dieu tout-puissant et éternel, qui choisissez les plus faibles de vos enfants pour confondre les forts, faites, dans votre bonté, que, célébrant la mémoire de sainte Maria Goretti, votre vierge et martyre, nous éprouvions auprès de vous les effets de son patronage. Donnez-nous, comme à elle, la grâce de la fidélité à vos commandements, d'une vie pieuse et pure, dussions-nous en souffrir le martyre. Aidez-nous à mériter, à son exemple, le bonheur de vous contempler et de vous louer dans le Ciel. Ainsi soit-il.     全能にして永遠の神、御身の子らのうち最も弱き者を選びて、強き者どもを挫き給う御方よ。聖マリア・ゴレッティ、御身のおとめ殉教者の思い出を祝う我らが、聖女の守護の効力を御身の下で経験できますように、御身の愛のうちに計らい給え。御身の戒めへの忠実さと、敬虔で清らかな生に我らが殉じなければならないときに、かかる恵みを聖女に与え給うた如く、我らにも与え給え。我らが聖女の範に倣い、天にて御身に見(まみ)え、御身を賛美する至福を得られますように、我らを助け給え。
         
     Imprimatur : Friburgi Helvetiae, die 25 junii 1950.   印刷許可 スイス、フリブール 1950年6月25日
     R. Pittet, vicarius generalis    司教総代理 R. ピテ





 小聖画は淡く金色がかった銀色のフレームと、別珍(ベルベット)張りマットで額装されています。額はアンティーク品ではありませんが、別珍張りマットとの組み合わせは高級感があり、縁の意匠も本品によく合っています。額の正面には透明アクリル板が嵌っていますが、商品写真の撮影時は反射を避けるためにアクリル板を外しています。なお小聖画をご注文いただいた際にこの額が在庫していない場合、同等レベルの額をご用意します。ご安心ください。





 上の写真では、男性店主が本品を手に持って撮影しています。女性が本品の実物をご覧になれば、写真で見るよりもひと回り大きなサイズに感じられます。

 本品は七十年近く前のスイスで制作された真正のアンティーク品ですが、小聖画は良質の中性紙に刷られており、古い年代にもかかわらず極めて良好な保存状態です。破れ目、折り目、変色などの瑕疵は見られません。お買い上げいただいた方には必ずご満足いただけます。





本体価格 14,800円 販売終了 SOLD

電話 (078-855-2502) またはメール(procyon_cum_felibus@yahoo.co.jp)にてご注文くださいませ。




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